船橋市議会 2019-10-25 令和 元年10月25日建設委員会−10月25日-01号
これは縄文時代のものだが、小室台地上にあるという意味ではこの前方後円墳も、それからこのバイオリン型土偶が出てきた小室上台遺跡も一体のものだと文化課では捉えていらっしゃる。なので、非常に古代の歴史において船橋市の中でも特に重要な場所なんだということが言えると思う。
これは縄文時代のものだが、小室台地上にあるという意味ではこの前方後円墳も、それからこのバイオリン型土偶が出てきた小室上台遺跡も一体のものだと文化課では捉えていらっしゃる。なので、非常に古代の歴史において船橋市の中でも特に重要な場所なんだということが言えると思う。
昨年度、取掛西貝塚だが、飯山満町と米ケ崎町にある全体で面積7万6000平米ある縄文時代早期前半、これは約1万年前の集落跡と貝塚ということになる。 船橋市では、この遺跡の重要性を鑑みて、国史跡指定を目指して、国や県の助言を受けながら、29年度から3カ年計画で確認調査を実施している状況である。平成30年度の成果としては、約1万年前の竪穴住居跡が42件あることが確認できた。
縄文時代後期の屋敷貝塚において、習志野市初の重要な出土品が発見されました。まだ文化財に指定されていませんが、指定文化財に匹敵する重要性を持っています。地権者の要望で、不本意ではありますが、きょうの時点では出土品の名称は伏せておきます。しかし、できるだけ早い時期に市民に公表し、市民が閲覧できるようにするべきです。今後、どのように研究・保存・活用を進めていくのか、伺います。
縄文時代後期の屋敷貝塚において、習志野市初の重要な出土品が発見されました。まだ文化財に指定されていませんが、指定文化財に匹敵する重要性を持っています。地権者の要望で、不本意ではありますが、きょうの時点では出土品の名称は伏せておきます。しかし、できるだけ早い時期に市民に公表し、市民が閲覧できるようにするべきです。今後、どのように研究・保存・活用を進めていくのか、伺います。
中でも、約1万年前、縄文時代早期前半の貝塚及び集落跡として全国的にも希少な取掛西貝塚につきましては、国史跡の指定を受けるため、今年度までに行った学術調査の結果を総括報告書に取りまとめて国に申請を行うとともに、調査の成果を市民の皆様に還元し、指定に向けた機運を高める普及活動を行ってまいります。
市立東松戸病院の裏側に下におりる階段があって、はあ、こんなところが今でもあるんだと、池の周りは傾斜地で人の手が入っていない原生林、縄文時代の原風景のようなところです。池底が長年の堆積のために底が上がり、表面がヨシやアシに覆い尽くされてしまい、湿地帯になっていて、暖かくなると蚊や害虫が大発生します。何とかならないかと住民の苦情をいただきました。
縄文時代から続く深い松戸の歴史を伝えるとのことです。 そこで伺います。 当時の暮らし、食べ物、道具、服装、遺跡など、その時代の特質的な文化を知ることができるこの事業について、具体的にお示しください。 (14)戸定が丘歴史公園について。 戸定が丘歴史公園の東屋に椅子の設置をしていただき、感謝申し上げます。
資料に触れて歴史を体験できる展示が、子どもたちに縄文時代から続く深い松戸の歴史を伝えます。 戸定が丘歴史公園は、徳川昭武とその兄・慶喜の資料を収蔵する戸定歴史館と、国指定重要文化財で名勝でもある戸定邸から成ります。この文化財を有効に活用し、美術、音楽、食文化と連携した五感に訴える展覧会、講演会、ガイドツアーなどを行います。
さらには、縄文時代になり、船の技術が向上したころには、北は現在の岩手県や福島県相馬市付近から出土する石でできた石棺、南や西では少し離れて神津島や広島県から出土する石でできた石棺が近接してこの四街道市で発掘されています。
