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平成18年(常任)財政市民委員会−07月19日-記録

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  1. 札幌市議会 2006-07-19
    平成18年(常任)財政市民委員会−07月19日-記録


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    平成18年(常任)財政市民委員会−07月19日-記録平成18年(常任)財政市民委員会  札幌市議会財政市民委員会記録            平成18年7月19日(水曜日)       ────────────────────────       開 会 午後2時 ○五十嵐徳美 委員長  ただいまから、財政市民委員会を開会いたします。  報告事項でありますが、田中委員からは欠席する旨、宮本委員からは遅参する旨、それぞれ連絡がございました。  それでは、議事に入ります。  自治基本条例についてを議題といたします。  本日は、財団法人東京市政調査会理事長であります西尾 勝さんをお招きしております。  最初に、西尾さんにお話をいただいた後、質問を受けたいと思いますので、よろしくお願いいたします。  委員会を開催するに当たり、一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、ご多忙中のところ、本委員会への出席に快くご承諾いただき、心より御礼申し上げます。本当にありがとうございます。  本日の議題であります自治基本条例については、本市において条例制定の検討がなされておりまして、本市議会においても、これまで、条例素案などの報告を受け、調査を行ってきたところであります。参考人の西尾さんにおかれましては、地方分権専門家として、また、三鷹市の自治基本条例策定にも携わっておられた立場から、この条例を取り巻く現状や課題、ご意見などについてお話を伺いたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。  それでは、財団法人東京市政調査会理事長の西尾 勝さんにお話をいただきますが、初めに、略歴について紹介させていただきます。  お手元にお配りの略歴を参考にしていただきますが、西尾 勝さんは、東京大学法学部教授国際基督教大学教授などを経て、本年4月より財団法人東京市政調査会理事長に就任されております。その間、地方分権推進委員会委員や第27次地方制度調査会副会長などを歴任され、地方分権改革に手腕を発揮されております。また、三鷹まちづくり研究所第2分科会の座長として、三鷹市自治基本条例策定にも携わっていらっしゃるなど、地方自治という観点からさまざまな活動に取り組まれております。  それでは、西尾さんにお話しを伺いたいと思いますので、よろしくお願いいたします。 ◎西尾勝 参考人  私は、決して自治基本条例専門家ではないのですけれども、わずかに、東京都三鷹市に勤め先の国際基督教大学がありましたために、三鷹市においては、住んでいる人間だけが市民ではない、働きに来ている人間も市民である、学びに来ている人間も市民である、三鷹市において活動している人も市民であるという理念に従って三鷹市は運営しているというお話でありまして、三鷹に所在する大学の教員も市民と言って、自治基本条例の立案に協力せよと言われて、三鷹市の自治基本条例の素案をつくることに若干協力した程度で、決してこの問題について専門家ではございません。ただ、きょうは、その点についての話をせよということですので、私の考えている限りのことをお話しさせていただきます。  最初に、自治基本条例というものを制定しようという運動は、この北海道ニセコ町から始まっているわけでありまして、ニセコまちづくり基本条例というのがそもそもの出発点であります。その後、類似のものをつくろうとする市町村あるいは都道府県があらわれ始めたわけですが、名称は、まちづくり基本条例と言っているものとか、自治基本条例と言っているものとか、行政参加基本条例と言っているものとか、さまざまでありますけれども、おおむね中身はほぼ一致していると思います。ただ、街づくりの理念、目標の方に若干重きを置いたものか、それとも市民参加を充実するということに重きを置いたものかによって、名称の選び方が少し違っているのかなということでありまして、基本的に、名称はいろいろでありますが、要するに、自治体最高規範である憲法に当たるものを制定しようという運動になってきているわけであります。  憲法に当たるものというふうに申し上げましたけれども、現在の地方自治法上、地方で制定できる法令としては条例と規則という形式しかありませんので、これを制定するとすれば条例という形式をとらざるを得ない。しかし、一般の条例よりは上位に立つべき条例だという意味で基本条例という名称が選ばれている、そうご理解いただきたいと思うわけであります。
     この自治基本条例を制定しようとする運動には、三つの目的があるのだというふうに思っております。  一つは、地方自治は、住民自治団体自治から成り立つという説明の仕方がございます。この説明の仕方に則して言えば、住民自治を一層広げ深めること、あるいは、住民自治という言葉を私は自治体デモクラシーというふうに言いたいのですけれども、自治体におけるデモクラシーを一層広げ深めることというのが究極の一つの目的になっている、こう考えます。要するに、4年に1回、地方選挙がありまして、首長と地方議会の議員が選挙されるわけでありますが、住民である有権者は、選挙のときに参加するのみならず、選挙から選挙にわたる間の日常の期間においても市政、町政のあり方について積極的に感心を持ち発言し続ける、そういう自治というものをより一層広げ深めていくことが第1番目の目的だというふうに思われるわけです。したがって、いわば住民参加の制度をいかにして構築するかが最も重要な課題になっているわけであります。  もう一つは、その街ごとに伝統と個性があるわけですけれども、自治基本条例の制定を通して街の伝統と個性というものに一層の磨きをかけたい、個性的な自治体に発展したいという願望が込められているというふうに思うわけです。先ほどの住民自治を一層広げ深めるということだけであれば、全国1,800有余の市町村が検討したとしても、どこもそれほど違わない条文になっていくのではないかと思われるわけです。しかし、それぞれの街には伝統と個性がありまして、その伝統を引き続き継承していく、さらには個性を伸ばしていくという観点から、我が街の場合にはこうすることが最もいいのではないかという個性的な条文というものを何とかして設け、街の個性に磨きをかけていこうということにそれぞれの自治体が努力しているというふうに思われるわけです。  大ざっぱな言い方として、条文全体の7割から8割は他の市町村がつくったものとほとんど同じであると言ってもある意味で当然ですが、2割から3割程度は、これは札幌市の自治基本条例だと思われるような、そういう条項が含まれている方が理想的だというふうに思われるわけであります。これが第2番目の目的であります。  第3番目の目的は、自治基本条例の制定を通して、今進めている分権改革をさらに促進することにねらいが込められていると思います。つまり、地方自治法から始まり、地方財政法地方税法あるいは地方交付税法地方公務員法等々、自治体の運営を縛っている国法があるわけですけれども、これがかなりきつい縛りになっておりまして、全国の都道府県市町村はかなり画一的な制度を強制されているわけであります。そして、その解釈にかなり厳格な縛りがかかっている。その中で、どこへ行っても同じような運営をしているのですけれども、もっとそれぞれの街にふさわしい自治の運営の仕方はないのか、それぞれの街には、地方自治法で縛られているよりも、もっと別のやり方をした方が自治の運営としてうまくいくような面があるのではないか、そうであれば、地方自治法以下の解釈、国の法令の解釈においても、ぎりぎり許容されるところまで自分たちの工夫を生かしていく、そういう工夫をまず凝らすべきだということです。さらには、むしろ将来の国の法令の改正を求めて、新しい試みを自治体として始める、そういう意欲というのが自治基本条例の制定の中には含まれているというふうに思われるわけです。  過去に、情報公開制度についても、自治体情報公開条例の方が先行したわけでありまして、国が情報公開法を制定するのはずっとおくれているわけであります。あるいは、環境アセスメントの制度についても、自治体の条例の方が先行しているわけで、国の法律が整備されたのはそれよりはるかにおくれております。こういうふうに、自治体が先行して制度をつくっていくという伝統は一つあるわけで、今度は、自治の仕組みそのものについても、自治体側から新しい仕組みを提案していくような芽を自治基本条例の中に含ませたいという思いがそれぞれの自治体にあるのではないかと考えられます。  ぜひ、自治基本条例をおつくりになるときは、そういう現状を突破していくような新しい制度を一つでも二つでも盛り込んで、突破口を開いていくことに貢献していただければというふうに思うわけであります。  さて、以上は総論でありますけれども、自治基本条例をつくっていくときに一番重要なことは、実は議会についてどういう規定を置くかということです。このことこそが、自治基本条例制定におけるかぎになっていると思っているわけであります。  三重県四日市市などの場合には、四日市市民自治基本条例というものを制定しておりますけれども、これは、四日市市議会イニシアチブをとって、市議会自治基本条例案をつくって制定していったという珍しい例であります。これは理想的な形態だと私は思います。自治基本条例をつくるという運動は、まず市議会から出てきてこそ本当だと私は思います。ぜひ、議会がどう行動するかが最も重要な点なのだということをご理解いただければと思います。  さて、多くの市町村の場合には、議会がイニシアチブをとるという形ではありません。市民の中からそういう要求運動が出てくるとか、あるいは、首長の方から自治基本条例をつくりたいという声が出てきて条例案がつくられていく、議会は、それを受けて審議、議決する、そういう形態の方が多いわけであります。  その際、市民が検討会をつくって素案をつくりますと、議会に対する注文というのが非常に多いわけです。議会というのは一体何をしているのだろうか、本当に生きているのだろうかという疑問、もっと活発に活動してもらいたいという声、そして、もっと市民の声が敏感に反映されている機関であるべきだと。少なくとも、市政をめぐって、市民の間にいろいろある意見というものが、市議会の中で必ずそういう意見が出ていて討論されている、自分たちが抱いている疑問が確実に議会の中で議論されている、そういう議会であってほしい。もっと端的に言えば、首長や職員機構以上に市民に密着した議会であってほしい、こういう期待があるわけです。  しかし、どうも議会はそういうふうに動いていないのではないだろうか。そして、議会の状況というのは意外に公開されていないのではないだろうかと。例えば、かなりのところで情報公開条例をつくっていたとしても、それは首長部局に適用されていて、議会には適用されていないという自治体もあるわけでありまして、もっと議会が情報公開を積極的に行っていくべきなのではないか、さらには、議員の報酬の問題から政務調査費の問題に至るまで、もっと公開をしてもらわなければいけないのではないかというような声が次々と市民の中から出てくるわけです。  そこで、自治基本条例をつくるのなら、議会に関する条項を具体的に細かくずらっと並べたいというのが市民の要望であります。特に、検討会議に公募の市民などを入れてやりますと、公募の市民の人たちの声というのはそこに集中するといっても言い過ぎではありません。そういう声がどんどん沸騰してくる。私が三鷹市で経験したことでもそうでありますが、そういうふうになるわけであります。  しかし、ここが市民にとっては非常に大きな悩みどころであります。議会について、さまざまな注文をつけて縛りたい、これを守ってもらいたいと思うのですが、それをずらずらと並べて、そういう条例案をつくって議会に出したときに、議会が可決してくださるでしょうか。猛反発を起こすのではないだろうかと。