高槻市議会事務局
日 時 平成10年 9月10日(木)午後 1時 0分招集
会議時刻 午後 0時59分 開議
午後 2時17分 散会
場 所 第3
委員会室
事 件
別紙審査日程のとおり
出席委員(9名)
委 員 長 鳥 本 高 男 君 委 員 角 芳 春 君
委 員 三 本 登 君 委 員 久 保 隆 君
委 員 安 好 一 弘 君 委 員 藤 田 頼 夫 君
委 員 堀 田 和 喜 君 委 員 久 保 杏 慈 君
委 員 高須賀 嘉 章 君
議 長 源 久 忠 仁 君
欠席委員(1名)
副
委員長 福 岡 恭 雄 君
理事者側出席者
市 長 江 村 利 雄 君 助 役 奥 本 務 君
助 役 谷 知 昭 典 君
教育長 溝 口 重 雄 君
市長公室長 安 満 二千六 君
企画調整室長 西 川 国 彦 君
総務部長 山 本 喬 君
市民文化部長 井 出 正 夫 君
建設部長 近 藤 富 彦 君
教育次長兼
学校教育部長 畑 中 武 君
管理部長 中 野 昭 三 君
社会教育部長 竹 内 保 君
社会教育部理事 南 博 俊 君
社会教育部次長 山 田 義 郎 君
その他
関係職員
議会事務局出席職員
事務局長 永 坂 邦 輝
事務局次長兼
議事課長 大 平 庸 次
議事課長補佐 舟 木 正 志
議事課事務吏員 柳 田 雅 幸
〔午後 0時59分 開議〕
○(鳥本
委員長) ただいまから
史跡整備等特別委員会を開会いたします。
ただいまの
出席委員数は9名でございます。福岡副
委員長から欠席届を受理いたしております。
よって、
委員会は成立いたします。
議事に入ります前に、
理事者から発言を求められておりますので、これを許します。
○(
江村市長)
史跡整備等特別委員会の開会に当たりまして、一言ご
あいさつを申し上げます。
委員各位におかれましては、何かとご多忙のところ、ご出席をちょうだいいたしまして、まことにありがとうございます。
去る5月の
臨時議会におきまして、本
特別委員会の設置をお願いいたしまして、本日、第1回の、
史跡整備等特別委員会を開催していただいたところでございます。
ご案内のとおり、本市は、長い悠久の歴史にはぐくまれて、史跡今
城塚古墳を初めといたします
古墳群や、昨年7月に、
安満宮山古墳から出土いたしました青龍三年銘鏡などの貴重な遺物、数多くの遺跡、史跡などを有しております。
また、一方では、各時代の
歴史遺物も数多く保管されておるところでございます。
また、
市民意識の多様化が進む中で、このような
伝統文化と
歴史的空間を再発見し、また、
ふるさと高槻のよさを広く市民とともに再認識をし、それを今後の
まちづくりの中に生かしていくことは、個性豊かな、魅力ある
まちづくり、夢とロマンあふれる成熟した
まちづくりの一つであると考えております。また、その対応が求められておるところでもございます。
このような状況の中、
総合計画の「歴史の息づく
まち構想」におきましても、古墳や、
高槻城跡の
公園整備、
歴史博物館の
設置推進等、遺跡、史跡などの
歴史的資源を生かした歴史の
ネットワーク化を進めることと位置づけをいたし、現在に至っておるところでございます。
本
特別委員会では、市内に存在する数多くの
歴史遺物などの
適正保全と、
公開展示施設の整備や、今
城塚古墳を初めとする
古墳群の整備、さらには、高槻市
歴史街道計画整備プランなどとの
整合性を図りつつ、順次、
歴史遺産、
史跡ネットワーク化の
方策等につきまして、ご意見、ご審査を賜りたく存じておる次第でございます。
後ほど、担当の方から本日の案件でございます、
歴史遺物などの
適正保存と
展示施設の整備につきまして、ご説明を申し上げたく存じておりますが、どうぞよろしくお願いを申し上げまして、ご
あいさつとさせていただきます。
○(鳥本
委員長) 発言は終わりました。
それでは、議事に入ります。
歴史遺物などの
適正保存と
展示施設の整備についてを議題といたします。
理事者側の説明を求めます。
○(
南社会教育部理事)
委員各位におかれましては、何かとお忙しい中、ご出席を賜りまして、まことにありがとうございます。
本日は、第1回の
委員会ということでございますので、お手元にお配りをいたしております資料に基づきまして、
関係部のものも含め、順次ご説明を申し上げたいと存じます。
なお、当初予算でご可決いただきました、
安満宮山古墳の整備につきまして、後ほど詳しく説明させていただきますので、よろしくお願い申し上げます。
さて、
歴史遺産を生かした
まちづくりの推進についてでございますが、まず、
歴史遺産の背景となります本市の
文化財についての現状と、今後の方策について説明をさせていただきますとともに、今日の緊急な課題になっております、
歴史遺物などの
適正保存と
展示施設の整備について説明申し上げます。
本市は、悠久の歴史にはぐくまれました数多くの遺跡、史跡などの
歴史遺産が、市全域に広く存在し、また、各時代にわたる多彩な資料も数多く集積されておりまして、本市の個性ある歴史的・
文化的環境をつくり出してきたところでございます。
このように、市域全体が歴史の宝庫とも言える、
ふるさと高槻の魅力を、市民とともに再認識し、これらの
歴史遺産を今後の
まちづくりに生かしていく中で、
快適環境都市の創造を目指しつつ、都市の風格と、市民の郷土に対する誇りと愛着を深めていく施策の推進が、まことに重要であろうかというふうに考えているところでございます。
21世紀の
まちづくりに向けました今後の方策につきましては、
歴史遺産の適正な保存と公開、そして、
歴史遺物などの
展示施設等の整備を積極的に推し進めるとともに、他の施策との
整合性を考慮しながら、個々の
歴史遺産や、諸施設との
ネットワーク化を図っていくことが、ぜひとも必要であると考えております。
次に、
歴史遺産の種類と現状についてでございますが、
別紙参考資料をつけさせていただいておりますので、あわせて説明をさせていただきます。
さて、高槻市におきましては、古代より、淀川にはぐくまれました豊かな土地柄に加えまして、
東西交通の要衝地として、早くから栄えてまいりました。現在、
高槻市域には、150余か所の遺跡を初めといたしまして、数多くの神社、仏閣が残され、先人の営みの労苦と文化がしのばれるところでございます。その、最も早い足跡は、2万年前にもさかのぼる、
