◎
文化課長補佐 一番最初に
埋蔵文化財の調査、保存及び活用についてということでご報告申し上げる。お手元にお配りした資料のご確認をお願いする。資料、3部構成で、資料1、資料2、それから、
分布調査概要報告資料、冊子である。あと、3つ目が
上野原遺跡について、資料3である。
それでは、説明に入る。
まず、市内の遺跡の
調査状況報告についてである。資料1「船橋市における
埋蔵文化財保護事業について(報告)」である。この中で、一番後ろにマップをつけている。これが市内約200カ所、遺跡、いわゆる
埋蔵文化財包蔵地が市内にはある。裏面の一番下に船橋市の遺跡ということで一覧をつけている。次に、これも最後の資料であるが、
埋蔵文化財取り扱いフローについてという資料を1枚つけている。市内の約200カ所ある
埋蔵文化財包蔵地の中で
土木工事等を行うときは、
文化財保護法に基づいて届け出が必要となっている。事業者の方にはこういった
フロー図を窓口で見せている。実際には、届け出の前に事前に
協議依頼書を提出していただいている。年間約330件の
協議依頼書の提出がある。
そして、工事の内容に基づいて、遺跡の
取り扱いを判断している。それが、この
フローで見ると、
協議依頼書の提出、
現地踏査とあり、左側の
フローに
埋蔵文化財包蔵地である協議が必要というほうに包蔵地内の工事は向かっている。そして、土木工事届けて、または通知とあり、工事で遺跡を破壊するような工事である場合は、工事の前に
発掘調査を実施する。これが
文化財保護の基本的な考え方である。それから、工事が比較的軽微なもの、基礎の深さが浅いもの、それから、既に行われた工事で遺跡がもう既になくなっているようなところは、右側の
発掘調査不要というほうに流れ、
慎重工事、または
工事立ち会いという
取り扱いになる。大きくは遺跡の
取り扱いというのは、
発掘調査、それから、
慎重工事、
工事立ち会いという
取り扱いになっている。
そして、
発掘調査になった場合は、そのまま下の
フローまで行き、
記録保存、本調査を実施するという流れである。そして、まれに、市内の飛ノ
台史跡公園博物館などのように、
記録保存ではなくて、遺跡を物理的に保存する
現状保存という
取り扱いもある。詳細についてはまた後ほど報告する。
では、資料1の「船橋市における
埋蔵文化財保護事業について(報告)」に戻る。報告1である。こういった、今申した通常の遺跡の
保護業務以外に、
埋蔵文化財保護・
普及事業にも力を入れてきた。そういった、約30年から40年間、こういった
事前照会、
調整業務、調査・整理・
報告書刊行事業に邁進してきたが、必ずしも
開発行為と工事などに先行して遺跡を保護・保存する姿勢及び
普及事業については、積極的とは言えない状況であった。しかし、平成26年度の
海老ヶ作貝塚損壊事件を受け、国からも指導を受け、平成27年、28年度の
市政執行方針では、遺跡の保護を掲げ、
開発行為に先行して遺跡を積極的に保護し、
普及事業に取り組む姿勢に転換して、これを実践してきたので報告する。
まず、
市政執行方針への掲載である。平成27年度は
海老ヶ作貝塚について、そして、今年度、平成28年度は「市民に愛され、育まれるまち」ということで、「飯山満1丁目に位置する取
掛西貝塚は
縄文時代早期前半の希少な貝塚であることから、保存・整備に向けて、
分布調査を実施してまいります」という
市政執行方針を掲げた。取
掛西貝塚については後ほど報告する。
そして、次に体制の強化をした。平成27年度は、今まで
文化財係と1つにまとまっていたものを
埋蔵文化財保護班、それから、
歴史文化財班に分け、体制を強化した。
埋蔵文化財保護に特化した班をつくった。それから、
考古専門職員を増員して、昨年度4月に、16年ぶりに2名の
考古専門職を採用して、今まで7名だったのが9名になった。また、10月は
経験者採用ということで3名採用して、9名から合計12名になった。平成28年度は、班体制を係に変えて、
埋蔵文化財保護係を設置した。また、
考古専門職員をさらに増員して、4月に2名の経験者を採用、合計、現在は10名の体制である。平成28年度現在、
埋蔵文化財保護係に4名、
課長補佐1名、係長1名、係2名である。あと、
埋蔵文化財調査事務所には所員8名を配置している。また、
郷土資料館には、
館長補佐1名、それから、飛ノ
台史跡公園博物館には学芸員として1名配置している。
次に、新規に行った
普及事業について報告する。まず、
国庫補助事業を受け、地域の特色ある
埋蔵文化財活用事業を実施した。これは、1つは、
情報満載船橋の
遺跡マップ、先ほどごらんいただいた。これがコピーである。実際、もう一回り大きいサイズでつくり、おかげさまで
大変好評で、配布が終了している。平成28年度はさらにわかりやすいイラストをたくさん入れ、小学6年生には全員配る予定で1万部を発行する予定である。それから、2番目に
遺跡説明板を設置した。これが平成27年度は9基、それから、平成28年度は6から9基設置する予定である。両方とも200万円事業である。
