八千代市議会 2002-11-25 11月25日-06号
その原因といたしましては、水を1立方メートル生産いたしますと172円かかるにもかかわらず、市民の皆様には152円で提供させていただいていること、また水道料金を昭和59年度に改定して以来、今日まで据え置いていることによるものでございます。 我々といたしましても、生産コストをできるだけ圧縮できるよう最大限の努力をしておりますが、なかなかそれが圧縮されずに現在に至っている状況でございます。
その原因といたしましては、水を1立方メートル生産いたしますと172円かかるにもかかわらず、市民の皆様には152円で提供させていただいていること、また水道料金を昭和59年度に改定して以来、今日まで据え置いていることによるものでございます。 我々といたしましても、生産コストをできるだけ圧縮できるよう最大限の努力をしておりますが、なかなかそれが圧縮されずに現在に至っている状況でございます。
すなわち保険方式を用いて、経済的な保障をしようとするもので、昭和36年に国民皆保険制度が施行され、全国民が何らかの医療保険制度に加入し、必要な経費を負担し、必要な給付が受けられるようになっているわけでございます。
次に、2点目でありますが、地下80メートルの地下水の流動方向についてはという御質問でございますが、地下水の流動方向は、昭和47年度から49年度までの3年間、地下水位計による水位の変動調査を含めた水収支に関する地下水調査によりますと、80メートル付近では北東から南西の方向に流れていることを確認しております。
本市は、昭和30年度ごろから始まった住宅団地や工業団地の建設とともに、急激な人口増加により、平成14年10月末の人口は17万5,005人で、県内では8番目の都市となっております。それに伴い、大気汚染や水質汚濁等による生活環境の悪化、森林地や農地の減少等に見られる自然の減少と環境問題が生じております。
また、議員御承知のとおり、本市におきましては、図書館から離れた地域の方々への図書館サービスといたしまして、移動図書館「みどり号」による巡回サービスを昭和45年8月、県下2番目に導入し、現在阿蘇地区、米本地区、睦地区など、図書館の空白地域18カ所にステーションを設けまして、年間延べ340ステーションを巡回し、多くの方々に利用をいただいておるところでございます。
◎郷土資料館長 展示されている蒸気機関車は、昭和48年11月に広島鉄道管理局長門機関区から郷土資料館に搬入し、一般に公開して現在に至っているが、産業の科学知識と交通機関の進歩の過程を知る貴重な歴史資料であるので、保存・維持に注意を払っている。過去平成7年10月に739万5000円をかけ塗装し、また平成2年にも436万かけて塗装工事をしている。
◎郷土資料館長 展示されている蒸気機関車は、昭和48年11月に広島鉄道管理局長門機関区から郷土資料館に搬入し、一般に公開して現在に至っているが、産業の科学知識と交通機関の進歩の過程を知る貴重な歴史資料であるので、保存・維持に注意を払っている。過去平成7年10月に739万5000円をかけ塗装し、また平成2年にも436万かけて塗装工事をしている。
市川市は、今まで可燃ごみとして処理をしていた新聞、雑誌、段ボール、古着を10月1日から資源ごみとして分別を始めたが、船橋市の場合、この分別は非常に歴史が古く、昭和48年から既に自治会あるいは学校のPTAの協力を得て実施し、再資源化を進めてきた。その後、平成8年には市内の全生ごみステーションで雑誌等について拠点回収を開始し、リサイクルの推進に努めている。
市川市は、今まで可燃ごみとして処理をしていた新聞、雑誌、段ボール、古着を10月1日から資源ごみとして分別を始めたが、船橋市の場合、この分別は非常に歴史が古く、昭和48年から既に自治会あるいは学校のPTAの協力を得て実施し、再資源化を進めてきた。その後、平成8年には市内の全生ごみステーションで雑誌等について拠点回収を開始し、リサイクルの推進に努めている。