議会側にすれば、市民にあんなことを言われて、我々はそのとおりやらなければいけないのか、もう一つの対等の代表機関であるはずの首長から出てきたものを甘んじて受けなければいけないのか、我々の行動まで首長の提案で縛られるのか、それを考えただけで腹が立ってくるというところもあるわけです。  そういうことを考えると、市民は、ここは難しいところだと思わなければなりません。議会の活性化への高い期待があって、その期待に基づいてさまざまな規定を置きたいという気持ちがあるのですけれども、置き過ぎると議会で否決されてしまう、否決されたら自治基本条例は成り立たないということになるわけであります。最後の生殺与奪の権を持っているのは議会なのです。ここに受け取って通していただかなければならないわけです。そうすると、少し穏やかにしておいた方が通過するのではないかということになっていくわけですね。細かく書きたいという期待と、最後は議会に議決してもらわなければいけないという現実がありまして、議会についてどの程度のことを書くかということで揺れる、そこの判断で市民の声も揺れていくという状況にあるということであります。  そこで、議会の方には特にお願いしたいわけですけれども、こういうふうに住民の日常的な参加を、どういうレベルであれ、一層拡大していこう、深めていこうという提案をすると、地方議会の議員から出る声は、それは議会軽視なのではないかと。既に議会という代表機関がきちんとあるのだ、選挙の洗礼を受けた我々が正式な住民の代表者なのだ、そのほかにそういう市民参加の経路、ルートをつくっていくことは、結局、議会を迂回していく、バイパスするルートをつくることなのではないかということで、議会軽視につながるのではないかという声がしばしば出るわけです。いわば、市民参加住民参加への警戒心というのが議会の方々には非常に強いというふうに感じています。  しかし、私からのお願いは、市民参加住民参加への警戒心というのはぜひとも捨てていただきたいということです。もちろん、地方議会の議員さんたちは選挙で正式に選ばれた代表者です。しかし、すべてのことを代表することは不可能です、札幌の人口のすべての声を100人足らずの議員さんがすべて代表するのは不可能でありまして、市民の中にはさまざまな声があるわけです。そういう声をいかに酌み上げるかということに議会は努力しなければならないわけです。  したがって、これまでの住民参加論市民参加論というのは、専ら首長の諮問機関に参加していく、首長とその傘下にある職員機構審議会とか諮問機関に市民が参加していくというのがほとんどでしたけれども、そうなると、ますます議会以外に市民参加ルートができるというふうにお感じなると思うのですが、私は、この際、議会に対する市民参加住民参加を徹底的につくり上げることにぜひ知恵を絞っていただきたい。住民参加市民参加をするのは、首長に参加することだけではないのです。もう一つの代表機関である議会こそ、市民参加住民参加の大きな拠点であり、広場でなければならないわけです。それをこれから組み立てるのだ、それが今回の自治基本条例の最大の課題だというふうにお考えいただきたいと考えるわけです。  そういうことから言いますと、先ほど申し上げたように、本当は議会についてさまざまな注文をつけたいのだけれども、議会に議決していただくために遠慮するということが全国各地で起こっているわけで、議会について細かな規定を置いた自治基本条例というのはなかなか生まれておりません。私自身が参加した三鷹市の自治基本条例もそこまで踏み込めておりません。議会の方の反発がかなり強くあり、最初から細かくなかったのですけれども、最終的にでき上がったものは概括的な規定だけになったといういきさつがありまして、ここを突破するのはなかなか難しいことなのです。  しかし、つい最近、北海道の栗山町では、議会基本条例自治基本条例ではなく、議会のことだけを決めた、町議会のことについてだけ決めている栗山町議会基本条例というものが制定されました。私もこれを拝見しましたけれども、これは、今までのものの中で議会に関する規定が最も詳しい基本条例ではないかと思います。私は、議会に関する限り、細かな点についてはいろいろ議論すべきところはありますが、かなり理想的な線を行っている議会基本条例ではないかというふうに思っています。  そもそも、自治基本条例というものが、北海道ニセコ町から始まりましたけれども、議会に関する自治基本条例としては、再び栗山町が全国最先端モデルとなってこれから全国に影響を与えていくだろうと思うのです。この二つのモデルを既に北海道から発しているということです。北海道の最大の都市である札幌市が、ぜひともこれにおくれないような自治基本条例を制定していただきたいと、私としては強く希望しているわけであります。  そこで、実は、市民の中に、議会についてのさまざまな声、注文、批判があると申し上げましたけれども、これは、全国レベルでも議論をされ始めていることであります。第28次地方制度調査会というのは、ことし2月に道州制に関する答申を出して解散いたしましたけれども、その前の昨年12月に、地方公共団体の自主性・自律性の強化に関する答申というものを別個に出しております。この中では、いろいろなことに触れられていますが、一つは地方議会をどう変えていくかという問題について触れているわけであります。  既にご承知のことだと思いますけれども、第28次地方制度調査会の昨年12月の答申では、地方議会問題についての冒頭で、現在の地方自治法その他現行法の枠内でもできることがまだたくさんあるのに、自治体の議会はそれをちっとも生かしていないということを書いているわけです。例えば、議決権限議決事件の範囲です。議会が議決すべき事項の範囲というのは、一応、地方自治法に決まっていますけれども、さらにそれ以外のことも議会自身議決事件を拡大することができるという条文がある。しかし、それを使って議会の権限を拡大している地方議会はそう多くないというのが現実なのです。そんなに議会の権限をもっと強化しろとおっしゃるならば、この条文を使って自分で拡大すればいいではないですか、それを一つもやってはおられないではないですかということをまず指摘しているわけです。  さらに、傍聴者が傍聴しやすいようにというようなことも含めまして、夜間・休日議会を開催するといったような工夫、これはいろいろなところで始めていますが、もっと広く行われてもいいことではないかと思われる、それは現行法のもとで幾らでもできることだ、しかし、それを実践しておられるところは決して多くはないと言っています。  さらに、参考人制度も既に決めていますし、公聴会制度というのもある。それぞれ若干使いにくいところがあることは事実ですけれども、参考人制度公聴会制度というものをもっと活発に活用しようと思ったら幾らでも使える手段であるのに、そう使ってはいない。これをもっと使ってくださいということをまず言っているわけであります。  そういう説教じみたことをまず言っております。しかし、それだけではない。確かに、現行制度にはまだいろいろ問題があるので変えていかなければならないということも言っておりまして、地方6団体の中でも、議会関係全国都道府県議会議長会全国市議会議長会全国町村議会議長会という3議長会から、議会に関するさまざまな改革要望案というのが提出されておりましたので、そのうちの何点かについて議論がなされ、今回、制度を改正すべきだという答申になったということがあります。そして、これらは、さきに終了した国会の中で、地方自治法の一部改正として既に実現してきていることであります。  まず、従来は、地方議会常任委員会を設けたときに、議員はどれか一つの常任委員会に所属する、1人一つの常任委員会という規制がありました。しかし、これを、3議長会からの要望に沿いまして、全く撤廃する、1人の議員さんが複数の常任委員会に所属しようと自由である、それぞれどういうルールで常任委員会を構成するかということは各地方議会のお決めになることだということで自由化をいたしました。  さらに、従来は、国会の常任委員会委員会自身が議案を提案するという権限を持っていますけれども、地方議会委員会にはそれが与えられていなかったわけです。議員が何人か集まって提案する、それはあります。しかし、委員会として提案をすることは認められていなかったのですけれども、これも認めましょう、委員会が議案の提案主体になることも認めていきましょうということになりました。  さらに、議会にも専門委員というものを設置することができることにいたしました。これは、長の側では専門委員を置くことができる規定があるのですが、議会側にはそういう規定はなかったわけです。参考人を呼ぶ、それは自由だ、公聴会を開くのも自由だ、しかし、議会に所属する専門委員を設置するということは認められていなかったのですが、それを認めましょうということになりました。議会が、さまざまな有識者から意見を吸い上げるために、議会が専門委員を抱えようというときはそれをやってよろしいということになりました。  さらに、専門委員というのは一人一人に委嘱されるものですけれども、複数の専門委員がいたときに、この専門委員が合同して会議を開くことも構わないということであります。ということは、議会が審議会に類するものを設けることができるということです。長の側がさまざまな審議会を設ける、しかし、それに対抗して独自の審議会を持ち、有識者を集めて、議会の立場からさまざまに検討してもらおうという審議会を設けようと思ったら、事実上できるというふうに変わってきているわけであります。  さらに、もう一つ問題になりましたのは、定例会は条例で大体決まっておりますからきちんと招集されるわけでありますが、定例会定例会の間に臨時会を開くときには、これまで、議会の招集は首長がするということになっておりましたので、議長の意向で招集することはできない仕組みになっていたわけです。議員が何人か以上集まって請求すれば、開かなければならないということはありますけれども、議長が請求したら開かなければならないという規定はないわけであります。しかし、今回は、議長に、首長に対する臨時会招集請求権を付与する、議長から臨時会招集請求があったときは、首長はこれを一定期日内に招集しなければならないというふうに首長に義務づける、そういう規定、制度を設けようということになったわけです。  3議長会から要望されていたことは、このほかにもまだいろいろあったのですが、今回、取り上げられた主な点は以上のようなことであります。  さらに、注目すべきことは、今回の答申の中で、将来の検討事項として地方議会会期制というのが本当に必要なのかということが検討しなければならない事項に浮上してきております。定例会とか臨時会というのは、すべて会期を前提にしているわけであります。これも国会の制度に倣っているわけですが、その必要があるのだろうかと。特に、基礎自治体である市町村議会の場合には、議会というのは年じゅう開かれている、そして、毎週定例日に議会が開かれているようなことの方が、基礎的自治体の議会のあり方としては健全なのではないかという考え方がありまして、会期制はむしろやめたらいいのではないかという声があります。  この点をめぐっては、そう簡単に意見が合いませんで、少なくとも小規模な町村はそうしてもいいのではないかと。したがって、これは引き続き検討するということになっておりまして、直ちに法改正することには全くならないのですけれども、これまで全く問題にならなかった会期という制度、これを見直すべきなのではないかという声が出てきているということは非常に重要なことだと思います。これからの地方議会あり方を考える上で、非常に根本的で重要な点だというふうに思われるわけであります。  こうしたさまざまな制度改正が既に国のレベルで行われ、地方自治法改正が行われていくというふうに、地方議会をめぐる状況というのはどんどん変化してきております。今自治基本条例をつくってきた自治体も、この点ではむしろ国の法改正におくれているかもしれません。もっと国の法改正を促すような積極的な議会のルールというものを、自治基本条例ではぜひ決めていくべきではないかというふうに考える次第であります。  もう1点、地方議会の責任というのは非常大きくなってきているということで、地方債の問題についてちょっと触れさせていただきたいと思います。  地方債の許可制度から協議制度への移行ということが本年4月から始まっています。これは、私が参加した地方分権推進委員会の第1次勧告のときから問題にしておりまして、地方債の許可制度を廃止しよう、そして、協議制度に移行させようということを勧告したのです。