旧石器時代の
キャンプ地が
郡家地域で発見されまして、また、
芥川遺跡では、3,500年前の
縄文集落が見つかっております。
弥生時代におきましては、貴重な、拠点的な集落として、
安満遺跡が平成5年に史跡に指定されたところでございます。また、平成9年には、
安満遺跡のすぐ北側にございます、
安満宮山古墳が調査され、青龍三年銘鏡や、三角縁神獣鏡など、
邪馬台国に直接かかわる5面の
青銅鏡が発見されて、全国的な反響を呼んだところでございます。
次に、史跡今
城塚古墳につきましては、学術的には、第26代
継体天皇の真実の御陵と考えられておりまして、全国にも貴重な古墳として残されております。また、最古・最大の
埴輪づくりの遺跡である、
新池埴輪製作遺跡につきましては、
史跡新池ハニワ工場公園として市民の皆さんに公開しているところでございます。さらには、藤原鎌足の墓ではないかと考えられている、
史跡阿武山古墳が奈佐原にございます。
奈良・
平安時代では、
史跡嶋上郡衙跡附寺跡を初めといたしまして、この時代に創建されました
神峰山寺、本山寺、安岡寺、慶瑞寺などが現在に法統を伝え、式内社である
神服神社、
阿久刀神社などの神域も守られております。
中世におきましては
芥川山城や、
高槻城がございます。
高槻城では、本年の6月に
高山右近時代の26基のキリシタンの木棺墓、さらに8月には、新たに
高槻商工会議所建設用地から3基の木棺墓が発見され、大きな話題になっているところでございます。また、富田の地に寺内町が形成され、その後の高槻の経済・
文化発展の基盤となりましたことは、歴史が物語るところでございます。
江戸時代には政治と行政の中心地として、
高槻城とその城下町、さらに交通の要所としての芥川の宿場町が発達いたしました。特に、
高槻城跡は、現在、
城跡公園として整備され、その一画には
歴史民俗資料館を設置いたしております。
一方、淀川に目を転じますと、三十石船にかかわって、柱本で発祥いたしました「くらわんか舟」が発展し、淀川の風物詩として大いに旅情を慰めたと言われております。
さて、これまで述べてまいりましたように、私たちが住むこの高槻の地には、多彩な
歴史遺産がすぐれた
歴史的環境の中に残されており、地域のアイデンティティーを内外に発信するのに十分な内容と裏づけを持つものとなっております。
次に、現在、高槻市が所蔵をいたしております
文化財の現状についてでございますが、その種類といたしましては、
民俗文化財、
古文書、
歴史遺物、
埋蔵文化財など、多様なものがございます。
まず、
民俗文化財につきましては、本市の人々が培ってきた、暮らしにかかわるものでございます。農具、漁具、
寒天製造具などの生産・
生業関係、
生活用具類を主とした、
衣食住関係、井路舟、
消防道具などの商業・
交通関係などの品々がございます。
収蔵場所といたしましては、
市立歴史民俗資料館の
収蔵庫を初めとする市の施設へ保管し ております。
次に、
古文書につきましては、文字による貴重な
記録資料として、昭和44年以後、継続して収集、保存に務めております。その中には、
指定文化財にもなっております
近世初期の農村の実態を伝える
葉間家文書や、
三好長慶の
水論裁許状として有名な郡家区有文書など、いずれもかけがえのないものでございます。
次に、
歴史遺物につきましては、市民からご寄贈していただきました
美術工芸品を初め、高槻を代表する焼き物でございます
古曽部焼など、総計210件でございます。その中で、甲冑類につきましては、市庁舎を初め、公民館などで展示をし、その他のものにつきましても、本館1階において順次展示をいたしております。その他、
消防本部の保管庫、
市立歴史民俗資料館収蔵庫などで保管いたしております。
次に、
埋蔵文化財につきましては、昭和50年に設置いたしました
埋蔵文化財調査センターにおきまして、出土いたしました遺物や記録類はいつでも公開できるよう、その準備を日々怠りなく進めておるところでございます。
次に、これらの
文化財のうち、これまで整備、公開されている主なものを説明させていただきます。
まず、
史跡新池埴輪製作遺跡につきましては、平成7年3月11日、
史跡新池ハニワ工場公園といたしまして、オープンいたしております。展示、公開に際しましては、三島の古代と
埴輪づくりをわかりやすく解説するために、漫画をふんだんに採用したところでございます。
史跡嶋上郡衙跡附寺跡につきましては、平成6年度に郡役所の
中心部の
遺構表示を行いまして、史跡の啓発と適正な管理を目指してきたところでございます。
史跡阿武山古墳につきましても、昭和63年度に遊歩道の
敷設等によりまして、整備したところでございます。
次に、普門寺、本照寺、本山寺につきましては、
解体修理や
防災設備等を行うとともに、
笹井家住宅、太子堂の
移築等を実施しております。また、このほかにも
高槻城跡におきましては、平成8年度より建設省の
補助事業であります「くらしの
みちづくり事業」を実施し、
既存資源を最大限に活用した形で整備を進めているところであります。
以上、
文化財の現状について、るる述べてまいりましたが、
まちづくりにおける
歴史遺産の役割といたしまして、全体を見通した中で、
面的整備に至るまでの課題といたしましては、3点にわたるものがあろうかというように考えているところでございます。
その、まず1点目の、
歴史遺物などの
適正保存と
展示施設の整備に関しましては、短期的な課題と考えております。これにつきましては、市民の方々からご寄贈いただきました
歴史遺物の中でも、特に
甲冑等の
美術工芸品につきましては、
経年変化による傷みが目立っております。また、
保管場所につきましても、各所に散在していることから、管理も十分に行き届かず、その保管に支障を来すことにもなりかねない状況であります。
この点につきましては、寄贈をいただきました趣旨にこたえていくためにも、早急に対処をしなければならないものと認識いたしておりまして、その保存、管理に、最も適した
収蔵施設を早急に設置する必要があるというふうに考えております。
第2点目の課題でございますが、今
城塚古墳、
安満宮山古墳などの
古墳群の整備に関しましては、これは、中期的な課題と考えております。これにつきましては、本市の