次のページに進み、次の
広報活動にも力を入れてきた。
遺跡見学会を平成27年度5回実施した。今年度は既に3回実施している。あと2回、さらに
開催予定である。それから、講座・展示・広報紙・
ホームページ等にも積極的に
広報活動を行っている。
あと、4番目に、
遺物整理・
報告書刊行事業。これは民間の開発、
公共工事に伴うもの以外、伴うものを
緊急調査と呼んでいるが、それ以外のものである。これは
海老ヶ作の
損壊事件に伴い、昔、
発掘調査報告書が出ていなかったので、
海老ヶ作貝塚(2次)の再
整理事業を行っている。これが昭和48年の調査だったが、
発掘調査、
報告書が出ていなかったので、今、
埋蔵文化財調査事務所で
整理作業を行っている。
プラスチック製の天箱に約500箱、土器・石器などの遺物がある。あとは
関係土器として、破片ではなくて、形がわかる土器が約60個体以上ある。それから、損壊した4次地点の
確認調査では、約17箱の遺物が出土しているので、これを合わせて今、
整理作業に取り組でいる。また、既に
報告書が出ている1次・3次
調査地点の成果も合わせて、
海老ヶ作貝塚総合研究報告書を
刊行予定である。これが30年度までの4カ年事業の予定で、一部
国庫補助事業となっている。
次に、5番目、
遺跡保護事業、新規に行ったものについて報告する。まず、取
掛西貝塚保存・整備の準備ということで、全体は約7万6000平米ある、取
掛西貝塚の中の未
調査部分の5万1500平方メートルの畑部分を対象として、
分布調査を実施し、遺跡全体の時期・様相を把握し、今後の
市指定史跡化に向け、準備を行うため、平成27年度に予算を要求し、今年度、予算をいただき、地権者を訪問し、調査の承諾を得て、7月、8月に
分布調査を実施した。これについては、後ほど2番目で説明する。
それから、先ほどの
海老ヶ作貝塚(3次)は、実は、
運動広場として遺構が保存されている。約6,700平方メートルあり、
公園緑地課が管理している。平成30年度
完成予定で、面積4.9ヘクタールの
都市計画法による
近隣公園として整備される予定であり、今、
遺跡保存も兼ねた
公園整備について、
公園緑地課と協議中である。
次に、報告2として、通常の
埋蔵文化財保護業務、いわゆる民間の開発、それから、
公共事業に伴う
緊急調査の業務について報告する。
それが、次のページ、3ページ目である。資料1として
埋蔵文化財に関する
統計資料として掲げている。平成27年度は、窓口・電話・ファクスの問い合わせが6,127件あった。これは、年々増加する傾向にある。
埋蔵文化財が周知されてきた成果でもあると考えられる。それから、2番目の
文書照会件数であるが、これが先ほどの
フロー図で示した一番最初の
協議依頼書の提出という部分になる。遺跡の
取り扱いは、これがスタートである。これが平成27年度は330件と、増加している。これは
東京電力の電柱1本も一つ一つ丁寧に、
東京電力から提出されるようになり、それで、前年よりふえているということもあるが、
増加傾向にある。そういった中で、330件の中で遺跡があると、答えたのが251件。それから、遺跡がないと答えたのが79件という内訳になっている。
次に、4ページ目、市の
公共工事に伴い照会されたのが、昨年度は323件と、これも
増加傾向にある。
次に、試掘の件数だが、いわゆるこの
フロー図の中には、遺跡があるのかないのか判断するために行う小さい調査があり、これが23件実施している。
それから、次に5ページ目、
土木工事等の
届け出等についてだが、遺跡の中での工事、これが243件である。それから、
発掘調査の届け出が33件あった。それから、下の段にいき、昨年度は合計33件
発掘調査を実施している。その中で
確認調査、遺跡があるのかないのか、あった場合はどれくらいあるのかを見るための
確認調査が8件、それから、いわゆる本格的な本調査であるが、テレビなどで移植など、細かい道具を使って調査してる風景をごらんになったことあるかと思うが、そういった本調査を25件調査している。これ、100平米でも1件、それから、5,000平米でも1件なので、大小、面積がさまざまある。
次に、6番目、
照会件数の推移を示している。これも落ち込んだりふえたりしているが、平成21年は
リーマンショックの影響で、開発も少なく、落ち込んでいるが、現在は
増加傾向にある。
続いて、資料2として7ページ目であるが、平成27年度に実施した
発掘調査整理一覧表である。先ほども申したように、33件の調査を実施した。また、市の事業として
遺物整理を2件実施している。それから、いわゆる調査というのは発掘して終わりではなくて、出土した資料を整理し、詳細な図をつくり、写真・図面等を製図して、
発掘調査の
報告書をつくり、刊行し、いわゆる皆様にその成果を還元して初めて終わるものであるが、そういった
発掘調査報告書を4冊、刊行した。資料では、
刊行予定と書いているが、既に
刊行済みである。