しかし、当時は、財政再建をしなければならないということで、財政再建の集中改革期間というものが設定されていたような時期だったわけです。したがって、地方債の許可制度をやめるのは、財政債権集中改革期間中はいささか問題があるのではないかということで、その間は留保する、その期間が明けたならば協議制に移行することになっていたわけです。その期間が平成18年3月をもって終了しましたので、これに合わせて約束どおりことしの4月から地方債の許可制度を廃止して協議制へ移行することになりました。  ところで、この改正によりまして、すべてどこの自治体にも許可制がなくなったかというと、決してそうではありません。実質公債費比率という新しい概念が出てきていますが、実質公債費比率が18%以上の自治体、つまり借金が極めて大きい自治体は引き続き許可制度の対象とするとされています。  それでは、実質公債費比率が18%以下の自治体は一体どういうことになるのかといいますと、この中で、地方交付税の交付団体が、政府資金を当てにして起債をするときには総務大臣と財務大臣の協議が要るということなのです。しかし、地方交付税を受けていないという不交付団体はこの協議も不要ということになっています。全く自分の判断で起債をしてよろしいということになっているわけです。さらに、交付団体であっても、政府資金を当てにした地方債を発行するときは協議が要るということなのでありまして、政府資金を当てにしないような縁故債であるとか市場公募債を発行するときであれば、協議は一切不要である、自治体の判断で自分でできるということになっているわけです。そのとき、国との協議は要らない、しかし、地方議会に報告しなければならないということになっているわけで、それをチェックするのは議会ですよ、それぞれの自治体地方議会ですよというふうになっているわけであります。  さらに、地方債の発行に関する許可制度がなくなったということには、もう一つの重要な意味があります。これまでは、地方税について、標準税率よりも高い税率を課すということを超過課税と言いました。超過課税は一定限度の範囲で認められているわけですけれども、逆に標準税率以下に減税する、税率を下げることをしようとしますと、これは税法上で禁じられているわけではないのですが、そういう標準税率も課税しない、それ以下しか取らない自治体に対しては、地方債の発行を許可しないという制裁措置を講じてきました。ここで、わずかな減税をするよりも、地方債を発行できなくなる方が自治体の財政にとっては被害が大きいですから、したがって、どこもそれをしないで減税を差し控えることをやってきたわけです。  しかし、今回、許可制度がなくなるということは、減税を行ったときに許可しないという制裁手段がなくなったということです。したがって、減税が可能になるということです。増税のみならず、減税もした方がいいかどうかというのは、地方議会が判断する重要な問題になってきているということであります。  そういうことを含めまして、従来に比べ、地方議会の責任は一段と重いものに変わりつつあるわけであります。そこで、そういうことを踏まえて、自治基本条例の議会に関連する条項をぜひとも充実したものにしていただきたいと思います。  以上、一般論を述べましたけれども、札幌市の方からは、札幌市自治基本条例素案について各種の資料をお送りくださいましたので、私も、一応、一通り目を通させていただきました。そうしましたところ、市の方がつくった自治基本条例素案というのは、市民自治を進める市民会議というところから出た最終報告書、自治基本条例に関する報告書におおむね依拠して作成されているものというふうに理解いたします。そして、全体として言えば、全国各地でつくられてきた自治基本条例と横並びに比較してみれば、おおむね無難なできばえだというふうに評価できるのではないかと思います。  しかし、私個人の観点から言えば、議会に関する規定は余りにも概括的な規定にとどまり過ぎているのではないか、議会にはもっと踏み込んだ規定が設けられるべきではないかという意味で、この素案には不満を持っています。せっかく北海道ではもっと先進的な事例も出てきているので、ぜひとも、もう少し前進した条項に変えていただけるものなら変えていただきたいというふうに思っています。  その他、若干のことについて、私が感じたことだけ申し上げておきます。  住民投票制度についての条項、要綱がございまして、これを見ますと、現在の素案では、市長に対して住民投票への付議権を与えるという住民投票制度になっているわけでありますが、果たしてそれがいい制度なのだろうかということについては、疑問を持ちます。  例えば、先ほど例を挙げました栗山町の議会基本条例の場合にも住民投票制度についての規定を置いております。住民が今まで既にある直接請求権を行使して、条例の制定・改廃の直接請求をして、その中に住民投票の条項を盛り込んで、これを議会に議決していただいて、住民投票に持っていこう、そういう従来から可能な制度があるわけですが、栗山町は、それ以外に新しくつくる制度として、議会がこれを住民投票にかけたいと発案したときはかけられるという制度をつくっているわけです。ここは、住民投票にかける主体は議会なのですね。決して長ではありません。札幌市の素案は、市長に与えているのです。  住民投票制度というものをどこまで制度化すべきかという問題は、私はかなり慎重に考えた方がいい問題だと思っていますけれども、仮に設けるのならば、果たして長の判断でかけることを許していいのだろうか。むしろ、こういう問題は必ず住民投票にかけなければならないのだという事項をあらかじめはっきりと決めるというのなら、そのことについて、市長が提案者として住民投票を行うというのはもちろん問題ないのですが、何であれ、市長の判断で住民投票に持っていけるということは、私は危険を伴っている制度ではないかというふうに思います。  ここは、行く行くご検討いただくべきところではないかと思います。  もう一つ、細かなことで、まだ十分な詰めがなされていないのだとは思いますけれども、現在の素案では、住民投票の結果を尊重する義務を課されているのは議会と市長という表現になっています。これは、よくよく考えた上でそうしておられるのかどうか、私にはよくわかりません。  しかし、ここで議会と市長とお書きになったならば、教育委員会等は明らかに外れます。しかし、教育委員会に関連する住民投票というのはおおよそあり得ないと思っておられるのか。あり得るのではないだろうか。ほかにも行政委員会がいろいろあります。そういうことにかかわる条例というのもあり得る。そのとき、尊重しなければならないのは市長だと言ったときは、行政委員会は尊重義務がないのかという問題が起こります。  ここは、どういうつもりで議会と市長とお書きになったのかわかりませんが、よく趣旨を検討しなければいけないところではないかと思います。  もう一つだけ申し上げます。札幌市の素案の中では、市という言葉がしばしば使われています。市は、というふうに書かれるわけであります。後の方に出てくる解説文を見ますと、ここで言う市というのは、市長その他の執行機関のことを指している、こういう説明がついています。つまり、ここでは、行政委員会等もみんな含めて、市長、教育委員会、何々委員会、全部含めた執行機関のことを市と言っているのだと書いてあるわけです。  しかし、それにしては変なのではないかと思う箇条書きがいろいろあります。行政運営の基本というところには、市のやらなければいけないこととして、その文章の中で条例の制定改廃まで出てきます。しかし、市が本当に市長その他の執行機関なのならば、これはおかしいのではないか。条例を制定・改廃するのは市議会です。決して市長ではありません。市長が案をつくって出すということはあり得る。しかし、あくまでも条例を制定・改廃するのは議会なのでありまして、もしそうであるのならば、市の定義がおかしいということになる。市というのは、市長等の執行機関と市議会双方を含めたものを市と言っているのだと言うなら矛盾はありません。しかし、ここの市がこういう定義だとすれば、こういう中に条例の制定・改廃が出てくるのは不適当な表現ではないかと思います。  さらに、もう1点だけ申し上げますが、札幌市は長期総合計画というものを持っておられるようですけれども、この総合計画の策定は、この案で言えば市長の専権事項になっています。従来、そうだったわけですね。しかし、最近は、これを議会の議決事件に拡大しているところがかなりあります。総合計画は、最終的には議会の議決を要するというふうに変えてきているところが、先ほどの議会の議決事件をみずから拡大できるという条文を使って拡大してきている例の中には、ふえてきております。  ここを札幌市はどういうふうにご判断するのか、それは、市長が策定し、決定するということで、議会はかかわらないということがいい制度だと思っていかれるのならば、このとおりでいいわけです。しかし、議会はそこを変えたいのだと思っておられるのならば、これを認めてはだめです。そういうふうに、議会としてもう少し慎重にいろいろお考えになるべきところがあるのではないかというふうに感じました。  細かいことはその他いろいろありますが、一応、私からのプレゼンテーションは以上にとどめたいと思います。 ○五十嵐徳美 委員長  ありがとうございました。  西尾さんには、本日、大変お忙しい中をお越しいただいておりまして、本日の委員会は2時開会、おおむね2時間の範囲で、参考人のご意見をいただく中で質疑をさせていただきたいと思っております。  この後においては、各議員より質問を受けたいと思いますので、よろしくお願いいたします。 ◆横山光之 委員  遠路をお越しいただき、詳しいいろいろなお話をいただきまして、心から感謝を申し上げたいと思うところであります。  大変深い学識にまずもって敬意を表したい、こう思うところであります。  たくさんいろいろお話しを伺ったものですから、どこから聞いていいかと思っていますが、まず1点は、住民自治住民参加を進めるために自治基本条例が必要である、さらに、街の伝統と個性を伸ばすというのが2点目である、そして、国の制度に対する地方からのいろいろな提案という意味での分権改革の促進、この三つが先生のお考えになっている自治基本条例における大きな役割であるというふうに伺いました。その中身については、それぞれ十分に根拠を持ったご主張である、こう思っているところであります。  しかしながら、私どもが思っておりますのは、自治基本条例でなければ、今、先生が話された三つの目的が効果的に実効性を持って実現することができないのだろうか、あたかも魔法のつえのように、自治基本条例さえつくればそういったことが効果的に行われる、あるいは、自治基本条例をつくらなければそういったことがうまくいかないのだ、こういうふうに聞こえるのであります。これは、先生のご真意かどうかはわかりませんが、私は実はそのように感じているところであります。  札幌市は、昭和22年に初めての民選の市長をいただいて以来、市民の声を大切にしながら、札幌という歴史の浅い新しい街でありますけれども、この街をすばらしい街に発展させるために、市民とともに、行政も力を合わせて頑張ってきたところでありまして、それについては札幌市民も大きな誇りを抱いております。そして、世界のどこの街に比べても、外国から来た人から、みんな、大変美しい、住みやすい、すばらしい街だというふうにお褒めいただくような街をつくってきた、こう思うのであります。  そこで、実は、この自治基本条例があたかも魔法のつえのような存在であるかのように言うことによって、いろいろな市民に誤解を与えたり、過剰な期待を与えたり、実効性を伴わないものをあたかも非常に効果的な制度であるかのような期待を与えるのではないかと懸念するところでありまして、先生は、自治基本条例についての実例もいろいろご存じかと思いますので、その点を伺いたい。  また、ニセコ町の例も挙げられましたけれども、政府の調査では、条例はできた、立派な町長が国会議員にもなった、けれども、街は何も変わっていないという市民の声が過半数を占めたというふうに伺っております。それから、私ども議会の当委員会も、私ども自民党も、先例都市である川崎市を訪れて、川崎における自治基本条例のその後の市民への浸透度、あるいは、市政がどのように変わったかということを伺ってまいりましたが、その実効性については、作文をした市の職員は盛んにいいことだったのだと言いますけれども、だんだん現場の末端の方におりてくるに従って、その効果については余り目立ったものはないのだということであります。  