歴史遺産の
中核遺跡との認識がございます、史跡今
城塚古墳についてでございます。その整備につきましては、将来の史跡の
ネットワーク化をにらんだ
設計思想を持たなければならないものと考えております。
なお、昭和45年以降実施している史跡の
買い上げ事業の進捗によりまして、現在、史跡全体の83.3%に当たります6万7,184平米の公有化がなされております。今後は、早期に
基本設計、
実施計画を策定いたしまして、古墳の整備、公開を実施していくことが求められるものと考えておるところでございます。
次に、
安満宮山古墳の整備につきましては、
市制施行55周年
記念事業といたしまして、平成10年12月の公開を目指しているところでございます。
その内容といたしましては、
参考資料の9ページ以降に示させていただきましたように、墳丘を復元いたしますとともに、墓坑の原寸大のレプリカを作成いたしまして、また展示し、5面の
青銅鏡の
出土状況を臨場感を持って市民の方々が気軽に見学していただけるようなものを考えております。
また、現地におきましては、眼下の、
史跡安満遺跡はもとより、遠くは、淀川や
大阪平野も見渡せるなど、
眺望そのものが、この地に古墳が築かれた理由の1つであると考えておるところでございます。展示に当たりましては、資料の最後につけさせていただきました、カラーのイメージ図にもございますように、説明板とともにパノラマの
イラスト等を設置し、
見学者に、卑弥呼や
邪馬台国に思いをはせていただけるような工夫もあわせて考えているところでございます。
また、このほかにも、既存の
史跡公園といたしましては、
新池ハニワ工場公園を初め、
阿武山古墳、
嶋上郡衙跡がございます。さらには
安満遺跡や、
高槻城跡など、
時代背景の異なる貴重な遺跡の整備も視野に入れながら、点から線、そして面へと、
歴史遺産を広く
ネットワークし、また内外への
文化発信基地として、さらなる活用をいかに図るべきかを模索しなければならないと考えている次第であります。
第3点目の課題といたしましての、
歴史街道計画を踏まえた、
歴史遺産、史跡の
ネットワーク等の方策に関しましては、これは長期的な課題と考えております。
これにつきましては、
総合計画の中で「歴史の息づく
まち構想」を掲げ、豊富な
歴史遺産を守り、都市の風格と、市民の郷土に対する誇りと愛着が深まるような
まちづくりを進めているところでありますが、より一層取り組むことが重要と考えているところであります。
とりわけ、平成9年度に
地元住民や
学識経験者の参加をいただきながら取りまとめられました、高槻市
歴史街道計画整備プランは、
まちづくりの根幹に
歴史遺産を積極的に位置づけていこうとする姿勢を打ち出したものであります。
内容につきましては、既にご案内のように、
本市発展の礎を、歴史と文化の東西軸であります、
西国街道と淀川に見出した、
高槻ならではのプランでございます。このことにつきましては、
総合計画を踏まえ、より一層の
ネットワークを図りながら、達成されるものと考えている次第であります。
以上、高槻市における
歴史遺産の現状と、
まちづくりに係るその役割について、説明させていただいたところでございますが、その基本的な考え方を、
基本構想として4ページに掲げさせていただいております。
まず初めに、
文化財の現状の把握とその保護、の大局を示してございます。そして、
文化財の公開、
歴史遺産と
まちづくり、
歴史都市、そういった単元を設定いたしまして、
歴史遺産を生かした
まちづくりを推進してまいりたいと考えておるところでございます。
これらの
基本構想の中でも、当面の、緊急を要するものといたしまして、ご寄贈いただきました
歴史遺物について、一括した収蔵、保管が
検討課題になると考えられるところでございます。
市民の方々からご寄贈を受けた
歴史遺物は、収蔵、管理、保存のための専門的な施設や体制が未整備でございます。いずれも貴重な
文化財でございまして、これら、貴重な
文化財の価値を損なうことなく、後世に残し、広く市民に公開できるよう、収蔵、
展示等の
あり方を検討し、その対応を図ることが緊急の課題かと考えている次第であります。
続きまして、
添付資料について簡単に説明申し上げます。
まず、
添付資料の1ページ目でございますが、
埋蔵文化財の中で、市内に所在いたします、
旧石器時代から、
明治時代までの史跡、遺跡のうち、 主要な36か所について、概要を記したものでございます。
次に、2ページ目につきましては、各遺跡から出土いたしました遺物の中で、代表的なものを
一覧表にしたものでございます。
3ページ目につきましては、
古文書史料を一覧したものであります。現在、7万4,367点の資料を把握しておりまして、そのうち、72%に当たります5万3,422点を高槻市
史史料目録として、約5,400ページ、計20冊にわたり整理をいたしております。
4ページ目につきましては、
古文書史料を、寄贈と寄託に分けまして、その概要をまとめたものでございます。
5ページ目につきましては、
高槻所蔵の
文化財のうち、建造物、
美術工芸品、
古文書類、
無形文化財、
無形民族文化財、
有形民族文化財について、それぞれ品名、数量、年代、
保管場所を一覧したものでございます。
次に、6ページ目につきましては、本市にございます
指定文化財の
一覧表でございます。
内訳といたしましては、
国指定、府指定、
市指定の別がございまして、国宝、
重要文化財、史跡、
名勝等が数多く含まれております。
7ページ目につきましては、
指定文化財の件数を、
文化財の種類によりまして、一覧したものでございます。
8ページ目につきましては、現在、整備公開しております
文化財を一覧したものでございます。
9ページ、10ページ、11ページにつきましては、平成10年度に実施しております、
安満宮山古墳の
整備計画図及び、
完成予想図でございます。
次に、
添付資料の5-1、高槻市
文化財マップについてご説明を申し上げます。
このマップは、
市内各所にございます史跡、遺跡、神社、仏閣、古道などの所在地を色分けして表示いたしております。また、あわせまして、
文化財保護法の抜粋と、本市の代表的な
文化財の紹介をいたしております。
次に、
添付資料5-2でございますが、
