船橋市議会 1984-06-15 昭和59年第2回定例会−06月15日-03号
次が、建物は一つの大きな箱でなくて、周辺部落にマッチした自然に溶け込むような大神保の大屋根の民家のイメージを取り入れた。 次が、斜面の北部清掃工場側を利用いたしまして、沈んだ広場、外からアプローチできる屋上の庭園及び段々畑を考えました。また、特殊施設のイメージというものをできるだけなくすように明るい雰囲気をつくるということで、外部はかわら屋根、あるいは木製の窓枠を主体とした構造を考えました。
次が、建物は一つの大きな箱でなくて、周辺部落にマッチした自然に溶け込むような大神保の大屋根の民家のイメージを取り入れた。 次が、斜面の北部清掃工場側を利用いたしまして、沈んだ広場、外からアプローチできる屋上の庭園及び段々畑を考えました。また、特殊施設のイメージというものをできるだけなくすように明るい雰囲気をつくるということで、外部はかわら屋根、あるいは木製の窓枠を主体とした構造を考えました。
ちょうど八木が谷という部落は三十戸ぐらいで、豊富地区の中でも小さい部落として、ふえもしない、減りもしないということで長い間きた。それで、谷津田をはさむ二本の細い道があった。これは地域の生活あるいは農業、林業、そういうものの中の道路としては、三十戸なら十分であったろうかもしれませんが、何とその地区には人口約二百倍、六千世帯ぐらいが張りついてしまった。
当時いろいろな入り方で、各部落ごとに説明会を実施しながら、選出の議員さん方にもご助言、ご協力をいただいて、大方の目的を達成したわけでございますけれども、点々と了承できなかった積み残しの区間がございました。