それから、8ページ目であるが、今年度はさらに
整理作業の分量が大変多くて、11冊
刊行予定である。2番目の
研究紀要は、飛ノ
台史跡公園博物館で
発行予定である。
以上で、1つ目の報告を終了する。
次に、資料2として、「取
掛西貝塚について」を報告する。カラーの地図が表紙になっている。今年度、予算をいただき、取
掛西貝塚の全容を把握するために、
分布調査を実施した。取
掛西貝塚は飯山満町1丁目及び米ヶ崎町にある。この地図でいうと、赤い枠全体がいわゆる
埋蔵文化財包蔵地、遺跡である。東西が500メートル、南北が130から180メートルある。遺跡の北側とか、それから、東側、そして西側、船取線が、そこは過去の
造成工事によって土がとられて、遺跡が失われているが、まだ約7万6000平方メートル残っており、この台地全体に遺跡が広がっていることがわかっている。今年、東から(1)、(2)、(3)、(4)、(5)と番号が振ってあるのがわかると思うが、ここは既に開発されている。開発される前に
発掘調査を実施して、
縄文時代早期前半の集落及び
動物儀礼跡……などが発見されている。それで、ことしはこの黄色い枠と青い枠の部分を2回に分けて、
分布調査を実施した。
分布調査というのは、畑の中を歩いて、土器とか石器を拾って歩く。土は掘らない。それから、貝などが散っている状況を見て、貝層があるかどうかを観察する。そして、貝の破片が散っているところは
ボーリングステッキという棒を突き刺して、下に貝層が埋まっているかどうかを確認する。もし貝層が埋まっている場合は、こつこつと音がして、土の表面には貝が少ししか見えていなくても、下には貝塚が埋まっているということがわかる。そういったことを調べる調査を実施した。結果、約7万6000平方メートル全体に、遺跡が広がっているということがわかった。
次に、調査の成果について具体的に話す。3ページ目、カラーの資料が
出土資料である。それから、A3がこれまで、
分布調査ではなくて、実際に開発に伴って
発掘調査した成果である。これまでに5回の調査をしている。そして、真ん中の
道路部分は発掘したが、両側にある
住宅部分の下には、まだ遺跡を保存した状態で残している。そういった成果の中でまとめると、特に(5)地点のところ、ここから
縄文時代早期前半、
撚糸文期というが、1万年前の貝塚と
集落跡が発見されている。それから、2次に3、4地点、ここは関谷期、黒浜期の貝塚・
集落跡、
縄文時代前期の約6,000年前の
集落跡が発見されている。あと、約1万年前の
ヤマトシジミの貝層も発見されている。これは、
東京湾東岸部……千葉県域のことをいうが、最古と評価されている。また、
動物儀礼跡自体は、
国内最古といわれている。(発言する者あり)1ページ目にまとめてある。今説明した。この取
掛西貝塚自体が約1万年前の村の跡であり、貝塚であるということである。そして、評価、
歴史的価値は、
学識経験者などの意見も聞き、この2番目に「取
掛西貝塚の
歴史的価値」ということでまとめているが、
東京湾東岸における最古の貝塚を伴う集落ということである。それから、2番目、7万6000平方メートル全体に早期……約1万年前、それから、前期……6,000年前の集落が広がっているということは、
関東地方最大級の
集落跡であると評価できるといわれている。また、これは
日本列島で
定住生活が初めて始まったころの遺跡であり、船橋市のみならず、
日本列島で定住が始まった時期の大切な遺跡であると評価いただいている。あと、東京湾の形成や
自然環境変遷がわかる重要な貝塚ということで、約1万年前は東京湾がまだ30メートルぐらい低くて、今の水位まで達していなかったという、少し寒い時代であり、この遺跡だけを調べるのではなくて、東京湾全体や、当時の
自然環境がわかる遺跡だという評価をいただいている。あとは、
出土遺物自体、カラーで出しているが、こういった資料が
縄文時代早期前半、1万年前の当時の社会や生活を復元できる内容を持つということで、研究者からも注目されている。
3番目、
保存状況だが、先ほど少し、A3の折り込みで話したが、(1)から(5)地点のうち、1次、3次は既に全域で調査が終了しているが、それ以外の、(2)、(4)、(5)地点は、現在家が建っているが、その下は遺跡を
現状保存している状況である。将来は、遺跡の保存・活用が可能なようになっている。また、繰り返しになるが、(5)地点から西側は、今は畑が広がっており、住宅が1軒あるのみなので、
大変分布調査の成果で、土の残りもよく、遺跡が良好に保存されていることを確認した。これまでの取り組みとしては、これを見ていただければと思う。
今後の保存・
整備活用について、取
掛西貝塚自体、全国的にも貴重な遺跡であるので、船橋市の
歴史的遺産として後世に継承することを目的として、遺跡の保存・
整備活用を進めてまいりたいと考えている。
開発相談があった場合は、保存・整備の方向で対応していくことを検討している。あと、2番目としましては、取