資料館建設構想策定調査報告書につきましては、平成7年度に、これらの
歴史遺物等の収蔵・
展示施設等の基本的な
あり方について調査いたしまして、
報告書として取りまとめ、
庁内参考資料としてきた経緯がございます。この資料につきましては、作成後、時間が若干経過したため、一部現状と異なる部分がございますが、本
委員会に提出させていただいたところでございます。
以上、
歴史遺産の背景と、今後の方策、そして
歴史遺産の種類と現状、最後に
まちづくりにおける
歴史遺産の役割と、当面する
緊急課題についてご説明申し上げてまいりました。るる申し述べてまいりましたことも含めまして、
委員会の中でよろしくお願い申し上げたいと存じます。
以上でございます。
○(鳥本
委員長) 説明は終わりました。
今、短期、中期、長期を含めまして、ご説明をいただきました。そして、でき得る限り、短期に整備しなければならない、そういった課題についても、
集中審査をお願いを申し上げたいというような状況もございますが、今、
理事者から説明をいただきました内容につきまして、ご質疑を賜りたいと思います。
○(安好委員) 当面の
緊急課題と言われた短期的なもの、ということで先に説明のあったものについて、お聞きをしたいというふうに思います。
最後の、5-2の資料ということで、出していただいております、
資料館建設構想策定調査の
報告書、先ほどの説明の中でも、取りまとめてから時間が若干経過しているというお話がありましたけれども、平成7年度に調査を実施されておりまして、その結果、今
ちょっと目を通しただけでも随分と具体的なところにまで
調査研究が及んでいるように思うわけなんですけれども、これが、せっかくまとめられたものが、今まで、いわば内部の
参考資料ということで、外には見えない、外から見るとお蔵入り、と言うのはちょっと違うかもしれませんけれども、公表されなかったというふうなことについて、どうしてそういうふうになっ たのか。せっかくこれだけのものをまとめられたという点から見ますと、ちょっとその辺がどうしてかな、ということで、確認をさせていただきたいと思います。
それから、
文化財、特に、武具、
甲冑等の
文化財については、今の保存、展示の状況ですね、市庁舎の本館1階と、それから
消防本部などに展示されているというふうにおっしゃってましたが、そういう今のやり方については、いろいろ支障があるというふうにも言っておられます。それは、どういう方法で、どれぐらい、現状でいけるのかとか、もうほんとに緊急で、やはり一日も早く、ちゃんとした設備、施設なりに移しかえる必要があるのか、どのように考えておられるのか、お聞きをしたいというふうに思います。
○(
井出市民文化部長) 第1点目の質問にお答えをしたいと思います。
今ご質問ございましたように、
資料館建設構想策定調査の
報告書いうことで、平成7年の12月に
報告書が取りまとめられておるわけでございます。先ほど、ご説明の中にもございましたように、これは平成7年度の
施政方針に基づき、市民から寄贈された
文化財等を展示、公開するために必要な収蔵・
展示施設の
あり方について調査、研究をしていく、というようにうたっておりました。それに基づきまして、今申し上げましたように、平成7年12月に取りまとめを行った、というものでございます。
本来でしたら、この
報告書担当所管の
総務委員会なりにご報告を申し上げてまいる、というのが本筋であろうというように考えておりますけれども、これにつきましては、
総務委員会の方には、時期を逸したといいますか、他のいろんな、諸
問題等もございました。これについて、時期を逸して報告はできなかったというようには考えておりますけれども、当
特別委員会で集中的に審査していただくための資料として提出することが適当であろうという判断に基づきまして、提出をさせていただいておるわけでございます。
それで、何
ゆえ報告ができなかったのか、しなかったのか、ということになるわけでございますが、この、資料館建設ということにつきましては、
総合計画との
整合性の問題におきまして、
総合計画におきましては、
歴史博物館というものがうたわれておるわけでございますけれども、緊急の課題として、先ほども申し上げておりますように、7年度の
施政方針の中で、とりあえず市民から寄贈されたもの、こういうものの管理、展示、公開、という部分について、それに限定して取り組んでいく、ということでの調査でございますので、
総合計画と若干ずれる部分がございます。
歴史博物館とは違った視点での資料館、ということになってまいるわけでございまして、その辺から言いますと、これを公開していく、一定の時期に出していくということにつきましては、若干、疑義を生じるといいますか、誤解を招く部分が出てくるんではないかな、というような危惧もいたしたことも事実でございまして、そういうことから時期を逸したというように申し上げておるわけでございます。
それと、資料館と博物館との関係、こういうものについては、基本計画で、この資料館建設を考えていく場合については、基本計画そのものにおきます、見直しといいますか、そういうものも当然必要となってまいります。そういうことからしまして、資料館の建設構想を出していくのがいいのかどうか、公表していくのがいいのかどうか、というようなこともございます。
また、市の施策の優先順位といいますか、現在、28項目、重点施策として上げられておりますけれども、基本計画にない、そういう資料館を、項目の中に入れていくのかどうか、等々の関係から、公表、公開というようなことについて、どういう時期に公開していくのがいいのか、というようなことで、
集中審査をしていただきますこの
特別委員会に提出することが適当であろう、という判断のもとに、今回出させていただいた、ということでございます。
よろしくお願い申し上げます。
○(
南社会教育部理事)
歴史遺物の、いわゆる保管状 況でございますが、基本的にはこういった学術的な、歴史的に価値の高いものにつきましては、温度、湿度、光、それから空気、この辺が、物によってそれぞれ管理状況が異なってくるわけでございます。今の状態ですと、そういう施設の中に保存してませんので、それに適した
収蔵施設の中で保存するというのが、一番好ましいことでございまして、そういったところから、現在でも一定の