それは、やり方の問題もあったり、街によって違ったりして、一概に言うことはできないかもしれませんけれども、魔法のつえではないということを私どもは主張しているのでありまして、この点について先生のお考えを伺いたいというのが1点であります。  次に、住民投票についてであります。  先生も各所でおっしゃっているようですが、私どもは、180万市民のうちの有権者みんなが参加して市政について議論をしたり決定したりすることは物理的に不可能であるということで、代表者、間接民主制のもとに、議員や市長を選んで市政の運営を任せているということであります。その議会について、先生から甚だ厳しいご指摘がたくさんあり、これは、我々も、日ごろ、選挙民からも議員は何をやっているのかよくわからないとか、議会とは何をやっているところなのですかと言われることもありまして、決して的外れなご意見とは思いません。私どもも、心して先生の今のご提言、夜間に議会をやったらどうだとか、そのほか、市民の目から見てわかりやすい議会運営、権限ももっと議会みずからが主張してというお話しもよくわかるわけであります。  我々は、選挙民からそうやって選ばれて、札幌市政について議会でいろいろなことを決定したりと、大統領制でありますので、行政権は市長に属しておりますけれども、私どもは、市長が誤りを起こさないようにチェックする、あるいは、もっといい施策が行われるように議会として提言すべきであるという権限を与えられているわけであります。我々は、市民の負託にこたえて日々頑張っているわけであります。  しかしながら、間接民主制ですので、私も、議会制度というものについて市民の抱いている隔靴掻痒感、どうしても靴の上からかいているような、時にずばりと自分たちの意見が反映されていないというふうに考えることがあるのは理解できます。したがって、私個人といたしましては、そういった間接民主制を補完するという意味における住民投票制度というのは、地方自治あるいは民主主義にとって有効な手段の選択肢の中に加えてもいいのではないか、こう思っているところであります。  しかしながら、あくまでも、やはり市民みんなが、ふだんから忙しい仕事を抱えながら、しかも、こんなにたくさんの市民がいて、それが市政に直接タッチすることはできないわけですから、原則は議会がその役割を担うと。住民と住民の意見が真っ二つに割れたとき、市民意見が対立したとき、あるいは、地域エゴといったような問題でどうしてもその地域が納得しないといったような問題が起きたとき、あるいは、思想とか世界観とか人生観にかかわるような、各党派で決定できないようなそういった問題について住民投票が行われることがあっても、それは制度的に担保することに意味はあると思うのであります。  しかし、原則を曲げてしまうような、何でもかんでも住民投票で決めてしまえばいいというようなやり方は間違いである。なぜなら、住民投票というのは、白か黒かの結論しかありません。我々が議会で白か黒か結論を出すときには、長時間にわたって、ここにおります各会派がみんなそれぞれの意見を述べ合い、そして、その条例案なり政策について、長所と短所を慎重に議論して、市民の皆さんにもそれをお示ししながら、そういう中で結論を得ていくわけであります。ですから、白か黒か、一発で決める住民投票には大きな欠落がある、欠陥がある、しかし、十分に議会で議論をして、その上で市民の意見が真っ二つに割れたときに、最後の手段として間接民主制を補完する直接民主制的な手法として住民投票も有効ではないかというふうに考えるわけであります。  ちょっと話が長くなりましたけれども、住民投票について、先生のお考えをいま一度お伺いしたい。  以上いっぱい聞きたいことはありますが、以上2点、よろしいでしょうか。 ◎西尾勝 参考人  まず、第1点目ですけれども、自治基本条例は魔法のつえか。魔法のつえではありません。これさえあればいいのかとおっしゃいました。これさえあればいいのだということは、およそあり得ないわけです。自治基本条例をつくったら、それで市政の運営そのものが今までとは違う状況になっていかなくてはいけないのです。したがって、多くの場合の自治基本条例では、これまで既に情報公開条例もちゃんとつくっております、個人情報保護条例も制度として完備しています、オンブズマン制度もつくっていますというようなことであれば、それに関連する条項というのは置かれますが、既にもう整備していますから、今のところ、これ以上やることはないわけです。将来、さらにそれを発展させることはあるかもしれませんが、今、一応できている。それだけ並べたのなら何も変わらないのですね。現状を確認した自治基本条例ということなのです。だから、そこに、必ずこの自治基本条例の制定を通して新しい発展を図ろうという運動が込められていますから、この自治基本条例をもとにしながら、新たにこういう条例をつくっていきますというのが、数本、大抵は予定されていることが多いです。  今度の札幌の場合も同様ですね。正確にはわかりませんが、市民活動促進条例のようなものが予定されている、あるいは、住民投票制度をつくるなら、そのための条項をちゃんと設けなくていけない等々、自治基本条例が制定されたら、それをきっかけにして次にやっていかなくてはいけないことがあらかじめ幾つか予定されています。それをちゃんと整備していくことによって、一段と札幌市政の水準を上げようということが考えられている。  しかも、この自治基本条例は、一定期間ごとにちゃんと見直していこうという精神で札幌の場合もできています。私がつくった三鷹市の場合も同様です。市民自治などというものは完成状態があるわけではなく、どこが最後の段階だというのはあるわけではないので、永遠に進化していくものなのです。将来にどんどん進歩していくべきものですから、今問題になっていなくても、次の段階ではこういう声が出てきて、こういう制度をつくるべきだというような声が必ず出てくる。そのとき、そういう時代の新しい雰囲気に合わせて発展させていくものでなければならないというふうに思うわけです。  ですから、新しい芽を持っているし、将来に向かって常に伸ばしていくものなのだ、発展させ、展開させていくものなのだという性質のものをつくることが重要なのです。これが、起動力になって動くことが重要なので、これをつくったらそれで終わりなどという自治基本条例では全く意味がないということです。ですから、これさえあればいいというのではなく、その次の動きが既に込められているものでなければならない。  それでは、これがなければだめなのかと言われると、ここは、正直言ってなかなか難しいです。今言ったように、今回、自治基本条例で新たに予定しているようなものは、別個にきちんとできていけばそれでいいのではないか、自治基本条例などというものをつくらなくても、そういうものを次々と充実していけばそれでいいのではないかという問題があります。その点に関しては、そのとおりです。  しかし、自治基本条例というのは、その自治体最高規範であるもの、国で言えば憲法に相当するものであるという理解でつくっておりますから、これは、市長や市議会のような今の代表機関だけではなくて、できれば、望むらくは、全市民が議論をして、そういう議論の中からつくりたい、全市民的な論議を踏まえてつくっていきたいという理想を持っているわけです。ですから、この自治基本条例は、できればいいというのではなくて、つくっていくプロセスそのものが物すごく大事なのです。これまでにも、考える会、その前にも2年間ぐらい何とかの会というのがありましたね。札幌は4年間ぐらいそういう検討を続けてこられたと思います。これから、これがさらに条例案の形式にまでなっていく間にまだ時間があるのだと思いますけれども、さまざまなところで市民の討議の場というものをつくっていかなければいけないと思います。そういう討議の輪を広げていったところで議会が議決する、そういいうつくり方にしてもらいたい、そうでないと意味がないのではないかというふうに思っています。  第1点目については、以上です。  第2点目の住民投票制度のことについては、大筋で、私は横山議員のご意見とほとんど食い違いません。基本は、特に札幌市並みの規模のある自治体となりましたならば、日常は間接代表制で運営していく以外にありません。それが基本だということはそのとおりであります。ですから、住民投票制度というものを導入するとしても、あくまでも補完的な使い方になるだろう、何から何まで住民投票で決めればいいというものではない、そのことにはむしろかなりの危険を伴うということは、私もそのとおりだと思っております。  ただ、住民投票制度というものを使っている国は、スイスを初めとして、アメリカとか、これまでのところ、かなり限定されておりますけれども、今、住民投票制度を使っている国、州、自治体、過去に一度導入したことのある国、そういうところで使ったやり方、そういうものを全部見ていったときに、何から何まで住民投票にかければいいものではないのだというのは歴史が積み重ねてきた経験なのですね。  そこで、住民投票制度をつくるときは、二つの決め方があって、どちらかを選んでいる。  一つは、この件とこの件とこの件は住民投票にかけるべき事項であると、かけなければいけないものを決めていく。これは、ポジティブリストを決めるという言い方をします。  例えば自治体の廃置分合、逆の言葉で言えば市町村合併みたいなものです。合併するかしないか、自治体の基本にかかわる、どのレベルで自治体をつくるのかということにかかわるわけですから、そういう根本にかかわるようなことは議会の議決だけではだめです、そこの有権者全員の意思を聞いて決めるべきですというようなことから始まって、このことも最後は有権者全員の意向を確かめるべきことだというふうに考え、これを列挙する、こういう決め方をするところがあります。こういう決め方をして、例えばそれが5項目でも10項目でも20項目でもいいですが、それだけ並べたとします。すると、そこに書いていないものは反対解釈になります。住民投票にかけるべき事柄ではないという話になります。  これはかけなければいけないと決めますと、それ以外は少なくとも市の方からかけるということはない。そこでもう一つ、今あるような直接請求で住民が請求してきた場合に、それを認めるか認めないかという余地の問題はありますが、一応、これはかけると言った以上、それ以外のものはかけないもの、こういう解釈になるわけです。  そこで、それは非常に不便だということになりますと、今度は住民投票にかけるのがふさわしくない事項を並べようということになります。こういう決め方をしている国々というのがあります。これは、ネガティブリストを決めるということですね。これはいけません、これは住民投票にかけたら難しい問題を起こすから外しますとのけるわけです。そうなると、それ以外のことであれば、住民から請求があったら住民投票にかけるか、議会が決定したら住民投票にかけるか、市長が出したいと言ったらかけるか、そういうことで許容される範囲というふうになります。  どちらかの決め方になるのですが、これを決めていくときに非常に難しいのですね。どうしてそれがかけてはいけない対象になるのかと議論していくと、限りなく難しいです。そして、少なくともそういう決め方をするときは、その自治体の権限に属している事柄だということが当然の前提になります。そうすると、札幌市が、市長が決めるとか市議会が決めたらできることを市民にどっちがいいのか聞いてみようという方式ですから、北海道が権限が持っていることとか国が権限を持っていることは投票の対象事項にならないというのは当然の前提になってしまうのです。  しかし、今、厳密にいうと難しいですが、全国あちこちで、直接請求で条例を議会に議決していただいて、住民投票まで持っていって、その住民投票は拘束力のある住民投票ではなくて、諮問型の住民投票、一応、市民の意見を聞いてみましょう、しかし、その結果が出たら、市長や市議会はその声を尊重して決定すべきだ、こういう形で実際に運用されている住民投票がたくさんあります。その中には、市に権限がないものについても問うているものがあるわけです。県に権限がないものを住民投票で問うているというのもあるわけです。そういうものは、おおよそ認められないということになってしまうのですね。