掛西貝塚を核として、市民の方への遺跡の周知・
普及啓発活動を活発化していきたいと考えている。
次に、
分布調査の報告で、この冊子を見ていただきたい。先ほどから申しているとおり、この1ページ目の下の段に図で示しているが、7万6000平方メートル全体に
縄文時代早期前期の集落が広がることがわかった。そして、かいつまんで話すと、こちらのグラフがある。10ページのグラフは出土というか、
分布調査で採集した土器の分量をここに掲げているが、
縄文土器、3,038点を採集している。その中で、ぐっとグラフが伸びているのが、約1万年前の早期のものが断トツに多いという成果を出している。
それから図版の8ページを見ていただけるか。この左上のところに石が載っていると思う。これが469から471採集の被熱れきと書いているが、土器や石器、それから、貝などがたくさん採集できるのはもちろんのことだが、実はこういった、焼けたれき、岩石がたくさん拾える。これは石蒸し料理に使ったれき、
焼きれきと考えており、これも約1万年前のものと考えている。これについては記憶にとどめていただいて、
鹿児島県の
上野原遺跡のところでご説明したい。
では次に、3番目の資料、今度視察にいく
鹿児島県
上野原遺跡についての資料を説明したい。これが取
掛西貝塚とほぼ同じ時期の9,500年前の集落の跡である。既に
国指定史跡になっている。位置は、
鹿児島県霧島市国分の
市街地南東部にある。
鹿児島湾桜島を望む標高約260メートルの
上野原台地の先端部にある。史跡全体の遠景はこのカラーの写真で示している。
鹿児島湾に望み、桜島の噴煙が見えるという、すごいところだと思う。ここは
皆様ご存じのとおり、有数の
火山地帯であり、阿蘇の噴火もあったが、この右側の図に示した
上野原遺跡というのは「あいら」と読むが、
姶良カルデラという火山の大爆発で陥没したのが、この
鹿児島湾の一部で、そこには桜島が2万5000年前の爆発で出現している。そして、
上野原遺跡はその
カルデラを望むへりにある。ここの
発掘調査では火山灰がたくさん見つかっており、火山と闘った縄文人の様子がわかるともいわれている。
姶良カルデラ自体は2万5000年から2万9000年前の火山の大爆発で今、陥没して海になっている場所である。実は、
発掘調査していると、
関東地方でもこの
姶良カルデラで噴出した火山灰を見ることができる。
日本列島全体に、余りにも大爆発だったので、火山灰が飛散している。船橋でも1メートルぐらい掘ると、この
姶良カルデラの白く光った火山灰を見ることができて、当時の爆発がいかに壮絶なものであったのかわかる。
あと、
史跡整備地のことだが、お配りしたもので、
上野原縄文の
森園内マップ。それと、この左側の図と合わせて見ていただけたらと思うが、
遺跡自体は、
国分上野原テクノパークという
工業団地の建設に伴い、
発掘調査が1986年から1997年まで行われている。私自身も霧島市の調査なので、詳しいわけではないが、大変いい資料が発行されており、これを見ながら説明する。これ自体は
縄文早期だけではなくて、前期、後期、晩期、
弥生時代、
古墳時代、中世と
複合遺跡である。その中で最も特徴的なのが約9,500年前の国内では最古で最大級の集落、
上野原遺跡発見ということで、1996年に発見され、97年に報道されている。この特に早期の部分が
国指定史跡に指定されている。取
掛西貝塚と近い時期だが、この
園内マップで申し上げると、この右上の隅、5番となっているところが
国指定史跡になっている。この園自体は約36ヘクタールあるということだが、
国指定史跡になっているのは、その一部分の早期前葉というが、約9,500年前の集落などが見つかった部分が指定されているということである。これが1999年1月に指定されている。
内容としては、
縄文時代早期前葉、約9,500年前の
竪穴住居跡52軒、それから、石蒸し
料理施設の
集石遺構、取掛でも先ほどお話しした、
焼きれきが出土している状況ととても似ていると思う。
集石遺構、それから、
薫製料理の施設といわれている
連穴土坑16基。そして、
縦穴住居跡の埋まった土の中には、
桜島起源の約9,500年前の火山灰が含まれており、この住居は9,500年ごろに埋まったんだなということがわかったということである。
2枚目、3枚目にも図を示しているので、合わせてごらんいただきたい。この
国指定史跡になった評価としては、
南九州地域における
定住化初期の様相を典型的に示す大集落で、
日本列島の
縄文時代開始期を知る重要な遺跡という評価がされている。そして、実は、土地としての史跡を指定しているわけだが、ほかに遺物、
文化財が
国重要文化財になっており、それが2ページ目のこのつぼなどがある写真。右下の、これは、実は
縄文時代早期後葉といい、先ほどよりも少し新しい。約7,500年前の
出土遺物で、これは国の
重要文化財になっている。767点ある。
そして、こういった経過の後、2002年10月に、
鹿児島県
上野原縄文の森が誕生している。
縄文時代の景観をつくる、