経年変化が生じているというところから、私どもといたしましても、いわゆる適正な保存をするということで、今回、いろいろとご審査をお願い申し上げたいというふうに考えておるわけでございます。
○(安好委員) そうしますと、資料館建設構想の
報告書の内容そのものには問題があるというのではなくて、
総合計画との関係で、博物館というふうなものと、この資料館との違いということで、一定、表に出される時期を図られたと。で、28項目の基本計画の中に入ってないということでしたけれども、ここで出してきたという背景には、今後、
総合計画のローリングの中で、こういったものが、どういう方向に変わっていくかについて、この
特別委員会の中での審査を見ながら、ということかもしれませんけれども、一定、検討をされていく、ということではないでしょうか。
それから、もう1つ、保存の方法について、
報告書をちらっと見た中でも、3年前の状態のことだとは思うんですけれども、適当な環境でない、ということが書かれております。その辺では調査をされた時点から、既にかなりの年月が経過をしている状態で、まだそのまま置いてあるというのは、やはり価値から言っても、ふさわしくない状態のままじゃないかなと。その辺では、例えば、緊急に、それこそ緊急に補正予算を組んででも、やらなきゃいけないということにつながっているのかどうか、そのあたりについて、どう考えておられるのか、もう1度お聞きをしたいというふうに思います。
○(安満
市長公室長) 経過等につきましては井出部長の方から説明もございましたが、ご質問にございます、今後の
総合計画との絡みという点につきましては、ご指摘をいただいておりますように、12年には新
総合計画を策定し、13年度からということもございまして、それらも含めて新たな28事業、あるいは新たなローリング、それらの中で、今ご指摘をいただいておりますように、本
委員会の考え方等もしんしゃくしながら、今後それらについては十分検討してまいりたい、かように考えておりますのでよろしくお願いいたします。
○(
南社会教育部理事) この件につきましては、現状を見ておりますと、社会教育部の立場から申し上げましても、緊急に何とかしていかなきゃいかんというふうには考えておりますが、まず、この
報告書につきましても、庁内的に、それなりの協議が十分まだされておらない状況でございまして、そういったことも踏まえまして、できるだけ
歴史遺物が早く適正な環境の中で保管されるように、努力してまいりたいというように考えております。
○(鳥本
委員長) 大体要約をしますと、ま、難しいとこやけど、
特別委員会が設置をされたということを考えますと、やはりこの主要28事業に入ってないけれども、この緊急の課題を何とか処理をしていかなきゃならんということを含めて、やはりこの資料もご審査をいただいて、できる限りそういうものについては早期に考えていきたいということでいいのではないかと。
ま、本
委員会の審査というのは、
委員会設置をしていただいたという趣旨が、そういうところにあるんじゃないかと思いますので、ぜひひとつそういった方向でご審査をお願い申し上げます。
○(藤田委員) たくさんの資料をいただいて、先ほどから時間をかけていただいて、あらあらですけども、説明がありました。この資料館については、先ほども平成7年ということで、正直言ってお蔵入りといいますか、若干、現在にはそぐわないところもあろうかというふうに言うてましたけれども、そういった部分はどういったとこなのか。あなた方は、これ平成7年にできてから、文化振興室でお持ちになって、ずっと見ておられたということで、その辺も聞きたいと思います。
それから、先ほど
歴史遺産の背景という中で、高槻には全市的な広がりの中で、数多くあるということで、私も地方の皆さんから、出てこられた方からよくお聞きするんですけれども、高槻というのはどういう町なんですかと、ま、いろいろあるんですよと、古墳とかいろいろあるんですよとか、こう言うんですけれども、それを全体的に、文化意識といいますか、そういうものを肌で感じる、そういったものを含めて、ああ、これが高槻なんだなあっていう、そういったものがないですね、ということも言われます。
また、数か所に、
甲冑等、保管されておりますけども、そういったルーツを知っている方からもお聞きをしておるんですけども、大変残念ですねえと、こういうような状況で置かれておると、そして、ましてや庁舎の南側の一番隅といいますか、そういった所に、何かこう、みじめと言うたら申しわけないんですけども、そういった形で置かれて、そういう部分で、市民が生活の中で、また歴史を知っていく中で、生きた形で展示してほしい、こういう声も大きく聞かしていただいております。
ですから、
総合計画の中で、ということで先ほどから言われてますけども、最近、とみに
安満宮山古墳とか、そういった部分で、鏡等もどんどん出てまして、大変脚光を浴びている高槻市でございますし、そういう部分では、慌てて出されてきたんだなあと、そういう感があるわけですけども、そういう部分も含めて、正直なところ、こういうことで出させていただいたんだ、という部分をお聞きしたい、こう思います。
○(
井出市民文化部長) 現状と、この
報告書との乖離といいますか、異なってる部分──ほとんど異なってる部分はないと言っていいほど、現状に合ってはおるんですけども、例えば資料5-2の10ページでございますけれども、①文化施設、①に全市的な施設ということで、施設名が上がっておりますけれども、平成7年12月以降に建設された総合市民交流センター、こういうものが、それ以後に建設されておりますので、当然入っておらない、いうようなこと。それと、15ページの、今回対象というのは、この
報告書にかかわっての、市民からご寄贈を受けた調査対象となります、この
文化財、表に上がっております対象
文化財の一覧、この点数につきましては、先ほど社会教育部の理事がご説明をさせていただいた数字と、その時点とは変わっております。そういう部分で、若干の異なりがあるというようなことで、ほぼ、この資料とは大きく変わったところはないというようにご理解いただきたいと思います。
