松戸市議会 2000-06-20 06月20日-05号
事件直後に同じ村内にあるチビチリガマ、これは沖縄戦で多くの方がなくなった濠、穴なんですけど、そこに地域の人たちがつくった平和の像がございましたのに、事件直後何者かに復旧できないほど壊されました。 学校で星条旗への礼を教えるアメリカ合衆国では、公衆の前で国旗を燃やしても、それが国旗であるからという理由では罪は問われません。
事件直後に同じ村内にあるチビチリガマ、これは沖縄戦で多くの方がなくなった濠、穴なんですけど、そこに地域の人たちがつくった平和の像がございましたのに、事件直後何者かに復旧できないほど壊されました。 学校で星条旗への礼を教えるアメリカ合衆国では、公衆の前で国旗を燃やしても、それが国旗であるからという理由では罪は問われません。
また、悲惨な沖縄戦の経験から、沖縄県内の首長を初め、各地の自治体の首長、議長が批判、懸念を表明しています。ガイドライン法について、憲法違反と思うかどうか、市長の所見をお伺いいたします。 峯岡自衛隊基地の影響、また亀田病院へのアメリカ海軍横須賀病院患者移送が昭和59年より行われていますが、こうした民間施設への協力を求められるものであり、公共施設や民間施設の利用に制限されることになります。
ただ,沖縄戦など数カ所の記述の部分のうち,731部隊に対してのみ検定結果を違法とする判断を示したと把握しております。 また,教科書の記述にどのような影響を及ぼしたかとの御質問でありますが,どのような歴史的な事象を教科書に取り上げるかにつきましては,執筆者や発行者の判断にゆだねられております。そして,各出版社は,独自の編集方針によって教科書を執筆し,検定を経て発行に至るわけであります。
それから、大和は沖縄戦に出撃するときに徳之島というところの沖で、敵の飛行機にやられまして沈みました。航空機がそれ以後どんどんなくなり、生産工場である、例として中島飛行機、太田というところにありますが、できたての飛行機が全部爆撃されたという話も聞いておりますが、もう飛行機はなくなり、工場では飛行機はつくれないと。戦争能力はすっかりなくなってしまいました。
51年前の悲惨な沖縄戦の体験から、多くの県民は、軍隊は決して国民の命を守らないと身にしみています。国土のわずか0.6%の沖縄に75%もの軍事基地を強いるのか、沖縄だけがなぜ犠牲にならなければならないのか、その解決を私たちに問いかけています。 政府は、基地の整理・縮小と沖縄の振興策について、基地がなくても生活できるように積極的に取り組むべきと思います。
これまでも広島、長崎の被爆、沖縄戦の写真展等を開催し、多くの市民に戦争の悲惨さ、平和や命のとうとさを訴えてきました。その1枚1枚の写真から、二度と再び戦争という過ちを繰り返してはならないとの決意をされた市民がたくさんおられると思います。1枚の写真には人間と社会と歴史が凝結しており、そこには戦争があり、平和があり、文化があり、そして命があります。
なお沖縄県側の裁判への準備書面の中にるるさまざまなことが書かれておりますけれども、大田知事自身、十代の青春時代に鉄血勤皇隊の一員として沖縄戦に巻き込まれました。目の前で多くの学友をはじめとする無数の一般住民が残酷に殺されていく姿に接して、みずからも九死に一生を得た沖縄の体験から、戦後は一貫して沖縄戦と沖縄近現代史の研究に没頭してきた学究の人であります。
1945年6月の沖縄戦終結後、アメリカ占領軍は、私有財産の没収を禁じた国際法に違反して、白地図に線を引くように一方的に土地を囲い込んで基地をつくり、1952年の講和条約発効後も、銃剣とブルドーザーで住民を追い出し、土地を強奪して基地を拡張してきました。米軍が占領法治下で強奪した土地は、1972年、施政権返還とともに本来県民に返されるべきものでした。
広島、長崎の被爆写真や唯一地上戦が展開された沖縄戦の写真等を他の平和事業に並行して展示をいたしました。 5つ目は、第9回黙祷と献花の会であります。広島に原爆が投下された8月6日の同時刻、平和祈念碑前で市民と被爆者でつくる「市民の平和祈念の日実行委員会」との共催により、犠牲者の鎮魂と平和を祈り、献花と黙祷をささげました。
そしてまた中身もこれまでのように広島、長崎の原爆のみではなくて、今年度は東京大空襲、それからまた沖縄戦等も含めてこの平和展を行ってまいりたいと考えております。 それから、庁舎前に平和都市宣言塔をという御質問でありますけれども、これにつきましては、現実的には庁舎につきまして庁舎の増築計画等もあるわけでありますので、やはりこの問題につきましてはそれの方向が定まった段階で考えてまいりたいと思います。
平和を築くために、それを阻害している飢餓や貧困や人権抑圧やエイズや麻薬などにどう対処していくのかということを考えなければならない」と、また、「日本人は、日中戦争を初め、沖縄戦、東京大空襲、南京大虐殺、731部隊などの歴史を全く知らない。反省の糧としての勉強をしてほしい」と述べております。
平和を築くために、それを阻害している飢餓や貧困や人権抑圧やエイズや麻薬などにどう対処していくのかということを考えなければならない」と、また、「日本人は、日中戦争を初め、沖縄戦、東京大空襲、南京大虐殺、731部隊などの歴史を全く知らない。反省の糧としての勉強をしてほしい」と述べております。
例えば,アウシュビッツ,広島,長崎,沖縄戦,東京大空襲,南京大虐殺など,千葉空襲と組み合わせて検討すべきですが,お答えください。 3点目に,平和資料館建設については,直ちには設置はしない。空襲の資料収集を優先と答えておりますが,どのようなものが何点収集できたのか。収集場所の問題とあわせて,一定の収集があるのならば,ぜひ来年の50周年にも活用すべきですが,見解を伺います。
また、展示については、平成4年は太平洋戦争終戦を中心に「もう戦争はいらんよ」と題しまして、また平成5年は沖縄戦を中心に世界恒久平和を目指した啓蒙的な展示会をしてまいりました。なお、広島原爆写真展も実施しておりました。これからも毎年実施をしてまいりたいと考えております。 平和に関する特集につきましては、市民憲章運動など他の啓発活動と同様に機をとらえまして実施したいと考えます。
高知市の取り組みをもう少し伝えたいと思いますけれども,沖縄戦展を取り組むのに8カ月前より沖縄県立平和記念資料館の視察から始まり,市内報道機関への講演依頼,那覇市に協力依頼,校長会への動員依頼,ポスター,チラシ,各団体へ送付,案内状送付,市内報道機関へ取材依頼等々準備を重ね,多くの市民を,そして学生たちをどれだけ多く集めようか,そういう努力をしているんです。