縄文体験のできる
史跡整備を狙いとして、整備した
体験型史跡公園であるとされている。実は、この前、文化庁の方にお目にかかることがあり、その調査官の方がいうには、約10年がたって、森が育って、遺跡から外観が見えないとのことである。そうすると、いわゆる現代風のものが見えず、また、音も遮蔽されているということで、目と耳で
縄文時代を体感できるということをおっしゃっていた。あとは、ここの史跡に立つと、右側には桜島の噴煙、それから、そのときの状況にもよるようだが、左側には新燃岳の噴煙が見え、この景観がよくわかるとおっしゃっていた。
そういった中で、約36ヘクタールが
史跡整備されている。そして、1番、縄文の
森展示館ということで、右側。この
園内マップでいうと、右側の1番は博物館があり、左側は、
鹿児島県立埋蔵文化財センター及び調査をしている
埋蔵文化財調査センターもこの中に置かれている。総合的な様相をなしている。
今度は、次のページの図をごらんいただきたい。左の上に南九州と
日本列島の
縄文文化の比較ということで示しているが、
年代測定の方法がだんだん変わってきて、一番上に1万2000年前とあるが、今は約1万6000年前とされている。これは草創期である。それから、今申し上げている早期っていう言葉がよく出てくると思うが、これが大体1万1500年ぐらい前から6,400年ぐらいまでの間を今早期というふうにいっている。そして、1万年前の左側に炉穴とこの年表に書かれているが、これが
上野原遺跡で発見された炉穴である。この炉穴って一体何なんだろうっていうことだが、この出土した土器の下にこの炉穴の図を示しているが、少しわかりづらいので、3ページ目、今度「
かごしま考古ガイダンス」という資料をお借りしたが、ここのカラーのところに
連穴土坑とあるが、これが炉穴のことである。大小2つの穴をトンネルでつないで、大きな穴のほうに火をたいて、小さいほうに穴の上に肉をつるして煙でいぶして薫製をつくった施設と推定されている。
ちなみに、この2ページ目の下の石、
集石遺構は取
掛西貝塚でも発見されている。ちなみに、今の炉穴は取
掛西貝塚では発見されていない。実は、この炉穴が
関東地方で出現するのは、もう少し待たなくてはいけなくて、約7,000年前ぐらいである。実は九州で始まった炉穴の文化は少しずつ緩慢な速度で、
日本列島の東のほうに文化が伝わっていくが、この
関東地方にこういった炉穴の文化が伝わったのは約7,000年ぐらい前である。ちなみに、飛ノ台貝塚も約7,000年前の貝塚であるが、こういった炉穴が200基ほど見つかっている。
ちょっと
集石土坑に話が戻るが、この集石というのは、現代のニューギニアなどでも事例があり、火で石を焼き、焼き石をつくる。その上にニューギニアの場合はバナナの葉っぱなどで魚や肉など包み、蒸し焼き料理をつくる施設ということである。
縄文時代もこういった使い方が、いわゆる葉っぱで食材を包んで焼いたということが想定される。取
掛西貝塚でも多数発見されているが、屋内で、家の中で調理するのではなくて、屋外で調理していたと考えられる。今話したことが、この左上の年表で相対的にごらんいただければと思う。
あとは、こういった約9,500年前の住居跡が発見されており、それを現地では復元して、10軒ほど当時の集落を復元して見せているということである。
駆け足ではあったが、以上で、報告を終了する。
………………………………………………
[質疑]
◆金沢和子 委員 聞きたいこと、たくさんあるが、先に、すごく不思議。どうしても聞きたいことが2つあって、どうして蒸し焼きと薫製なのか。(笑声)いやいや。だって、普通に焼けば早いし、いろいろ大変なわけでしょう。わざわざ穴を連穴式に掘ったり、葉っぱなどで蒸して……どんな地域性があって、この蒸し焼きや薫製をつくることになったんだろうって、すごい不思議。そこはもう解明されているのか。
◎
文化課長補佐 薫製自体は保存のため。要は……。
◆金沢和子 委員 保存。
◎
文化課長補佐 はい。肉などを保存するための調理法。当時は冷蔵庫とかもないから、保存するための調理法といわれている。あとは、今おっしゃったように薫製にする、それから、石蒸しは蒸すと……あと、土器がこの時代はもうあるので、土器で煮炊きをする。焼く、煮るも、いわゆる調理法といっても幾つも使い分けていたということだと思う。
ちなみに、飛ノ台の炉穴は薫製ではなくて、火を下から炊いて、いわゆる土器を炊いたたき火の上に乗せて、煮炊きをした施設であって、いわゆる穴の上に肉をつるした薫製ではないんじゃないかとも考えられている。そういった炉穴の研究も進んではいるが、最終的に解明され切ってないところもあるし、また、
集石遺構にしても、約1万年前のそういった調理施設がどういったものであったのかも、まだまだ取
掛西貝塚をしっかり調べて解明していく課題と考えられている。