○(藤田委員) 確かに年月が変わってるわけですから、出てきた数とか寄贈された数とか、こういったものが変わってくると思います。しかし、こういった部分が、先ほども言われてましたけども、確かに数か所に置かれて、保管状況も悪い中で置かれているということで、その道のよく分かる方なんかは、ちょっと何とかして欲しいなあという、そういったことをお聞きもしておりますし、そういう中では、若干、という部分だと思います。私もこれ、たくさんの資料、きょういただいたので、中身もまだ読んでませんし、わかりませんけども、中身の骨子といいますか、そういったものはそう変わらないんではないかと。
だから、大いに生かせると、この、貴重な、要するに
報告書というのは生かせるということで、これはもう大いに生かしていただいて、あとは今後の部分で、保管状況等悪いわけですから、そういう部分を、
総合計画も関係しているとか、そういった部分もいろいろあると思うんですけども、この文化高揚という部分から言えば、この資料館については、早く──高槻は地方から来られた方、多いと思いますけども、そういった方が来られた時に、高槻はこういった部分なんだというものがわかって、そして、先ほどこの中にありました、
安満宮山古墳のイメージ図といいますか、こういったものもかかれておりましたけれども、現地へ行って、そういうものを見て、高槻がわかっていく、また日本全国のそういった歴史がわかっていくという、こういうことではなかろうかと思うんですけどね。そういう部分では、これはほとんど活用できるんじゃないですかね。
それから、今、ちょっと言いましたけれども、
安満宮山古墳のイメージ図ですかね、私もこれ初めて、きょう色刷りのもの見させてもらいましたけれども、これについて説明といいますか、何かございましたら、ちょっとお聞きをさせてほしいと。どういった形なんですか。それを含めて、お願いいたします。
○(鳥本
委員長) 今、藤田委員の方からご質疑の中で、きょう、たくさんの資料をいただいたという話がありました。きょうご出席いただいてるのも、ハード、ソフト含めて、ほとんどの部課が出席をしていただいて、先ほど、社会教育部の理事の方から、庁内的にまだこの資料が十分意思統一されたという状況ではないということであります。議会の方としても、総務
委員長初め、
総務委員会にやっぱりこれは、ある程度はこういうものがあるんじゃないかということで、きょうの
委員会に出す前に、
総務委員会に諮る前にこの
特別委員会に勝手に出てきよったやないかというようなことも、総務
委員長が知らんままにそういうことになってはならんということで、そういう方面もできる限り調整をしていただいて、そして、しかるべく
委員会までにその資料が渡るようにできればそうしてください、ということでお願いをしておったんですが、残念ながら、きょうこれが出されたということになれば、なかなか調整するのに暇がかかったのではないかということで、皆さんにご迷惑をかけたことについては、おわびをしておきたいと思います。
経過はそういうことでございます。
○(
南社会教育部理事)
委員長から仰せの点につきましては、私ども努力したところでございますけれども、結果としてこういうことになりましたことをおわび申し上げます。今後につきましては、また最大限努力いたしたいと思います。
よろしくお願いいたします。
○(
井出市民文化部長)
総務委員会との兼ね合いですが、今、
委員長の方からお話ございましたけども、これにつきましては、確かに、先ほど私ご答弁申し上げてる中で、所管の
委員会に対して、時期を逸したということで、現在におきましても公表しておらない、いうような段階にはございますが、しかし、当
特別委員会におきましては、これを集中的に論議をしていただく、そういうための資料として、提出することが適当であろう、いうような判断のもとで、資料として提出をさせていただいておりますし、提出に当たりましては、所管の
委員長──平成7年度の
委員長ではございませんけども、現在の所管の
委員長さんには、この
特別委員会に提出をしていきたい、いうことでの報告は申し上げております。その点はひとつよろしくお願いを申し上げたいと存じます。
それと、藤田委員の方から、
参考資料として活用ができるんかどうか、いうようなことでございますけれども、先ほどもお答えしておりますように、内容的にはそう大きくは変わっておりません。
総合計画との兼ね合いですが、例えば3ページにございますように、
総合計画では、先ほどお答えいたしておりますが、
歴史博物館という考え方は打ち出されておりますけども、資料館という考え方は、基本計画で打ち出されておらないわけです。
したがって、先ほど、ご論議ございましたように、高槻市内には
文化財、
埋蔵文化財、史跡、遺跡というようなものが数多くございます。そういうことから、この資料では仮称の、城下町資料館に関連する計画、というのが中段にございますように、全市的な博物館整備の考え方、こういうものの見直しを再度基本計画の中でやっていく中で、資料館というものの位置づけ、というものをやっていく必要があるというように考えておるわけでございます。そういう意味では、
総合計画との
整合性というものをきちっと整理しながら、対応を図っていくというようなことを基本に置いていかなければならない。そういうことが、この資料の
報告書の1番最後のページに、今後の課題いうことで、今後、この
総合計画との兼ね合いの
問題等につきまして、行政としてどう取り組んでいくのかというようなことが示されておるわけでございます。
そういうことも整理しながら、今後の取り組み というものを考えていかなければならない、というように考えております。
よろしくお願い申し上げます。
○(冨成
埋蔵文化財調査センター所長)
安満宮山古墳の整備に絡みましてのご説明を申し上げます。
資料の9ページをお開き願いたいと思います。
これは、
安満宮山古墳の
整備計画図でございますけれども、上側が方位といたしましては北になります。下が南側でございます。
あの場所は、既に委員の皆様方もご視察を願ったというふうに記憶しておりますけれども、標高125メートルの、安満山の中腹に古墳が存在しております。まして、被葬者がここに埋葬されました思いというんですか、そういうものも、この地に想定できるのではないか。といいますのは、やはり眼下に望みます
安満遺跡、あるいは淀川、
