習志野市議会 2022-06-24 06月24日-08号
そもそも昭和31年に都市計画決定された3・4・9号谷津鷺沼線と3・4・11号大久保鷺沼台線の線形の変更と終点延長が変更されました。この手続の中で宮本市長宛てに、JR総武線、京成線の南北の一体化や防災・交通安全対策の観点から終点の変更を行わないことを求める237名の住民からの請願書が提出をされました。
そもそも昭和31年に都市計画決定された3・4・9号谷津鷺沼線と3・4・11号大久保鷺沼台線の線形の変更と終点延長が変更されました。この手続の中で宮本市長宛てに、JR総武線、京成線の南北の一体化や防災・交通安全対策の観点から終点の変更を行わないことを求める237名の住民からの請願書が提出をされました。
現在の海の日は、昭和16年に制定された海の記念日を基に制定されました。海の記念日は、明治9年に、明治天皇が東北地方巡幸を灯台視察船明治丸で航海し、同年7月20日に横浜港に無事入港されたことを記念して制定されたものです。
本宣言がなされた昭和58年以降、その見解が変わることはなく、昨年11月にも本市が加盟する平和首長会議から、核兵器廃絶に向けた取組の推進について岸田内閣総理大臣へ要請を行わせていただきました。 私からは以上でございます。 ○栗原直也副議長 教育長、府川雅司さん。 〔教育長 府川雅司登壇〕 ◎教育長(府川雅司) 私からは第1項目、コロナ対策についての3点目についてお答えいたします。
初めに、再任の候補者といたしまして、飯島守様、匝瑳市富岡637番地、昭和23年1月4日生まれ、74歳、元匝瑳市横芝光町消防組合員でございます。 次に、吉野安子様、匝瑳市生尾211番地、昭和26年12月24日生まれ、70歳、元小学校教諭であります。 次に、木村政夫様、匝瑳市八日市場イ2033番地、昭和27年7月4日生まれ、69歳、元千葉県職員であります。
これまでにドラマや映画の撮影で中央公園のタコ滑り台、また昭和の時代の面影を残すといいますか、文化センター、そういったところの使用がされているところでございます。市が持つ古きよき地域資源を強みと捉えまして、特色を生かしながら今後また進めてまいりたいと考えております。 以上です。 ○成田芳律議長 坂本弘毅さん。 ◆坂本弘毅議員 前向きなご答弁ありますございました。
昭和51年、1976年、当時千葉県指定の史跡を守る目的で、史跡飯高檀林跡を守る会が地元で結成されました。以後、現在まで会員有志の方々により日常的に草刈り清掃、ボタン園の管理が行われています。しかし、会員の皆さんの高齢化があります。また、財政的にも潤沢ではありません。
青堀小学校の校舎は、昭和50年の建築から45年以上が経過し、構造耐力の低下に加え、設備等の経年劣化等が進んでいることから、平成29年度に策定の富津市学校施設整備基本計画に次期整備対象校として位置づけたところです。
ちなみに、国勢調査の数でいきますと、40年前の1980年、昭和55年になりますけれども、当時は館山市が5万6,257人、南房総市が今の合併後の枠組みでいきますと5万5,652人。それが2020年、令和2年の国勢調査の数値でいきますと、館山市が4万5,153人、南房総市が3万5,831人、減少率といたしましては館山が20%で南房総市が36%と、そういうことになっております。
例えば先ほど消防演習場とか護岸整備、お話していただきましたけれども、時系列で言うと1977年、先ほどおっしゃいました昭和52年ですが、海上災害防止センターの消防演習場が島の一部にできました。その後、2006年、平成18年には護岸整備が進むことになりました。正直、これは大きな出来事だったわけですけども。 そして今は、上陸ツアーまで始まっているわけですよね。
次に、大きな第3、館山海軍砲術学校跡記念碑、「平和祈念の塔」についての第1点目、記念碑に対するこれまでの館山市の関わりについてですが、当該施設は昭和16年に開校した館山海軍砲術学校の開校50周年を記念し、平成3年6月1日に「平和祈念の塔」として建設された記念碑です。