◆金沢和子 委員 これは感想のようなものだが、その保存が必要な気候状況だったのかなっていうのは、しょっちゅう海に行けば何かがとれるとか。しょっちゅうとれる状況があれば、保存はきっとしなくてもいいでしょうし、当時は刺身のように生で食べるっていうことだってあったかなと思う。それをわざわざ加工するっていうのは、きっとその必要性が、その当時あったのだろう。まだ寒かったのかもしれないけどね。だから、それが解明されたら、すごくいいなと、知りたいなということ、改めて思った。
あと、資料の関係で少し教えてほしい。
残念なことに、この遺跡の発見は開発との関係で発見されることが多くて、事前に目星をつけて発掘をするというよりは、何かのきっかけでそれが出ることによって、遺構が発見されるってことが多いと思う。例えば、これ、南九州の上野原なんかも巨大な
工業団地というと、船橋にもあるし、千葉県にもあるので、かなり広い面積の開発と感じる。でも、そもそもメインは開発であろう。だから、これが残るっていう、その残り方。よく残ったなっていうのがある。だから、例えばこの上野原のような経験が船橋でも役に立つのかなと思うので、ちょっとお聞きしたい。これ、36ヘクタール残ったわけではなく、36ヘクタールのうちのごくわずかな部分が多分残ったということだと思う。その残った理由というか、どのタイミングで、要するに、十何年だ……86年から97年、11年ぐらいかけて調査している。その調査の期間は多分開発はされなくて、11年間調査をして、その発掘結果を国に報告をして、ここだけという、何かその手続のところが少しわかると参考になるかなと思ったが。
◎
文化課長補佐 はい。あの……。
◆金沢和子 委員 現地で聞いたほうがいいか。
◎
文化課長補佐 ああ。すいません。あの……残存状況が……。(発言する者あり)
◆金沢和子 委員 ええ。(発言する者あり)
◎
文化課長補佐 残存状況もあったと思う。(発言する者あり)
◆金沢和子 委員 うん。いや。あの……すいません、いいか。
○委員長(
松橋浩嗣) はい。どうぞ。
◆金沢和子 委員 知っていてもらったほうがいいかと思う。まあ……あの(発言する者あり)うん。もっと現地行ったら、細かい話が聞きたい。だから、参考までにね。じゃあ、それは皆さん、現地で聞けとの要望なので、現地で聞くことにする。
だから、
開発行為で残すって至難のわざなので、私たちとしては、買ったほうがいいというふうに常々思う。特に取掛の場合には、既におおよそのことがわかっているので、地権者の方に同意を得て調査を進めるっていうのはありだが、その後、どうやって保存するかってなった段になれば、やっぱり買うしかないんじゃないかというふうには思うが、その……購入する、しないの判断、残すときの。さっきの上野原じゃないが。そのあたりの判断はどのタイミングでされることになっていくのか。もう買ってもいいと思うが。はい。
◎生涯学習部長 だんだん開発の波が押し寄せてくるのかなというのは、ちょっとわからないが、
開発行為があれば、文化課のほうにも事前協議ということで相談が来るので、そこで情報を探知できるということが1つなので、その辺がポイントかなと。この遺跡の貴重性というのを、やっぱり国・県と協議していきながら、市指定遺跡も念頭に置いて、その辺を整備保存の検討していかなければならないけれども、でも、まだまだそこまで来てないので、開発、相談に来れば、当然、委員が言ったとおり、買う選択肢も当然あるし、その前に市の指定遺跡にするには、地権者の同意が必要になるので、そういった手続を踏まえていきながら、そういった個別の相談をしていくと。将来は、国・県と相談しながら、今回視察へ行くところも、一部は国の指定遺跡になっているので、そういった選択も当然出てくると思っている。現段階では、明確にはまだお答えできないが。
◆金沢和子 委員 前回、
海老ヶ作のときもそうだったが、罰則がないじゃないか。だから、協議している間にも、工事が進んでしまうということは想定ができるので、早い段階で購入なり、保存なりの手法をやっぱり検討していただければと思う。
◆島田たいぞう 委員 今の話だが、国はどこまで……まあ言えないというのが現状だろうが、重要視っていうか、
重要文化財、あるいはそういうものに指定というか、ある程度、当たってみて考えているニュアンスっていうのはどうなのか。本当にそういうものなのか。
◎生涯学習部長 まだ
分布調査終わって、概報が出て、これも国・県にも報告しているところであり、平成21年にこれだけの発見があったっていうようなことで、
遺跡見学会や、広報に載せているので、ここの貴重性っていうのはまあほぼわかっていただいていると。ただ、全体的にどうなのというのが1つ課題になっている。あと、縄文の早期と前期か、ここで何千年って差があるので、この何万平米全体はどういった状況なのかというのは、今後調べていかなきゃわからないので、その点も踏まえて、来年度以降やっていかなければいけない。そこについては、国や県と協議しながら進めていきたいとは思っている。
◆島田たいぞう 委員 どのぐらいかかるの。その……全体的に把握して、そうだという答えが出るのは……できるのは。