大阪平野、これを望む場所に被葬者の、死の場所としての選地をしていったんではないか、というふうな考え方から、この整備計画に当たりましては、公園墓地の通路──道路いうんですか、それから入ってまいりまして、
大阪平野を望むという、そういうイメージをここに設けております。ですから、園路を扇形に設け、その中央に説明板を設置し、それから望む背景を、風景を思いあわせながら、この古墳の内容をご視察願いたい、いうふうな意味で、こういうイメージ図をもとに、現在整備を進めておりますので、よろしくお願いいたします。
○(藤田委員) 先ほど、今後の課題ということで、お示しもいただきましたんで、わかりました。
以上です。
○(高須賀委員) 先ほどからずっと、今後の課題ということを言ってるんですけども、
史跡整備等特別委員会の果たす役割というのは大変大きいなというふうに思うんですが、そういう面で、緊急的に先にやる問題と、それから大きな流れの中で取り組む問題というふうに、とらまえていかないといけないなというふうに思いますが、この資料等を見ておりまして思いますことは、緊急の課題として、それじゃこれ、資料館を先に、早急にやりたい意向を持っていらっしゃるんかな、というようなことを非常に感じるんですけれども、この点がまず、いかがなのかということ。
それから、博物館構想ということは、うたわれておりましたけれども、なかなか俎上にのせるという状態じゃなかったわけでございまして、この辺の壮大な計画については、一定、市の独自でやっていくのか。私、思うのは大阪府の、近つ飛鳥博物館みたいな、ああいったふうな方向ですね、そういうようなものも加味していくのか、そういった大きなとらまえ方というんですか、あると思うんですが、その辺の考え方をちょっとお聞きしておきたいなと。
とりあえず2点お願いしたいと思います。
○(
南社会教育部理事) まず、第1点目の、いわゆる
収蔵施設につきましては、先ほども申し上げておりますように、短期的な問題、それから中期的な問題、長期的な問題とあるわけでございますけれども、短期的な問題といたしましては、今、申し上げました
収蔵施設を
緊急課題として、我々の考え方としては、それをできるだけ早い時期に、何とかしていきたい、というのが基本的な考え方でございます。
それから、総合博物館につきましては、既に非公式にはいろいろと大阪府の施設等につきましても、研究等々もやってきたわけでございますけれども、大阪府も、関係者に聞きますと、これはもう最終的にはだめだということで、一方では、総合博物館につきましては、国の補助がつかないわけでございますけども、そういった中で、一定の、いろいろな複合的な機能を考えながら、国の補助も、いただけるもんはいただいていこう、というような考え方も、1つはあるわけでございますけれども、これにつきましては内部的にまだ検討されておりませんので、よろしくお願いいたします。
○(高須賀委員) 初めての
委員会で、将来的なことを聞いておきたいということだけですから、あれなんですが、この資料館を早期にしなければ、今、お預かりしている貴重な資料を、何とか保存していかなきゃいけないという部分があると思います。 そういう面で、具体的に報告を見ましても、(仮称)城下町というようなことがついているぐらい、絞り込んだ形での資料館だな、というふうに受けとめているわけですけれども、お城とかの関係があると、ま、こういうことじゃないかなというふうに思うんですが、こういう形からして、大手町を1つの候補地とされている。もう1点は、城内公民館、障害者福祉センターの隣を候補地とされていると、こういったことですが、どうなんですか、この辺の固まりいうのはある程度できてるんですか。敷地候補について。どっちにしようかとか、そういう方向性とか。
それから、私、大阪府の近つ飛鳥の例を申し上げたのは、博物館というのはやっぱり一つの特徴を持たせていくということが必要違うかなというふうにも思いますんで、高槻市の場合は、こうした古代の古墳とかいろいろございますが、どの辺にそういった特徴を持たせていくのかということ、これは非常に大事なことじゃないかなというふうに思いますんで。その辺のことについても、今日まで検討されているんでしたら、ご報告願いたいなというふうに思います。
以上です。
○(
井出市民文化部長) 敷地の問題でございますけども、これにつきましては、この資料、資料館建設構想の策定
報告書、この1ページ目を見ていただきますと、市民の方々から甲冑、刀剣等の武具、美術品とか、貴重なもののご寄贈を数多くいただいておるわけです。これは時代的な
問題等から考えていきますと、
高槻城とのかかわり、そういうもののかかわりというものを、当然考えていく必要があるんではないかというような、
時代背景といいますか、ご寄贈していただいております。そういう
文化財から考えたときに、
高槻城周辺ということが、
整合性があるんではないかというようなことで、これ、全体を見ていただきますと、コア施設、これは
歴史博物館というものをコア中心施設としながら、サテライトとして5つ程度挙げる。
その中で、今申し上げておりますような城下町資料館というものを1つ指しておるわけでございまして、そういう中で、各地域の特徴といいますか、そういうものを生かした「みちしるべ」といいますか、ここではそういう表現をいたしておりますけれども、そういうものを考えている、という中で、まず最優先として、今、市民からご寄贈いただいております、そういうものが、時代を考えたときに、
高槻城と、そういう資料館にかかわるようなこととして、この地に考えていってはどうか、いうような考え方をいたしておりまして、その時に、候補地として、市が有しておる施設として、また、
高槻城とのかかわり、
高槻城跡とのかかわり、というものを考えたときに、こういう2つの市有地が今考えられる、いうことで、しかも、この望ましい規模、そういうものを考えたときにはどうなるか、いうようなことを考えながら、ここで報告として、まとめさせていただいておるということで、必ずしもここでなければならないというものではございません。
そういう点で、ひとつよろしくお願いをいたしたいと思います。
○(高須賀委員) 今、いみじくもサテライトいう言葉が出まして、5つぐらいの構想をお持ちだということ、28ページに載ってますけれども。