しかし、現状は、諸外国に比べて立ち後れていると言わざるを得ないとして、背景には昭和の時代に形づくられた各種制度や男女間の賃金格差を含む労働慣行、固定的な役割分担意識など、制度、慣行、意識の3つの要素が相互に強化し合っているという構造的な問題があるとしています。 市としましても、国の方針を踏まえ、制度や慣行の見直しにつながるよう、まずは第一に男女共同参画の意識の啓発に取り組んでいきたいと思います。
市史編さんについてでございますが、村史についての見解はとの御質問につきましては、村史編さん事業は昭和50年から開始され、昭和53年に資料集Ⅰの近世編、昭和54年の資料集Ⅱの近・現代編も刊行され、昭和56年に通史編として完成いたしました。この通史編は、当時の執筆者や担当者が編さんに大変苦労され、富里市の歴史を網羅的に掲載した村史であり、現在でも富里を知るための貴重な文献と認識しております。
この現在の日本国憲法は、当時の、昭和21年当時の内閣総理大臣の吉田茂氏が国会に提案して、現憲法となりました。それ以前は、いわゆる帝国憲法です、大日本帝国憲法。この大日本帝国憲法の、一番、私の世代で気になっていたのは、第2章の「臣民権利義務」で、その中で大日本帝国憲法第20条は「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス」、いわゆる徴兵制度です。
成東、蓮沼、松尾地区に給水をしております山武郡市広域水道企業団の昭和49年設立と比べまして、山武地域の市営水道につきましては、上水道給水開始が平成13年からとなっており、比較的新しいことによるものでございます。
社会保障制度の推移につきましては、昭和20年代の戦後の混乱の中で生活困窮者を救うための生活保護法の制定から始まり、昭和30年、40年代には、高度経済成長により生活水準が向上する中で、社会保障制度の充実強化を求める機運が高まり、全ての国民が助け合い、医療における機会均等と老後の生活を保障するため、国民皆保険と皆年金の法整備が行われました。
ちょっと紹介しますと、これはちょっと古いですけれども昭和48年9月、文部省中等教育局から出されて、公立小・中学校の統合について、こういうふうに言っています。一部紹介しますと、学校規模を重視するあまり、無理な学校統合を行い、地域住民等との間に紛争を生じたり、通学上著しい困難を招いたりすることは避けなければならない。
ただいま1951年、昭和26年の当時吉田首相です。政府見解に関するお話がございましたが、その後昭和29年6月3日、1954年でございますが、学校給食法が施行されまして、同法第11条では、学校給食に要する経費に関しまして、学校の設置者、つまり市と保護者の負担区分が明確に定められておりますので、現在もこの規定に基づきまして学校給食費を保護者の皆さんにご負担をいただいているところでございます。
この青い鉄骨造の監視塔は昭和57年に建築されました。既に40年間が経過し老朽化の激しい鉄塔でございます。この鉄塔の役割は、海水浴場の厳重な監視を目的とし造られた物見施設です。前回答弁での記録は、今後、必要性や安全性を考慮した上で検討してまいるとお答えをいただきました。その検討の意を踏まえ、進捗状況を伺います。 ○議長(北田宏彦議員) 深山元博商工観光課長。
昭和59年以降に千葉ニュータウン地区に入居した木刈地区や高花地区、そして大塚三丁目地区には地区計画が定められておりません。最近このような地区において、建築敷地面積の分割化などにより、これまでのゆとりある生活空間が変化しつつありますが、このような実態が進んでいることを認識しているでしょうか。 ○議長(中澤俊介) 櫻井都市建設部長。 ◎都市建設部長(櫻井敦) お答えいたします。
昭和42年設立で、ずっとそのまま来ているわけなんですね。 社会情勢も大きく変わってきていることから、ぜひこの公社の役割、使命というものをもう一度見直しをして、習志野市の発展、まちづくりの発展のために、デジタルという手法を使いながら、定款の見直しを行うような議論ができないものか。それか、開発公社が必要なくなるか。