そういうふうに、住民投票を法制化していこうとぎりぎりと議論して決めていくと、今まであちこちで行われてきたことが許されないものになる可能性があるのです。ここが非常に難しく厄介な問題です。  したがって、私は、法制化というのは余り急がない方がいいというふうに思っています。今のように、住民の直接請求で、しかも尊重するという緩やかな諮問型の形でさまざまな実験が全国で行われている。巻町で原発を設置するのがいいかどうかという投票が行われた。沖縄県で、米軍基地の縮小か否かという投票が行われた。あるいは、徳島で河口堰の設置が必要か否かという投票が行われた。権限があろうとなかろうと、住民投票が行われたら重大な効果を持つのですよ。そして、国の決定に影響を与えるのです。そして、これが生きてきたという事実は全国にいろいろたくさんあるのです。しかし、なかなか難しいな、こういうものを本当に住民投票で決めていっていいのだろうかという迷いも生じます。さまざまな実験が全国で行われているわけです。私は、この緩やかな形の実験をもう少し自由に続けている方がいいのではないか、住民投票というのは、どういうときにどう使うことが一番有効なのか、どういうときには非常に難しい問題になるかということを、国も県も市町村も国民も、みんなが学習することがまだまだ大切な時期であり、余りかたい制度をつくらない方がいいと個人的には思っています。 ◆横山光之 委員  住民投票制について、私も先生のお考えに近い考えでありまして、そういうふうに伺っておきたいと思います。  いま1点、自治基本条例でなければさっき挙げられたような目的を果たせないのかということについては、それは、自治基本条例ではなくても果たすことができないとは言えないというお答えだったと思います。ただし、自治基本条例があって、それが住民自治についての最高規範であると、市長がかわっても、その街にとって、その条例が住民自治の規範として生きていくのだということが、先ほど挙げられたような目的を果たす上で効果的なのではないかというのが先生のお考えというふうに伺ったわけであります。  そこで、1点だけお伺いしたいと思います。  最高規範性について、本議会でも、当委員会で、最高規範と言うからには、普通の条例よりも制定が困難である、あるいは改正手続が難しいとか、つまり、他の条例よりも上位法であるという形式的な、あるいは手続的な担保がないと、最高規範と言うには差しさわりがあるのではないかということが議論されてきたのであります。同じ手続で制定される条例が、法的効力として最高である、他の条例より上であるということの説明が法理論的になかなか難しいのではないかという点についてお伺いいたしたいと思います。  そして、私は、市長がかわれば、前の市長のやり方は間違っていた、私はこういうやり方でやりたいという場合に、住民自治のやり方といえども、新しい市長が新しい考え方の住民自治のやり方を提唱し、これを市民が支持したときに、最高規範なのだ、市長がかわってもこれはそのまま維持しなくてはならないというのは納得がいかない。  憲法であれば、内閣がかわっても、国会議員が選挙でかわっても、この憲法を尊重しなくてはなりません。なぜなら、憲法は、最高法規としての手続的、形式的な規範性を担保されている。だからこそ、日本国憲法は我が国における最高規範である、こう思いますので、市長がかわっても、10年先、20年先、30年先の市長を最高規範だと言って縛るのは、先ほど見直しもできるからというお話もありましたけれども、この最高規範性について、以上2点においていささか疑問なしとしませんので、それを最後の質問としたいと思います。 ◎西尾勝 参考人  これは非常に重要な論点なのですね。あちこちの自治体で出ている問題です。私が参加した三鷹市でもさんざん議論された問題でした。最高規範ならば、制定の手続、改正の手続が通常の条例より厳しくあるべきなのではないかという議論です。それで、初めて最高規範らしいものになる。例えば、議会の単純多数決ではなくて、3分の2以上の特別多数決を要するとか、さらには、日本国憲法を改正する場合には、ご承知のように、両院の3分の2以上の議決に加えて、国民投票で過半数の可決を得なければならないという要件がついているわけです。ですから、それと同じように、自治基本条例の制定に当たっても市議会の特別多数決を求めるべきではないかとか、その上でさらに住民投票にかけるべきではないかという主張者がいました。一つの意見なのですね。改正するときも同様だというのも一つの意見なのです。
     しかし、一つは、それをやっていると、なかなか制定できないのではないかという現実問題があります。それから、改正も極めて困難になるのではないかという問題があります。  今、先ほども言いましたように、自治基本条例はこれが理想的な姿、ここまでいけば完成した姿などというものは、まだだれも持っていないのです。いろいろな実験が繰り返されながら、どんどん進歩していくものだと思うのです。時代とともに変形していくべきものだと思うのです。それを、余りかたい手続にしてしまうと、変えられなくなってしまうという不便さがある。むしろ、柔軟である方がいいのではないか、通常の条例の制定・改廃の手続と同様でいいのではないかというふうな議論が片方にありまして、三鷹市の場合には柔軟な方にしました。かたい手続にはしませんでした。  これは、憲法の問題でも同様でありまして、改正しにくいものをかたい憲法、改正しやすいものをやわらかい憲法というふうに言うわけです。今あるアメリカ合衆国憲法は理想の憲法になっている、人権を余すところなく保障している、これ以上つけ加えるものがないくらい完成した姿を示している、あとは、ひたすら政府にこれを守らせることが大事、違反をしたら最高裁判所が違憲判決を下して、それは憲法違反であると否定してくれる、そういう理想的な憲法だと考えている人はかたい憲法であることを望むのです。容易に変えられないものの方が理想なのです。  しかし、これは、どう考えても理想のものではない。いずれ、もっと理想的なものに近づけるために改正を要する、きっと改正が必要になるときが出てくるだろうというものならば、かたい憲法にしてしまうと不便なのです。これは、やわらかい憲法にしておかなければならないという問題があります。  ですから、でき上がった中身について、これが理想形だと思われるかどうかということが非常に大きく左右すると思うのですが、私は、今起こっている自治基本条例についてはそんな型はでき上がっていないと思っているのです。緩やかである方がいいというふうに思っていまして、その制定・改廃手続を特別な要件にしない方がいいのではないかと個人的には思っています。しかし、そうすれば最高規範性が一層明確になりますねということは、そのとおり、おっしゃるとおりであります。だから、必ず繰り返し論じられている問題だということになります。  それから、市長が交代するたびに改正を要することになるような条文は余りつくらない方がいいのですね。これが邪魔だとかというものは、余りつくらない方がいいのです。つけ足していく方は構わないと思うのですよ。こういう問題が出てきた、こういう問題についても新しい原則をちゃんと入れていこうというふうな改正はいいと思うのですが、この条項はやめてしまおうとか、総合計画の改定と同じような感じで自治基本条例が改正されるのは余り理想的なことではない。やはり、だれが考えてもこれだけは当然だろうと思う大原則をまず踏まえて、徐々に発展させるというような形態で、市長がかわったからといって、新しく発展させるための提案をしたいというのは起こるかもしれませんが、どうしても我が信条に反するので自治基本条例の改正から始めなければならないというような自治基本条例は余り適当な条例ではないのではないだろうかというふうに思います。  ただ、憲法のことにも触れられておっしゃいましたので申し上げますが、日本国憲法も、改正については確かにそういう特別な手続になっています。しかし、制定したときは、大日本帝国憲法、俗に言う明治憲法の改正手続で帝国議会だけでやってしまったのです。ですから、憲法の制定のときも、常に特別な手続で決めてきたとは限らない。しかし、改正は厳しく絞ったということなのですね。当時の制定者はかなり理想的な憲法だと思ったのでしょうね。 ◆大嶋薫 委員  きょうは、本当にありがとうございます。  とりわけ、先ほど具体的に栗山町の議会基本条例にも触れられまして、今後、市民から注目を浴びる要点というのはここにあるのだというご指摘、また、条文のそれぞれにかかわって何点か、議会と市長部局、あるいは市民との関係についての具体的なご指摘もありまして、これからまだまだいろいろな議論を経て、自治基本条例というものをそれぞれが自分たちの身近なものにしていかなければならないという感慨を改めて持たせていただきました。  既に、横山委員の方から、大もとの点、これから議会等でも重要な論議になる大きな柱についてのやりとりがありましたので、私の方からは、三鷹市での制定にかかわってのいろいろな議論も詳しく読ませていただきまして、本当に真剣な議論を踏まえてつくられた三鷹市の条例について、実際にはこれから試されるというふうにも思うわけですけれども、その点も踏まえて、2点だけお伺いさせていただきたいと思います。  1点目は、これは、先ほど例がありました川崎市で調査活動をさせていただいたのですが、いわゆる住民自治という基本の問題を考えたときに、政令都市ですから、制度的に一番身近なところで決定権を持つ行政区に分かれています。基本的には、市民はいろいろな形で移動しますけれども、区に住居を定め、そこに住んで、環境の問題、福祉の問題等々含めて、そこのサービスの中からいろいろな問題を発見したり、あるいは、こうありたいということで提案したり意見を言ったりしていくのだろうと思います。当然、決定権を持つということで、決定権のいろいろな範疇はありますけれども、そうすると、制度上、区議会というものを持たない中で、政令都市の中での分権ということで、一方で自治基本条例を定めて、札幌市が国に地方分権を訴えていく、あるいは主張していく、あるいは実践していくときに、やはり足元からの分権をどのように進めていくのかということがこれから大きな課題になっていく。  その中で、川崎市は区民会議というものを設置して、これはスタートしたばかりですから、これからその中でのいろいろな課題等も見えてくるのだろうと思いますけれども、議会を持てない、あるいは、区民評議会、区民会議、いろいろな表現がありますが、いわゆる行政区の中で自治というものを進めていく上でのイメージといいますか、西尾先生は現状の中でどういうふうなことを考えておられるのか、そういうイメージがもしあればお教え願いたいということが1点です。  それから、もう1点は、参加と協働ということが一つのキーワードになっています。当然、いろいろな仕組みをつくり、情報公開もその一つの大事なツールですけれども、住民参加あるいは市民参加のいろいろな仕組みをこれから整備していく、充実していくということが大前提にあるわけです。その中で、基本的に、札幌市の行政を支えている職員の今後の役割といいますか、この自治基本条例を、職員一人一人がどのように意識し、みずからの行政サービスの規範として職務に当たることができるのかということが大きなかぎになってくる。そのときに、意識改革というふうに単純に言われるのですけれども、上から建前的に意識改革を起こそうとしてもかなり難しい部分があるというふうにも思っています。先生の論文の中で、職員機構を市民化し、職員機構と住民の間の壁を薄くする努力が肝要であるというふうに書かれた部分がありまして、これは、一般的な民営化論云々ということとは全く別の視点で、自治体職員の今後のあり方そのものにかかわってくるのかなという気がしています。ここで先生が表現している考え方、あるいは、すぐに実践云々とはならないのかもしれませんけれども、先生の中でイメージする壁を薄くする努力ということについて、どのような手法あるいは考え方で可能なのか、職員の今後の役割ということも含めてお教えいただきたいというふうに思います。 ◎西尾勝 参考人  第1点目は、行政区単位の住民自治あり方というご質問なのではないかというふうに理解しました。  私は、すべての政令指定都市がそうかどうかはわかりませんけれども、300万人をはるかに超えている横浜市を初めとして、かなりの数の政令市は相当な規模に達してしまっている、基礎自治体としては過大な規模に達しているのではないかというふうに感じていますので、市のレベルだけの住民自治で果たしていいのだろうかという危惧は持っています。