ということは、この資料館という考え方は、あくまでも、この城下町いうんですか、そういったところに視点を置いたサテライトの考え方なんだと。ということになりますと、ほかの5つなりを、やっぱりめどを立てた上でやっていかないと、そこでやったけれども、こちらでできなくなったから、そこへもう1つ役割を持っていこうとしても、小さなところだと今度はできませんから、そういう、長期的な展望に立った上で、この資料館もやらないといけないんだなということを感じますので、その辺を踏まえて、また次の段階で質問していきたいと思います。
○(堀田委員) 私は、今高須賀委員が言われたことと若干関連するんですけど、冒頭に、南理事がご説明された、あの内容そのものは総括的な意味で、肯定したいというか、大変いいことだと、ぜひと も具体的に実現を進めていただきたいというふうに基本的には思ってまして、きょうの段階で、具体的な個々の質問は、どうのこうのいうのはなかなか私もできにくいんですね。ただ問題は、この、
史跡整備等特別委員会という、1つの
特別委員会が、議会内部に設置されたという意味の問題と、この
特別委員会の権限とか、機能とか、今後の役割を、どう考えるんかということについては、きょう第1回目ですから、ちょっと明確にしていただきたいなというふうに思っております。
さっきから何遍も、何人かの方が言われてますけど、例えばこの資料5-2のこれですね、資料館建設構想ということについても、これ自身については、例えば子細に検討すれば、それこそ、ここはこうした方がええだろうとか、ここをこうすべきだろうとか、いつごろ計画されるんですかとか、質問はいろいろ出てくるだろうと思いますけど、きょうの、この
委員会の時点の提案の質から言うと、これ、そのものについては、まあいいでしょうとしか、結果的には言いようがない。
問題は、この
特別委員会そのものが、先ほど申し上げたように、
特別委員会を設置したということから言いますと、例えば今までの高槻の行政からいえば、
文化財を生かした、史跡問題に対する取り組みというのは、それこそ、私が子どものころからずっと、綿々と取り組まれておるわけで、一定の成果をどのレベルで評価するかは別だけども、一定程度取り組みをされて、いろんなことしておられますね。例えば私、その中でも1つ聞いておきたいのは、昭和61年でしたか、高槻市フラワーセンター建設計画、このときに、この内容が、例えば庁議で確認されているという事実がございますね。
この中には、例えば、史跡を生かした
まちづくりということについては、一定の構想を含めて承認をされている。あわせて、そんなに私、子細に点検というか、勉強しておりませんけども、単なる史跡を生かした
まちづくりではなくて、その地域で生きていかれる方たちとの、生活との関連だとか、農業との関連とか、その地域性を、ほんまに高槻の市民にとって、何が一番生かせる道なのかということについての、一定の方向性を提起されている。
これも、その後私も子細な点検ようしてませんけど、部分的に、実現されたことも幾つかあります、いうことになってきたときに、これも含めて、全体の流れの中で、きょう提案し、説明されている内容を、この
委員会の中で、どういうふうにそれを位置づけて、任務として私たちが自覚しないかんのか。つまり、永遠の課題ということで言えば、これ解散でけへんのですね。永遠に、この課題ありますから。一定の何らかの目的を、どういうふうに持つのかというあたりについては、その辺は市の皆さん方の、基本的な考え方だけはちょっと聞かせていただきたい。
○(奥本助役) 今、堀田委員が指摘されました、フラワーパーク構想というものを、かつて、昭和61年に立ててるやないかと。これは、私が
市長公室長の時代に立てられた構想でございます。その辺が、今日までの課題として残っておるということは、当然理解をいたしております。
これは、今城塚を想定した、今城塚と、今城塚公園、そしてその周辺の農業、特にカキ栽培との関連の上で立てられた、花づくりの町、というようなことを意識したものでございます。ただ問題は、今城塚の整備、あるいは今城塚公園の整備という課題は当然残っておりますが、フラワーパークというような意味合いでの、土地利用の関係で、非常に、虫食い状態になってきているとかいうようなことで、整備がしにくい、というように状況が変化してきているということはよく理解していただけると、このように思います。
しかし、今ご指摘のように、この
特別委員会におきまして、先ほど南理事も説明いたしておりましたように、2番目の、中期的な課題として、今城塚の整備が当然入ってまいりますので、この辺と、今日までの経過の中で、なお残されている、フラワーパークの、その辺の地域性、あるいは農業との関連、そういうものもできるだけ含めた意味で、当初の目的がどこまで達成できるかは別と いたしまして、検討はしていかなあかんやろうと。これは継続性の課題でございますので、ただ、
時代背景からいうて、どこまでそれを生かせるかということは別の問題になってくると、このように思っております。
だから、当然この
特別委員会というのは、先ほど南理事も説明いたしましたように、当面、あるいは中期、そして長期、という課題と、それから、過去に立てました計画との
整合性、そういうものも十分図っていきたい、いうのが本市の趣旨でございます。
よろしくお願いしたいと思います。
○(鳥本
委員長) 今、堀田委員の話の中で、南理事もそうでありますが、1点目の短期計画、そして中期計画、長期計画にわたって、課題としてはありますと。しかし、
特別委員会というのは最低限1年間──継続する、せんは今後ありますけれども、そういう点で、きょう議題としてぜひお願いをしていきたいというのは、まず第1点目の、
歴史遺物などの
適正保存と
展示施設の整備についてということで今、結局ご寄贈いただいた、そういったものが傷んでいく、そういうものについて大変危惧をしておるというのが、これは平成7年の調査のときにも出ておりまして、それがやっぱり急ぐべきでないかということで、できればそういったことについて、当面は
集中審査をしていただけたら大変ありがたいという意識がございます。きょうおかけしております議題につきましては、第1点目に限って、できれば
集中審査をお願いできたらという状況もございます。
○(久保杏慈委員) 1点だけ。