師戸城址と印旛沼との境に市道がありますが、元印旛村で買い上げた2ヘクタールの土地に文化的な弥生時代、縄文時代の住居等の施設を建設し、観光拠点にしたいという考えなのですが、いかがなものでしょうか、お聞きします。 ○議長(藤代武雄) 髙橋環境経済部長。 ◎環境経済部長(髙橋政勝) お答えいたします。
本市は、西部の大地部 分を除いて、約6000年ごろの縄文時代には、海岸ないしは浅い海底となっていたところで、地 形上、水はけが悪く、また、新しく砂が堆積した比較的軟弱な地盤であるため、地震動が大き く増幅されやすく、液状化なども起こりやすい環境にあります。
次に、加曽利貝塚の史跡整備としまして、博物館を史跡外へ移転し、史跡内は縄文時代の景観を復元していく考えです。 また、史跡と史跡周辺の整備・活用方針について、現在策定しておりますグランドデザインの中で、方向性を定めまして、平成31年以降の整備につなげてまいりたいと考えております。
昨年度の成果としては、畑地の東半分全体に、約1万年前の縄文時代早期前半の集落跡が広がっていたことが判明したとのことである。 また、現地を視察した文化庁担当官、県文化財課からは、日本列島の中でも希少な価値のある縄文時代早期前半の大規模な集落跡と貝塚であるという評価を受けたとのことで、今後、国指定史跡の期待が持てる成果が得られたものと高く評価するものである。
教育委員会は、加曽利貝塚の史跡保存活用計画を策定しており、その中の縄文時代の植生を復元した景観に関する課題では、史跡内には景観にそぐわない建築物があり、施設外でも送電線の鉄塔があることなどが課題とされております。さらに加曽利貝塚周辺を取り巻く特徴として、戸建て住宅等が隣接していることもあります。
未調査の畑地である約5万平米を対象に、昨年は東半分を調査し、東半分全体に約1万年前の縄文時代早期前半の集落跡が広がっていることが判明いたしました。ことしは6月から9月末までの予定で、西半分を調査中でございます。 今年度の調査成果についてでございますが、昨年度の東半分に引き続き、西半分においても約1万年前の集落跡が広がっていることが判明いたしました。
また、本資料館の来館者数は年間約2,600人で推移しておりますが、これまで企画展として下総地区の4小学校の資料を展示した下総地区4小学校のあゆみ展、市の指定文化財となっている南羽鳥遺跡群で出土したムササビ型埴輪を初めとした市内出土の埴輪を展示した埴輪の世界展、市の無形民俗文化財に指定しております伊能歌舞伎の歴史を紹介した伊能歌舞伎展、千葉市の加曽利貝塚が国の特別史跡に指定され、縄文時代が改めて注目されたことから
高校の社会科の先生もこの間おっしゃっておりましたけれども、縄文時代からずっと授業をやっていくと、どうしても近代史のあたりは授業時間が足りずに終わってしまうんだというふうに嘆いておりました。憲法が掲げる人権とか平和、それから民主主義という、これは人類共通の価値だと思っておりますが、これがどうやって発展してきたのかということを、私は学びたいなというふうに思うんですね。
ところで、この取掛西貝塚は、縄文時代早期前半の約1万年前の遺跡であり、全国的に有名な三内丸山遺跡あるいは吉野ヶ里遺跡よりはるかに古く、関東地方最大級の縄文時代早期・前期の集落跡地として評価されている。 この我が船橋市にある大きな可能性を秘めた取掛西貝塚を保存整備していくことは大変重要であり、国の史跡指定を早期に受けることを強く期待している。
取掛西貝塚保存事業だが、この事業は、全国でも貴重な1万年前の縄文時代早期の貝塚である取掛西貝塚を、国指定を目指すに当たり、開発行為に先んじて保護するために土地を取得、管理するものである。 私は、国指定遺跡を目指すことも、必要な用地買収を行うことには反対ではないし、大いに期待をしているところであるが、先ほど船橋市が発行した「船橋市の遺跡」を読んで、幾つかの疑問が生じたので、お尋ねをしたい。