したがって、現在の行政区の区域を、東京23区のように、区議会を持って自治権を独自に持っているような自治区にするかどうかというのはかなり大問題だというふうに思っていまして、その中間として、行政区の単位にもう少し小さな自治の単位をつくっていくことがあり得ないだろうかという発想は持っています。札幌にそれが適しているかどうかは、私にはわかりません。けれども、一般論として、そういう制度の検討は必要だというふうに感じていました。  したがって、第27次地方制度調査会のときに、町村合併問題も絡んでいましたけれども、地域住民自治組織論というのが問題になりまして、結局、地域自治区とか合併特例区という新しい制度が設けられました。このときの地域自治区にしろ、合併特例区にしろ、合併する市町村に特別に使われるという制度がまずあるわけですけれども、合併のあるなしにかかわらず、既存の市の各単位地区に地域自治区というものを新しく設けるという一般制度としての地域自治区というのも同時に創設されたのですね。  私は、これは非常に不十分な制度ですけれども、一歩前進かなというふうに思っています。こういう地域自治区のような仕組みを政令市の行政区の単位に使ってみるというのは一つの工夫だと思っています。  ただ、私が一般制度としての地域自治区というものを発想したときは、ある意味ではもうちょっと柔軟なことを考えていました。札幌市は10区ありますが、例えばそのうちのAという区では、住民の方から盛り上がってきて、ぜひとも区民会議をつくりたいという声が出てきて、そして、地域自治区に認めてもらいたい、一定の自治権を札幌市から移譲されて区の単位でやれるようにしてほしい、また、区議会に当たるようなものとして区民会議というものをつくりたいというような声が出てきたならば、札幌市議会がそれを認めればAという区にはそれができる、しかし、B、C、Dはそんなことはしないというのもいいのではないか。つまり、ある地域から要求が出てきたときにそれを許容してそこの自治を認めていく、そういう自治を請求する権利を住民の側に認めるべきではないかという発想が私にはありました。  それを受けて、市議会がそれを認めればということなのですね。市議会が条例をつくって、全区にそういう自治区をつくろうというようなことだけではなくて、下から発想して下から要求して、それにこたえて自治を認めていくという制度もあった方がいいのではないかと思った。そのときは、当然ながら、そういう要求をした区だけに認めるわけです。そういう要求のないところには認めないということになるわけです。それでいいではないかというのが私の発想でした。  しかし、地方自治法の改正で出てきた地域自治区というのは、つくるのなら全区につくれということになっています。そうでないと、法の平等に反すると内閣法制局の参事官が言うのだそうです。うるさいのだそうです。絶対認めないと。自治権を与えるのであれば、全住民に平等に認められるべきだということに頑強にこだわったというのですね。これは、地方自治の発想に全く反していると思うのですが、そうだったと。設けるのはいいけれども、設けるのであれば全区に設けろ、こういうことになってしまったというのが、私の最初に考えていたこととずれた一つの大きな点です。  それから、正式の小さな自治体なのだということになるならば、それを区議会と呼ぼうと、区民会議と呼ぼうと、名称は何でもいいのですが、そこに出てくる代表者は、公職選挙法を適用した選挙できちんと選んでくるということも、やりたければ認める。そういうかた苦しい制度はやりたくないというなら、別のやり方をして、区長が選任するのか、市長が選任するのかわかりませんが、そういうやり方でもいいというのならそういう柔軟なやり方もあるでしょう。しかし、きちんと代表者として出てくるからには選挙でいきましょうというならば、公職選挙法に従った選挙もできるようにしたいというのが私の考えていたことでした。  しかし、これは自民党の中に強い抵抗がありまして、一切だめだ、これ以上地方議員みたいな人をふやすなと言うのですね。それで選挙制というのは認められなくなって、市長の選任制になってしまいました。私は、ちゃんとした自治ならば、ちゃんとした責任を負い得る体制をとった方がいいのではないか、少なくとも、とりたければとれるようにした方がいいのではないかという発想でしたが、それは取り入れられなかったというか、変えられてしまいました。  そういったこと等々、私の理想から言えば遠く離れている制度ですけれども、やろうと思えば、地域自治区という制度を使っていけるというふうになったことは一つの進歩なのではないか。これをどういうふうに独自の工夫を加えながら各市で使っていくかということが、これからの課題なのではないかと思っています。  それから、職員機構と市民との壁というお話です。  私は、自治体の職員の場合、常勤職員がすべての市のサービスを担うような体制は、だんだんとれなくなるし、ますますとる必要がなくなるのではないかという発想を持っていまして、常勤の職員と市民という対置ではなくて、1日置きに職員として働くとか、毎日、半日職員として働くような市民、そういう職員形態がもっとふえていいのではないかと思っているわけです。特に、基礎的な自治体の職員の場合には、その余地を開いていった方がいいのではないか。純然たるボランティアとして協力して働く人もいる、いわゆるアルバイターとして働く人もいる、非常勤の嘱託のような形で働く人もいる。職員ですと5日間、最低42時間以上働かなければまともな常勤の職員として認めないというのが今の公務員制度ですけれども、そうではなくて、そういう公務員という概念を、少なくとも基礎自治体ではもう少し崩していって、1日置きに週3日しか働きませんとか、毎日午前だけしか働きませんとか、そういう職員形態を許容するような制度にしていった方がいいのではないか。日中においても半分市民で半分職員というような形態にした方が、市民に対するサービスももう少しいろいろ柔軟にできるのではないかというふうに考えています。  そういう中間段階があっていろいろな形が出てきますと、職員と市民という発想そのものがどんどん消えていくのではないかと思っていて、そういうイメージで職員と市民の壁をできるだけなくそう、低くしようというふうに書いたと思います。あるいは、語ったと思います。どこから引かれたのか、確かにそういうことを言ったか、書いたかしたことがあります。どこか忘れていますが、そういう趣旨でございました。 ◆高橋功 委員  きょうは、お忙しいところありがとうございます。  私からも、今までの質疑に重複しない範囲でお伺いしたいと思います。  まず、基本的な話で恐縮ですが、市民の声を聞きますと、例えば選挙でも言います。多分、みんな言うでしょう。市民の声を聞いてという話は、だれも否定しないのです。とんでもない、市民の声なんか聞くななんて言う人はいないわけです。  けれども、私は、市民の声の市民とは何だといつも自問しているのです。実は、これは大変難しいと思っているのです。市民とはだれだということになると、町内会や自治会だけが市民ではありません。先ほどの先生のプレゼンの中で、例えば、自治基本条例の中で、議会にかかわることでつくってもらいたいことがいっぱいあるのだ、けれども、条例というのは議会を通らないと意味がないから、遠慮して言うことの半分も言えないみたいなお話がございました。それは、ある意味、当然と言えば当然かもしれません。確かに、通らないと意味がありません。日ごろから意識を持って、市政とか街づくりとか、自分たちの地域ということについて意識を持って考えている人、これは、当然そういう発想になるし大事です。これは、もちろん市民です。  ただ、札幌市全部を回っているわけではなく、物理的にとりわけ自分の選挙区に限られてきますが、私が見る限り、統計をとったわけではなく、誤解されますけれども、そういう意識を持って常に物を考えておいでになる方は少ないと思っているのです。圧倒的多数の市民は、声を上げられないか、どうやって上げていいかもわからないか、今の市長の名前すら知らない方とか、言い方は変ですが、僕はそういう方が多いと思っているのです。しかし、そういう方々も、当然、市民ですね。  先生は、先ほど、議会はすべてを代表しているのではないのだ、そんなのは不可能だ、だから、できるだけ声を吸い上げるのが議員の役割だというお話をされまして、私も全く同感ですが、そういう声なき声といいましょうか、どうしていいかわからない人たちの声はどこが吸い上げるべきだとお考えでしょうか。私は、それこそが議員の役割の最たるものだと思っているのです。ある意味、声を上げられる人とか、声の大きい人とかは、ほうっておいても、議員を通さなくても、何ぼでも声が上がってくるのですね。でも、そうでない人の声は、どこで、どう、だれが吸い上げるのだということについて、先生はどうお考えでしょうか。  それはしょうがないのだ、声を出さない人が悪いのだ、声を出さない人は市民としての本来の資格がないのだというふうになるのか、ならないのか。言い過ぎかもしれませんが、この点についてお伺いしたいと思います。  それから、私は地域自治組織についてもお伺いしようと思いましたけれども、ほとんど大嶋委員と重複しますので、これは避けます。  住民投票についても、私がお聞きしたいことは幾つもありましたが、重複しますので避けますけれども、先ほどからあったあらかじめ投票にかけるものを決めておく、決めておかないと。まさに常設型ということですね。  市民会議の最終報告の解説を読んでいくと、市民会議の皆さんの思いはどうも常設型を望んでいるように私はとれます。常設型条例の必要性について検討する必要があるということですから、もちろん報告にはどちらとも書いていなくて、条例ができたらしっかりと議論していきましょうという書き方です。  これは、先ほどから出まして、よくわかりました。先生も、どちらかというと慎重なお立場なのかなというふうに私は理解しましたが、先ほどあらかじめそのテーマについて決めておくというお話の中で、10個決めたら、それ以外のことはいいのかとなりますし、かけない方を決めたら、それ以外はどうだという話になるから大変難しいと思います。ただ、先ほど自治体の合併とかということがテーマとして一つ考えられるというお話がありましたので、ほかに問うべきテーマが具体的にあるとすれば、ここでまた例を出すと、それ以外は要らないのかということになるかもしれませんが、あえて、先生のお考えの中に少なくともこれはあるのではないかということがもしありましたら、ご教示いただければと思います。  もう一つは、地方分権ということが言われていて、地方公共団体の責任領域の拡大に伴って、当然、我々議会のあり方が問われているわけでございます。先ほどの先生のお話の中にもあったとおりでございます。  そこで、政務調査費のことにも文言としてちょっと触れられました。我々も選挙で選ばれました。市長、首長ももちろん選挙であります。議決機関たる我々の役割は執行機関の首長に対して基本的にチェック機関だと。市長、執行機関と伍してやりとりするには、私の感じでは、予算とスタッフと情報は市長、執行機関の側が圧倒的に持っているわけですよ。そこに伍してやるためには、ある程度、我々議員に、政策立案とか、そういう機能の充実を図るための担保というのは必要だと私は思います。個人の議員の力量だけに余り頼るのはどうかというふうに思うのです。  そういう意味では、私は、政務調査について、市民の皆さんから、領収書の公開のこととか、どちらかというと金目の話で、それは議会の側にも多分の責任があるのかもしれません。今まで、こういうことでやっていますということの責任が十分でなかったことはあるかもしれませんが、もっと、私は、政務調査の必要性とか政策立案の担保ということで、人が動けばお金がかかるし、物事を何かやろうとすればある程度の予算は必要なのだということを、例えばこの自治基本条例にうたうとかうたわないとか、これはいろいろ議論があるかもしれませんが、そのことはまた別なのか、このことの是非もお伺いさせていただければと思います。 ◎西尾勝 参考人  市民とはだれかというのはいろいろな議論の仕方があると思うのですけれども、お尋ねになったことは、いわゆる声なき声をどうやって吸い上げるのかという点にご質問があったのかと思います。  これは、本当に声がなければ、議員でも吸い上げられないのではないでしょうか。