◎生涯学習部長 調整区域内なので、農地があるのが先ほど説明したとおり、5万平米以上ということで、5万平米全体を調査するのは、時間がかかるので、ポイントを絞ってやったらどうかっていうのは、国・県からアドバイスをいただいているので、それについては必要な予算は必要かなとは思っている。
時間的には、やはり、先ほど担当が申し上げたとおり、調査するだけじゃなくて、
報告書もつくらなければいけないと。それをいろんなところで説明して、普及していかなければいけないというのもあるので、時間はかかるのかなと。ただ、ぜひ上野原へ視察に行ったときに、その辺の国指定遺跡まで行ったスケジュールなども確認してきたいとは思っている。
◆島田たいぞう 委員 ここはね、
鹿児島の場合は、ほら、
工業団地で調整区域だよね。だから、開発は、そう簡単にもともとできない。(生涯学習部長「うちのほうか」と呼ぶ)いやいや。(生涯学習部長「あ、向こう」と呼ぶ)
だから、そういう意味では、お互いのバランスを見ながらということで。
鹿児島のように、そうなるってことで……本当にそうなのかという、確証というか、確認というか、それを得ない限り、一歩、手出せないよね……踏み込めないのが現状じゃないかと思う。やっぱりところどころ掘っただけじゃ、恐らく全体はわからないでしょうからね。そこの時期の見きわめが大事なのかなという気がした。
◎生涯学習部長 先ほど説明したけれども、取
掛西貝塚の
歴史的価値ということで、一応5項目にまとめてあるので、これは
学識経験者の意見も踏まえて、まとめたので、参考にしていただければと思う。
◆島田たいぞう 委員 各会の方と協議するのは、それはそれで結構だが、協議しないで、宅地開発の場合も出てくる。例えば……全体の話をしている。協議の場で初めて、目で見るなりをやっているわけでしょ。ところが、全然協議に来ないで、いきなりやった場合。この前の、貝塚はそうなんでしょう。海老……。
◎文化課長 前回の
海老ヶ作貝塚については、開発が伴ったので、宅地課にもう申請が(島田たいぞう委員「ああ、そうか。あれはもうしていたんだ」と呼ぶ)出ていた。はい。それ以外に文化課にも埋蔵地の包蔵地ということで、協議に来て、その段階で事業者と話をするようになった。
◆島田たいぞう 委員 出てこないものにしたらどうなの、協議って。
◎文化課長 開発の要件を満たさないものということか。
◆島田たいぞう 委員 そうそうそう。
◎文化課長 そこは……。
◎
文化課長補佐 開発行為は、500平米以上の開発は必ず宅地課から回ってくるようになっているので、その中で遺跡にかかるものは必ず協議をして、工事で遺跡が破壊される場合は、
発掘調査を実施している。それ以外の500平米以下の場合……これが個人住宅などが該当する。実は、全てが全てではないが、先ほどグラフにも示したとおり、だんだん
増加傾向にあり、遺跡のことは周知されつつある中では、自主的に個人住宅の工事でも皆さん、申請を出してくださる状況になっている。不動産の重要説明事項に遺跡の有無を書く義務があるので、そういった中でも、不動産関係の方がこちらに回ってきて協議する状況に、今なってきた。
◆島田たいぞう 委員 例えば開発をしたい人と、待っていてくれという人で協議してもらうわけでしょ。何年間も待つわけでしょう。その調査が終わり、
報告書が出るまで。その間の云々っていうのは、やっぱり企業がずっと、我慢してやるほかないよね。その辺とのバランス、国との関係は、何か出ているのか。そこが一番、重要なのかなと思う。
企業側は、どんどん開発をして、金として戻ってこなければならないよね、それに対して。ところが、こっちはこっちで調査をやっているので、発掘でもたもたしているうちに2〜3年すぐたっちゃうよね。もっと本格的になると、5年、10年たつじゃないか。企業は、その間、我慢できないで、どうするのって話で、この前のような事件が起きたと思う。その辺は何かあるのか。
◎
文化課長補佐 そういう意味でも増員体制図り、迅速に調査を行うということは努めている。20年ぐらい前は半年ぐらいお待たせしたこともあったかと思うが、最近は、申請出していただいてから、2カ月ぐらいで調査に入るように、迅速化は努めていて、現場の調査が終われば、実際、その保存目的でない遺跡の場合は、工事に入っていただいているので、
発掘調査の
報告書ができるまでお待ちいただくのではなくて、現場の調査が終わったら、工事に入っていただくという流れをとっている。
◆島田たいぞう 委員 その辺、お互いに、考え方が両方あるわけだから、できれば、そういうような部分を注意して、迅速かつ速やかに結果を出していただいて、早く報告していただきたい。
あと、
海老ヶ作のときの損壊以降に、国や県から指導したいと受けているわけでしょう。それが、ここに書いてある内容か。報告して、お互いに調整して、こういうことを進めていくということで、了解はとられているのか、国も県も。
◎文化課長 先ほど説明した2年間にやってきたことというのは、実は