昭和32年12月27日から30年間という契約をしたそうであるが、以来今日まで22億円以上払ってきているということで、いろいろ決算、予算の席で質問が出る。本当にこのままでいいのか、高いのではないか等の議論があった。それに対して、常に行政側も値下げに努力をしていると説明されていたが、13年度中あるいは14年度にまたがっても仕方ないと思うが、変化はあったのか。
昭和32年12月27日から30年間という契約をしたそうであるが、以来今日まで22億円以上払ってきているということで、いろいろ決算、予算の席で質問が出る。本当にこのままでいいのか、高いのではないか等の議論があった。それに対して、常に行政側も値下げに努力をしていると説明されていたが、13年度中あるいは14年度にまたがっても仕方ないと思うが、変化はあったのか。
まず、昭和36年4月に国民皆保険制度ということで医療保険制度が、国民健康保険が始まりました。そして48年の1月には老人医療が開始となりました。このときに老人医療は1年間の医療費を3月から2月の1年間で支払うというふうになりました。
◎建築課長(萱野寛治君) 昭和63年、20年契約ということです。 ○委員長(宮内和男君) 平野良一委員。 ◆委員(平野良一君) これは貸している方は確かにいいですよね。確かに契約も20年ということですから。ただ、逆に、こういう場合というのは、違約金でも払っちゃった方が安いか、そのまま借りている方が安いかというのは、そこら辺はどうなんですか。 ○委員長(宮内和男君) 建築課長、萱野寛治君。
次に、議案第5号 八千代市市営住宅等管理条例の一部を改正する条例の制定につきましては、昭和51年4月から使用してきました村上職員住宅につきましては、職員の入居減少により、平成12年3月末をもって廃止いたしました。 これに伴い、近年市民から要望の多い市立住宅としての再利用を図るため、市立第二村上団地として設置するため、条例を改正いたしたいとするものでございます。
それとまた,誉田の方には土気高校しかないということでございますが,それはやはり今,市立千葉高校は昭和30年代に建てられまして40年以上がたちまして,それであそこは耐震診断の結果,老朽化が激しい,そういうことであそこに新しく建てかえたらどうだというのがそもそものことでございますので,新しく高校を建てるかどうかについては,これはまた別の話だとういふうに認識しております。
さて,千葉市では昭和20年6月10日と7月7日に2度の大空襲の被害を受けて,市街地の7割が焼け野原になった戦争体験を持っています。今後,二度と同じような悲しい経験をすることのないことを願いつつ,平成元年に平和都市宣言をし,平和啓発事業に取り組んできたとのことです。しかし,平和行政がいまひとつ市民,若者,子供たちに浸透していないと感じます。 そこで伺います。
アメリカのマッカーサー元帥は,昭和26年5月26日,アメリカの上院議会で演説をし,日本の戦争は日本のセキュリティーであったと述べた。また,東京裁判は事後法の裁判で間違いであったと証言しているのではありませんか。侵略戦争ではなく,自衛のための戦争であると証言している。
次に,昭和56年,1980年以降でも地盤の弱い土地に建設されている公共施設や学校についても,耐震診断を行ってはとのことでございますが,昭和56年に改正されました建築基準法に基づき建設された施設は,新耐震基準に合った設計となっております。 次に,公共施設の補強計画についてでございますが,今後とも各所管と協議し,耐震改修の促進に努めてまいりたいと存じます。
野田市では、昭和46年に竣工した清掃工場が直接投入式の野焼き同然の施設であったために、カドミウムによる水田の汚染問題を引き起こし、地元の皆さんには大変御迷惑をかけたことは私も承知しております。しかし、今回の清掃工場を稼働停止させた原因は、たった1本のろ布の取りつけミスであります。
この米百俵は小泉総理の話で有名になりましたが,昭和18年の山本有三の「米・百俵」が新潮社から刊行され,米百俵は今でこそただの百俵だが,後年には1万俵になるか100万俵になるかはかり知れないものがある。いや,米俵などでは見積もれないとうといものになるのだ。その日暮らしでは長岡は立ち上がれない。新しい日本は生まれないぞと,この中に趣旨を明確にしているわけであります。