声を出していないのですから。聞いて歩いて何か言うのであれば、それは声を出しているのですよ。本当に声なき声であれば、だれも吸い上げられないのではないでしょうか。  でも、そういう人がいるからこそ、あえていろいろな調査をしているのですよ。市民に対するアンケート調査というのもそうですね。これも答えないという人、わからないと言って自分の意見を明示しない人もいますので、そこでも依然として声なき声はできてしまいます。  しかし、通常、自分からは話をしない、しかし、調査票を持ってきたら丸だけはつけるというふうに意思表示してくださる方はいらっしゃるのですね。市の方も、いろいろな形でそうやってアンケート調査などをやっているのは、発言している人だけのことでは判断を間違うと思うからこそやっているのだと思います。そういう各種の調査というのは、それを引き出すためのものなのだと私は理解しています。  ただ、私は、参加論として大事なのは、声なき声が大事なのではなくて、声を上げているのだけれども、聞いてくれない、届かない、あるいは、声を上げたいのだけれども、どこに上げたらいいのかわからない、そういう参加意欲を持っている、問題を意識している人たちが、本当にここで語ればいいのだとか、ここで語れば聞いてもらえるのだという実感を持てるか持てないかが大事なのだと思うのです。日常、多くの市民は、そんなに市政に関心を持たず、参加もしません。それは、幸せなことに、札幌市政はほうっておいてもほどほどに何とかなっているだろうと思っているのです。自分がぎりぎり関心を持って何かをしなくても、そんなに変なことは起こらないだろうという安心感で黙っているだけなのです。  しかし、札幌市長がとんでもない悪政をなさったら、一挙に声を上げてきますよ。とんでもない、市長は何を狂ったのだということがあったとすれば、今まで黙っていた市民の多くが一斉に声を上げます。だから、本来、無関心なのではないのですよ。ほどほど、何にも言わなくたって何とかいくだろうと思っているから積極的に参加しないだけなのです。そういう人は、市政の状態についてそういう認識なのです。  しかし、もっと物を言いたい人というのは問題を感じているのですよ。批判ではなく、もっとこうしてほしいという要望にしろ、何か問題を抱えているのですよ。言いたいことがあるのです。この言いたい人たちに、ちゃんとルートや場がつくられているかが市民参加論住民参加論の重要なところなのです。  私は、その比率が全市民の5%しかなかった、1割でしかなかった、それでもいいのではないかと思うのです。時によっては、それが25%までふえるかもしれない。多くの人が発狂するように関心を持つかもしれません。しかし、そのときに、それにちゃんと受け皿が用意されている、ルートが開かれていることをきちんと保障することが自治としては最も肝心なことであり、あえて黙っている人をしゃべらせることはないのではないかと思います。  次に、常設型住民投票制度をつくるとして合併というような例を挙げた、ほかにないかとおっしゃったわけです。  正確に言えば廃置分合なのでありまして、合併に限らず、分割するとか、境界を変えると言えば同じようなことであるというのはまず当然です。それ以外に、通常は合併に伴いますけれども、市町村の名称を変えるかとか、あるいは、市役所の位置というのは現在も特別多数決を要求したりしているのです。そういうことは市民に問わなければならないかもしれないというのがあります。  そういう事柄のほかに、市長と市議会という二元的な代表制をとっているときに、二つの代表機関である市長と市議会の意見が違って真っ衝突をしてデッドロックになっているような場合、これは有権者の判断を仰ごうということにせざるを得ないケースはあるのではないだろうかと思います。どうしてもかけなければいけないということは、そんなにはないのではないかと思います。  それから、3番目ですが、おっしゃるとおり、予算とかスタッフとか情報と言ったならば、首長の機構に圧倒的に集中しているというのはそのとおりだと思いますけれども、その監視の役割を握っている議会議員の方は、だからこそ情報を集めるということにもっと積極的にならなければいけないのだと思うのです。市長に伍して機能しなければいけないというのですから、何十人の知恵だけで伍するというのは難しいのですよ。  だから、先ほど市民の中の声を吸い上げるのは議会の役割だと言いましたけれども、市長に働きかけた、部長に働きかけた、課長に働きかけた、しかし、非常に冷淡だったと不満を持っている人はいるのです。これは、ほかに聞いてくれるところがあれば、何とかしてもらえませんかともっとしゃべりますね。議会はこれを聞かなくてはいけないのですよ。そういうのは、みんな議会に行きなさい、議員のところに持ってきなさいと、こういうふうに首長の方でそでにされたことでも議会へ行けば取り上げてくれるのだと思えば、議会は有効な機関になるわけです。  さらに、そういう声を聞くだけではなくて、市民はたくさん知恵を持っているのですよ。今は、社会生活の中でそれぞれいろいろな職業を経験してきた退職後の高齢者もいらっしゃって、それぞれの分野では皆さんよりももっとプロの人たちが市民の中にはたくさんいらっしゃいます。そういう人には、こういうことをしてみたらどうなのかとか、考えてみたらどうなのかといろいろな知恵があると思うのです。そういう知恵を持って個々の議員のところへ相談に来る人は、支援する人という形で使う方もあるでしょうが、ボランティアとして議会事務局の作業を助けます、会派を助けますという人がいてもおかしくありません。  国会議員の世界では、インターン制度をつくって学生を使っている人がたくさんいます。学生は経験してみたいのですね。議員の身近で議員が何をやっているのか見たいので、インターンに応募して、3カ月、議員のインターンをやりましたという人がいます。  札幌市議会の議員も、個々の議員でもそれは可能ですし、会派でも可能ですし、議会事務局でだって不可能ではないと私は思うのです。そうやってボランティアで働くような人がいたら、助けてくださいとどんどんおっしゃれば、そういう公募をなされば、相当な数が殺到するのではないでしょうか。私は、議会はそういうスタッフをつくるべきだと。必ずしもお金がなくてもできることはたくさんあるのではないでしょうか。議会はそういうスタッフを求めているのだ、ただで働いてくれる人を求めているのだと、広告してごらんになったら、私は、札幌だったら直ちに相当な人間が集まるのではないかと思います。そういう人たちに議論をさせて知恵を出させるというのが、市長部局と対抗していくときの一つの武器なのではないか。私は、そういうことを工夫してほしいと思っているわけです。 ○五十嵐徳美 委員長  2時間の前提で時間が押してきているものですから、できるだけ簡潔に願います。 ◆飯坂宗子 委員  きょうは、本当にありがとうございます。  段々の質疑もありましたので、私からは、確認の意味で3点質問させていただきたいと思います。テーマ的には若干重複するかもしれませんが、考え方を整理する意味でお聞きしたいと思います。  1点目は、自治基本条例自治体の憲法あるいは最高規範と位置づけられるということについてです。  自治基本条例についての定義というのは、全国的に見ましても、これというふうに確定的に定まったものはまだないというふうに聞いております。そこで、先ほど来、質疑もありましたけれども、日本国憲法というのは、第10章で最高法規というふうに定めておりまして、第97条から第99条まで、基本的人権は未来にわって守らなければならないとか、あるいは、国会議員や公務員はすべてがこの憲法を守らなければならないとか、ほかの法規はすべてこの憲法に違反してはだめとか、文字どおり、名実ともに最高規範だというふうに思うのです。  しかし、自治基本条例というのは、先ほど来、議論がありましたように、街づくりのルールの基本を定めるとか、あるいは、議会も含めて、市民が行政に参加するルールを定めるとか、そういうものであると。そして、8割方は全国共通で、2割方は市町村の独自性、個性を生かすものが望ましいという先生のお話でした。しかも、最高法規と言いながら、コンクリートのものではなくて、時代に即して見直しが必要である、だから柔軟な取り決めがよろしい、こういうアドバイスでした。  そうすると、憲法で言う最高法規と、自治基本条例で言っている最高規範といのはちょっと意味合いが違うのではないかと私はお聞きしたものですから、自治基本条例自治体の憲法あるいは最高規範と称していることについて、もう一度、整理する意味でお考えをお聞きしたいというのが1点目です。  2点目は、住民投票制度についてです。  これも、先生は、制度化については慎重にというご意見でした。ニセコ町を初め、先進的に条例をつくっているところでは、住民参加の項として、いずれも住民投票制度を盛り込んでおります。どういう制度にするかは別として、住民投票制度を市民参加の一つとして条例の中に文言として入れているというのが、今10市だけですけれども、共通して文言として入っているのですね。先生がおっしゃられるように、具体的にどういう住民投票制度にするのか、これは大いに議論の要るところだと思うのですが、自治基本条例あるいはまちづくり参加条例にはやはり必要だと私は思っています。ただ、実践的には慎重論が必要だというふうに私も思っております。  しかし、自治基本条例に入れる、入れないの話で言うと、やはり入れておくべきではないのかというふうに私は思うのですけれども、その点について確認の意味でお考えを聞いておきたい、これが2点目です。  それから、3点目は、議会と市民のかかわりについてです。  市民から見て、ガラス張り、もっと開かれた議会にということで、札幌市議会も会派間で知恵を集めてさらなる議会改革を進めるという方向には進んでおりますが、まだまだ不十分さはあると私は現状を認識しております。  そこで、議会というのは、4年に一度、選挙民が一票を投じて議員を選ぶ、まず、これが基本的な権利です。この投票率を上げるといいますか、選挙に行って自分の代表を選ぶ、この投票率がアップすること、それから、4年に一遍、選挙をしたら終わりではなくて、日常的には現行でも請願権、陳情権も保障されておりますから、市民の皆さんの市政に対する要望は議会にも集中します。請願だけでも、ことしを入れないで03年から05年の3年間で260件ほど出ていますけれども、陳情を入れればもっと出ています。こういうことで、市民の皆さんももっと活発に参加していただく。  それから、市議会では、上下水道料金あるいは交通料金の値上げなどのときには公聴会を開催して、賛成・反対両方のご意見をいただいて市民でも議会でも議論を尽くすということをやってまいりました。参考人の方に来ていただくというのは、私の記憶では、この財政市民委員会としては西尾先生を招いたことが多分初めてかなと思います。ですから、今ある制度を市民側からも議会側からも大いに使って、市民と議会とのギャップを埋め、よりよい市政をつくっていくために双方で大いに議論する場を設けていくというのは非常に私も賛成なので、結論として、いかに住民自治を促進して発展させていくかという点で、今ある制度の活用についてお考えがあれば聞いておきたいなというふうに思います。 ◎西尾勝 参考人  国の場合の憲法が最高規範だというのと同じように、自治基本条例は果たして最高規範だろうかというご疑問ですね。  それは、確かにそういう面はあるのです。と申しますのは、幾ら基本条例と銘打っても、条例なのですよ。ほかの条例も条例なのです。条例という意味では、議会の議決要件も同じだとすれば同レベルなのです。考え方として、自治基本条例にあることを原則として定めたならば、それ以外の条例をつくるとき、あるいは改正するときは、この自治基本条例に定めている原則に反しないようにちゃんと決めなければいけない、そうしてくださいという意味で最高規範ですと言っているわけです。  しかし、議会が何かの条例を決めてしまったとき、自治基本条例の第何条に違反しているのではないかと考える人と、何にも違反してないと言う人が出る。それは論争になるだけで、それに決着をつける仕組みがないのですね。国の憲法の場合には、最高裁判所が憲法に違反しているかどうかという判定権を持っている、そういう機構があるわけです。そこが、これは憲法違反ですと言ったら、その法律は無効になります。