流山市議会 2018-12-04 12月04日-02号
しかしながら、江戸時代後期の建築と見られ、修理、改修工事が必要な状態であるため、博物館において保存、修理を先行して進めることとなっております。今後の活用につきましては、寄附者である秋元浩司氏の意向を踏まえ、博物館と連携し、検討してまいります。 次に、(2)坂川用水路の埋め立て後の整備についてお答えをいたします。
しかしながら、江戸時代後期の建築と見られ、修理、改修工事が必要な状態であるため、博物館において保存、修理を先行して進めることとなっております。今後の活用につきましては、寄附者である秋元浩司氏の意向を踏まえ、博物館と連携し、検討してまいります。 次に、(2)坂川用水路の埋め立て後の整備についてお答えをいたします。
染谷家住宅は、江戸時代後期から明治時代にかけての建物で、庭園や屋敷林等も往時の姿をとどめており、当地域の名主層の暮らしを現在に伝える貴重な文化財です。 このほか千葉県では、東京2020オリンピック・パラリンピックを県の文化的魅力を発信する絶好の機会と捉え、次世代に残したいちば文化資産を選定しており、柏市に所在するものとして利根運河と手賀沼花火大会が選ばれています。
府馬小学校には、明治6年の小学読本、昭和7年の卒業証書、五玉そろばん、八都小学校には、絵画、富士の絵、鈴木雨渓作、よろいかぶと一式が、八都第二小学校には、伯爵、総理大臣であった清浦奎吾書の昭和7年作の書額「不誠無物」が、山倉小学校には、野口雨情の書額「証城寺の狸囃子」の3節が、第一山倉小学校には江戸時代後期に頼山陽が著した国史の史書「日本外史」全22巻のうち12巻など、貴重な歴史的資料が各小学校に存在
葛飾北斎については、学校で勉強した程度の知識しかありませんが、日本を代表する江戸時代後期の浮世絵師であり、その代表作は「富嶽三十六景」、特に有名なのが「富嶽三十六景」の中の通称「赤富士」であります。そして、波間から富士山が見える神奈川沖浪裏、また浮世絵の美人画であります。
江戸時代後期に亀山地区から松丘地区までに取水をしたことが農業用水の始まりであります。上流から水を引く計画を立てました。本来ならば、上流といいますと、水は上から下に流れるわけですから、上流から水を引くことはありませんが、松丘、亀山地区は水面が大変低くて、20メートルから30メートルと高低差が高いんですね。だからどうしても水かけが大変なんです。
こちらには江戸時代後期からの生業や衣食住にかかわる民具、約500点を展示しております。市内小学3年生の社会見学の一環としても利用され、平成26年度は9校505名、27年度は10月末現在で6校355名の見学を受け入れております。また、一般の方も見学可能であることから、ホームページなどで周知に努めております。もう一つは、鹿放ケ丘ふれあいセンター内に開拓資料室があります。
個人情報やプライバシー、盗難等の心配もあり、個別名称は控えますが、現在は江戸末期の仏像、江戸時代後期の道標、植物群落、帆立貝型古墳などの調査を継続しております。また一方、文化財審議委員に協力をいただき、民俗芸能の用具の調査・研究も行っております。 県の指定文化財では、市内に所在する文化財は2件あります。
久留里城資料館に展示されている絵馬でございますが、今から170年前、江戸時代後期の天保年間に、小櫃川上流の坂畑で川の水を取水し、松丘地区の平山まで通水した農業用水でございます。それが、平山用水完成を祝いまして、平山の大原神社に奉納されているところでございます。
本市と連携協定を結んだ学校法人順天堂は、江戸時代後期、佐藤泰然が近代医学の場を佐倉に設けた事に始まり『日新の医学、佐倉の林中より生ず』と今に語り継がれ、育まれた好学進取の精神は今日佐倉市の教育における指針の1つとなっているところであります。幸いにして、佐倉ゆかりの大学は順天堂大学、女子美術大学、津田塾大学、青山学院大学があり連携協定をはじめ今後の展開も期待するところであります。
今回新たな市指定文化財を指定するためには、美術彫刻として扱うか、あるいは歴史資料として扱うか等の制限があることは理解しましたが、八千代市内には先ほどの花島家の3体の仏像のほかに、江戸時代後期の著名な松本良山作の不動明王像のような美術工芸品もあります。
また、本市勝浦区の祭り屋台の彫刻と西東京市田 無神社本殿の彫刻が江戸時代後期に神社仏閣の彫刻師として名をはせた嶋村俊表の作という共 通点から始まった市民レベルの交流が発展し、平成15年10月に東京都西東京市との間にも友好 都市盟約の調印を結びました。 日本武道館研修センターにおいて、2市2町のトップが顔をそろえ、多くの来賓者やマスコ ミが参列していたことをよく覚えております。
いすみ市においても、江戸時代後期に活躍した宮彫刻師、通称波の伊八の彫刻作品が残る行元寺や飯縄寺見学が組み込まれたツアーが実施されており、そのほか、酒蔵見学や、いすみ市沖に回遊するスナメリや太東岬など丘陵地も同時に見学できるスナメリウォッチングが、デスティネーションキャンペーンに盛り込まれております。
江戸時代後期の名藩主と言われた米沢藩主、上杉鷹山は、極度の財政窮乏にあえぐ中、藩政改革を断行し、みずからも倹約を実践、漆、桑、楮各100 万本の植樹、織物技術の導入などの殖産興業、武士の再生を期した開墾による新田開発、人材育成百年の大計としての藩校興譲館の創設を行いました。
すなわち,議案第58号は,藤田嗣治作の油彩画「夏の漁村房州太海」ほか8点を株式会社古美術長野から,議案第59号は,江戸時代中期の画家長沢芦雪・曾道怡の合作の巻物「花鳥蟲獣図巻」を株式会社モンディアから,議案第60号は,江戸時代後期の画家葛飾北斎作の絵本「富獄百景」ほか25点を合資会社原書房から,議案第61号は,江戸時代中期の浮世絵師勝川春章作の掛軸「婦女風俗十二ケ月雛祭」ほか2点を有限会社角匠アートギャラリー