海老ヶ作損壊後に国に行き、指導を受け、このような形で……普及啓発にやはり劣っていたのではないかという部分を指摘されたので、それができるような体制を組み、実際に普及啓発をこの2年間やってきた。これは国からの指導もあっての2年間ということである。
◆島田たいぞう 委員 看板などが大きな普及啓発か。
◎文化課長 そちらのほうも普及啓発の国庫補助を受け……。
◆島田たいぞう 委員 あ、国庫補助受けているのね。
◎文化課長 はい。説明板の設置や、先ほどお見せした
遺跡マップだが、あちらも包蔵地がこんなにたくさんあるんだということを皆様に知っていただこうということで、このマップをつくった。
◆島田たいぞう 委員 もう1ついいか。学校教育の中では、例えば近くの小学校での教育っていうのは、ちゃんとされているのか。
◎文化課長 そちらについても、従前より、今回の
海老ヶ作とは全く別に
普及啓発活動ということで、
埋蔵文化財調査事務所の考古の学芸員が学校へ遺物を実際に持って、子供たちに見せたり、それから、学校が飛ノ
台史跡公園博物館へ、6年生になると、縄文の授業があるので、現地へ赴いて、学芸員の指導を受けると。それは従前よりやっている。
◆島田たいぞう 委員 できれば、近隣にある小中学校が隣はここだというね……見学会……やるか、やらないかは別問題として……ああ、どうぞ。
◎文化課長 今、普及啓発の中に含まれているが、学校の用地の隣で、昨年、一昨年と、たまたま大きな遺跡があり、本調査になっている。それについては、近隣の小学校が実際に遺跡の発掘現場まで来て、現地を調査、見学をし、また、近隣にお住まいの皆様にも周知をして、見に来ていただくと。そのような活動は日々続けている。
◎
埋蔵文化財調査事務所長 私どもの事務所では、2年半前に私が来たときに考古の職員が3名であった。今、8名ということで、2倍以上で発掘の作業を行っているので、かなりスピーディーになったのではないかと思っている。また、埋文事務所のホームページのほうに力を入れているので、その中でどんなことをやっているのかということを市民の方にPRした結果、いろんな団体の方から事務所を見学化してほしいということが、今までなかったが、ここ1年、2年の間に何件かあった。これについては、今以上にPRのほうに努めていって、遺跡の発掘のほうにご理解いただきたいと思っている。
──────────────────
2. 船橋市
文化振興基本方針(案)について
[理事者報告]
◎文化課長 それでは、昨年、平成27年度と平成28年度の2カ年をかけて、
文化振興基本方針を策定している最中だが、概要を説明させていただく。資料は、
文化振興基本方針の素案と、本日お配りしたA3に体系の流れが書かれている。こちらのA3の資料をお手元にご準備いただきたい。
文化は教育、福祉、まちづくり、それから、観光等に幅広い分野と関連が深く、大きな波及効果を有している。本方針策定に当たっては、このような観点を踏まえつつ、地域の人々を育んできた歴史・風土等を反映し、特色ある文化振興の進むべき方向を示すことができるよう検討してきた。本日は策定委員会により策定された船橋市
文化振興基本方針の素案をごらんいただく。
本策定委員会の進め方としては、文化振興を取り巻く環境の確認、それから、本市の現状把握するため、多方面へのアンケート、文化団体との意見交換会、庁内照会を実施し、そこから課題抽出し、課題解決に向けて検討をしてきた。
では、配付した素案に沿って説明をさせていただく。冊子のつくりだが、本編が43ページまである。その後ろに資料編をつけている。資料編は歴史的背景を含む各地域の特徴、それから、文化団体の意見交換会等について、また、5種類のアンケートの結果から成っている。
それでは、本編から説明する。
まず、第1章、基本方針の策定に当たって本方針の前提となる部分について書かれている。基本方針の位置づけと目的が1ページ、それから、基本方針の期間が2ページに記されている。こちらの方針の根拠となる文化芸術振興基本法は、おおむね5年から6年の期間で基本的な方針を見直しを図り、国が平成32年に見直しを行うので、それを踏まえて本市も見直すように、今期は平成33年度までの5年間の期間とした。
次に、3ページには文化を取り巻く環境が書かれている。本方針策定に当たっては、平成13年度に制定された文化芸術振興基本法が根拠法令となる。その第3条には、国の責務、それから、4条には地方公共団体の責務として、「地方公共団体は基本理念にのっとり、文化芸術の振興に関し、国との連携を図りつつ、自主的かつ主体的に、その地域の特性に応じた施策を策定し、及び実施する責務を有する。」と記されている。国は既に第4次の基本方針を策定しており、今期は文化芸術資源で未来をつくるをサブタイトルに、文化芸術立国の姿を明示している。その中で特に大きな特徴は、2020年、オリンピック・パラリンピックを契機とした文化プログラムの実施である。本市においても文化プログラムを実施することによって、地域の文化を国内外に示す好機となるということが期待されている。