しかし、地方議会が定める自治基本条例と普通の条例のときには、この普通の条例は自治基本条例に違反しているから無効ですと宣言できる権限を持っているところはどこにもありません。そういう最後のチェック機関がないという意味では、国における憲法と同じような意味で最高規範性をきちんと持っているとは言い切れないというのはそのとおりです。  そうだけれども、考え方として、最高規範のように考えてつくっていこうという努力をしている。議会は、一たん決めたならば、それに反しないように条例を制定していくように努めましょうねと、こういうことなのです。今の地方自治制度では、それしか認められないからそういう努力をしているわけです。  だから、こういう運動を起こしている人の理想形態から言えば、アメリカのホームルールチャーターみたいな制度なのだと思うのです。アメリカの自治体の場合には、都市憲章と呼ばれるものを制定する。都市憲章は、まさに条例の上にある最高規範なのですね。これを住民投票にかけたりして制定しますけれども、名前もチャーターと言っていまして、日本では憲章と訳しています。だから、憲法らしい訳語になっているのですね。その下に条例が位置づけられるという形なので、そういう憲章制定権のようなものが日本の自治体に認められるならば、恐らく、名称は札幌市憲章、都市憲章をつくろうという話になったのだと思います。  しかし、今の地方自治法の中では、憲章を制定するという権限を議会の権限として認めていませんから、条例という名称にしておこうかということで運用している、こういうことです。だから、今のがりがりの制度の中の運用の工夫で一生懸命やっているのだと考えてください。  ただ、本当ならば、市民憲章などというものがありまして、ここでは憲章という言葉を使っているではないか、憲章の方がいいのではないかという議論はあり得ると思うのです。ただ、これまで自治体がつくってきた市民憲章というのは、それこそ、時間を守りましょうとか、美しい街にしましょうとか、こういう市民の倫理規範みたいなことを定めているようなものに憲章という言葉を使っていることが多いのです。そういうふうに前例が余り適当でないのですね。だから、今回のものを憲章というふうにはなかなかならなかった、むしろ自治基本条例という名称にしたらどうかということで動き出しているということです。  厳密に言えば、憲法の場合ほど完全な最高規範性が担保されないというのは、そのとおりです。  それから、住民投票制度は、どうであれ、ともかく自治基本条例をつくる以上はそういう条項を入れておくべきではないかというのは、私は、それは一つの意見だと思います。  三鷹市の場合には、市民側が提案したものは、結局、ほとんど落ちていって余り新しいことは加わらなかったのですが、住民投票制度についての条文が入っています。どこが現行制度と違うかといったら、請求権と投票権を18歳以上の住民にした、あるいは、一定期間以上、日本にいた永住外国人に請求権と投票権を認めている。普通の公職選挙法で言うところの有権者より、請求権者、投票権者を拡大しているというところがその制度の意味になっているのですね。それ以外、新しい意味は何もつけ加えていないという住民投票制度条項になっています。  例えば、そういうものであっても、今、直接請求で要求して条例をつくって住民投票をやるということに、札幌市はもう一つ工夫を加えて、範囲を拡大してしまおう、参加する人間をと、それはあり得るのです。現行制度を何も変えないけれども、参加する人間の範囲を拡大するというのは十分あり得ることだと思います。  最後は、今ある制度の活用です。  それは、おっしゃるとおりで、冒頭のプレゼンテーションでも申し上げましたけれども、第28次地方制度調査会の答申も、最初に、現行制度で利用できるものがたくさんあるのに、地方議会はまだ十分利用していないのではないかということから書き出していますが、全くそうなのではないか。だから、新しいものを要求することも大事ですけれども、その前に使えるものはみんな使ってみる努力をまずなさっていただきたいと思います。 ◆堀川素人 委員  本当にご苦労さまでございます。ありがとうございます。  先生にお聞きしたいのですが、僕がふだん言っている中で、行政というのは、10年計画を立てた、20年計画を立てた、今度、また新しい10年計画を立てる、こうやったときに、いつもそれまでの計画の総括をしないで次に移るわけです。今回も、先ほど言ったように、例えば自治基本条例をつくったからといって、それですべて丸だということでは全然ない。実際にこれにどういう力を与えるかということが大事なわけで、その目的のためにつくっていると思うのです。  その中身、仏つくって魂を入れる、この魂の部分というのは、過去の反省からしか出てこない、それから、今の実態の把握からしか出てこない。この反省と実態把握なしに条例をつくってしまうということは、条例をつくっても、その条例に力を与えられないものであると。今ある法制をフル稼働したら条例にうたおうとしているものはほとんど網羅される中で、実際にそれが利用されないで新しい条例をつくるということ、それで喜ぶということは、してはならぬことではないか、僕はこう思っているのです。  条例自体は、この条例をつくりましょうと言って突然始めた場合に、この条例がいいかどうか、必要かどうかといった場合には、僕は大変必要だと思うのですけれども、なぜこの条例をつくらなければならないかということは、しっかりした反省がなければならぬ、こう思っているので、三鷹市で条例に携わった中で、現実の制度、それから実態、この把握をどうしたのか、このことについてまず一つ聞きたいと思います。  それからもう一つは、先ほど言いましたように、今、札幌市では三つの条例をつくろうとしております。自治基本条例、市民活動促進条例、それから子どもの権利条例、この三つをつくろうとしていますけれども、市民の関心は極めて低いという現状にあるのです。共通しているのです。こういう中で、しっかりつくれば将来において極めて大事な役割を果たすであろうものが、こういう関心の低い状態の中で拙速に完成させてしまうという危険性を感じているのです。それは、先ほどの反省とも重なるのですね。反省をしながら、現状に合わせながらやったら、もう少し時間が必要である。こういう非常に関心の薄い状態でやっている、僕はこう思うのです。  高橋(功)委員とのお話の中で、先生がさっきおっしゃったのは、物を言わない人には黙ってもらっていてもいいだろう、意見を言う人には意見を言えるルートをつくらなければだめだ、では、意見は言わないけれども、理解する場というのもやっぱり保障しなければならないと思うのです。その保障はどうできるのか、三鷹市の場合はその場をどうつくってきたのか、このことについてお聞きしたいと思います。 ◎西尾勝 参考人  総合計画の改定、見直しのようなときに、前の計画の総括をしないというか、それと同じように、こういう条例をつくるときも、これまでやってきたことの過去の反省とおっしゃいましたか、実態の把握を踏まえなければいけないのではないかと。全くそのとおりだと思います。  三鷹市の場合にも、当然のことながら、情報公開条例の運用の状況はどうなのかとか、オンブズマン制度の実際の運用状況はどうなのかとか、地方議会というのは実際にはどういうふうに動いているのだと、数々の疑問が市民の中から出てきて、それに対して、市役所側はできるものは全部資料を出して現状の説明をして、こうなっておりますというようなことをやりながら、それならそれで問題ない、この原則さえうたわれればいいとか、ここは足りないから新しい制度をつくるべきではないかというように、一応、現状の把握と過去の反省を踏まえて調査、審議をしてきているのです。それが十分だと言えるかどうかはわかりませんが、それをやってきたと。  札幌市でも、考える会は考える会でそれをなさったと思うのです。資料がついたりしていませんけれども、いろいろな資料を市役所側に提出させて議論してきたのだろうと思うのです。  それに対して、議会がこれから審議するときに、現状をもう一辺きちんと説明しろと言って資料を集められればいいわけですね。それで、議会が議論をして、どこに不十分さがあるか、それを今度の自治基本条例でどうやって埋めていくのかということを議会はご議論すればいいのではないか、こういうふうに思います。  三鷹市では、そういうことをそのプロセス、プロセスでどういうふうに市民に伝えてきたか、関心を高めようとしてきたか。正直言って、三鷹市でも、一生懸命に広く市民の関心を高めなければいけないという意識はありましたし、その努力はしましたけれども、なかなか関心を持ってくれないですね。自治基本条例のことで集会をやろうとし、集まってきてくれる人の範囲、人数というのはどうしても限られています。  ただ、三鷹市役所としては、要綱が出たところ、素案になったところ、条例案になったところで、全文を市報に載せて全世帯に配っています。条例制定までの間に、3回くらい、広報紙で全世帯に配っています。それは努力しているのです。そして、その間に、シンポジウムとかワークショップとかいろいろやっています。それで本当にみんなが関心を持ってくれたかといったら、残念ながら、たくさん人は来たけれども、よくよく中身を検討してみると、市外から人が集まってきていて三鷹市民は120人でしたということになるのです。非常に情けないことですけれども、そういうことです。  これは、自治基本条例などと言ってシンポジウムをやっても、札幌市でもそう集まらないのではないしょうか。やはりとっつきにくいテーマだと思いますよ。たばこのポイ捨て条例の方がはるかにたくさんお集まりになるのではないでしょうか。それは、市民生活にもっと密着していますから。あるいは、風俗営業の何条例でしたか、札幌の独特の条例が制定されていますけれども、ああいうことをどうするか、どう思うかと言ったら、もっとたくさんの人がお集まりになるのではないでしょうか。それは、ダイレクトに市民が関心を持っているテーマだと思うのです。  しかし、市民活動促進条例とか、自治基本条例と言ってそれだけの人が集まるかといったら、やはり集まらないだろうと思います。それだけ、ある意味で言えば高級な話なのですね。 ◆堀川素人 委員  最後にいたしますけれども、今言うように、市民の理解が十分ではない、反応もない中で、今までのほかの法律、条例を駆使したならばできるようなこと、これをあえて条例としてまとめても関心が集まらない、最終的に僕はこういうことだと思うのです。そうするならば、慌ててそういう条例をつくるというのは、知識人とか、または市長の言うシンボリックなものをつくろうとする余りうれしくない話というのでしょうか、そういう動きと似ているような気がいたしまして、何か私がこれをつくったみたいな形なのかと。立派なものをつくったが、理解されていない、関心を持たれていない、今までのものを駆使すればできることをそのままにして、ある意味ではそれを認めるような形で前に進もうとしても、進まない。それよりも、僕は、もう少し時間をかけ、ありとあらゆる方法を使って関心を持ってもらう、このことに全庁を挙げて、全議会を挙げて取り組んで本当のものにしていくことが大事だと思うのですけれども、どうでしょうか。 ◎西尾勝 参考人  市議会が審議を始められてから、市議会に関する条項については市議会が一から考え直してもっと充実したものをつくると言って慎重審議をされ、延々2年間かかりましたといって、延びて、いいものをつくられたら、その方がいいのではないですか。議会のところは、ぜひとも議会が一生懸命議論して新しい条文をつくられたら、それは市民も関心を持ちますよ。議会はやっと変わり出したと思われます。市長が望んでいるような機関でおつくりになる必要など何もないので、議会は、慎重審議して、一生懸命研究するからもうちょっと時間をかせと言っておやりになって、栗山町までいかなくても、議会基本条例に近いものまでおつくりになったら、私は、札幌市民が相当な関心をお持ちになると思います。 ○五十嵐徳美 委員長  長時間にわたりまして、本当にありがとうございました。
     貴重なご意見を伺いまして、本当にありがとうございます。きょうの西尾さんのいろいろな参考意見は、これからの我々財政市民委員会の議論に大いに役立てさせていただきたいと思います。  本日は、参考人としてお越しいただきまして、本当にありがとうございました。  以上をもちまして、財政市民委員会を閉会いたします。     ――――――――――――――       閉 会 午後4時16分...