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平成26年防災・危機対策調査特別委員会 名簿 開催日: 2014-02-07
平成26年防災・危機対策調査特別委員会 本文 開催日: 2014-02-07

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  1. 千葉市議会 2014-02-07
    平成26年防災・危機対策調査特別委員会 本文 開催日: 2014-02-07


    取得元: 千葉市議会公式サイト
    最終取得日: 2021-09-28
    ↓ 最初のヒットへ(全 0 ヒット) 1                  午前10時0分開議 ◯委員長米持克彦君) おはようございます。  ただいまから防災・危機対策調査特別委員会を開きます。  本日の進め方でございますが、お手元に配付のとおり、初めに液状化対策進捗状況について調査いたします。調査終了後、東日本大震災被災地派遣職員による活動報告について聴取いたします。最後に、次回開催日等について御協議願いたいと存じますので、よろしくお願いいたします。  次に、各委員、説明員の皆様に申し上げます。発言の際には必ずマイクを使用していただきますよう、お願いいたします。  また、説明員の皆様におかれましては、2列目以降の方が発言する際には、起立の上、所属を述べていただきますようお願いいたします。  なお、12月24日に共産党さんからお手元に配付のとおり、新たな首都直下地震被害想定等に基づく本市の対応策について検討するための委員会を開催されたいとの申し入れがございました。  正副委員長といたしましても、首都直下地震に備えた対策等について調査することは有意義であると考えますが、議会の日程等を勘案すると、新たに開催日を設定することは困難な状況でありますので、本申し入れによる調査につきましては、第1回定例会終了後の委員会において、他の調査案件と合わせて行いたいと存じますが、よろしいでしょうか。               [「異議なし」と呼ぶ者あり] 2 ◯委員長米持克彦君) ありがとうございます。それでは、さよう取り計らわせていただきます。               液状化対策進捗状況について 3 ◯委員長米持克彦君) それでは、初めに液状化対策進捗状況についての調査を行います。当局の説明をお願いいたします。はい、都市局長。 4 ◯都市局長 おはようございます。都市局でございます。液状化対策について、御説明をさせていただきます。  さて、昨年の11月26日に開催しました当委員会におきまして、液状化対策進捗状況について御説明させていただきましたが、その中で、液状化対策工法の一つでございます地下水位低下工法実証実験を10月15日より、中磯辺第一公園において観測を開始し、既に3カ月が経過したところでございます。  本日は、その結果につきまして、中間報告をさせていただきますので、よろしくお願いいたします。具体的な内容につきましては、谷津都市部長より説明をいたします。よろしくお願いします。 5 ◯委員長米持克彦君) はい、都市部長。 6 ◯都市部長 都市部長の谷津でございます。座って説明させていただきます。  それでは早速ですが、お手元にお配りしてございます資料、液状化対策進捗状況についてをごらんください。
     なお、3ページ以降にグラフ資料としてグラフがついておりますが、ちょっと古いデータでしたので、お手元に本日新しいデータのほうを、最新のデータまで入ったものをお配りしておりますので、資料については机上に配付してあるほうをごらんいただきたいと思います。  それでは、まず最初に実証実験の経緯についてでございます。地下水位ですが、資料1をあわせてごらんください。  (資料を用いて説明)観測は、昨年10月15日から開始しまして、水位は平成26年1月24日現在で、地表より深さ2.9メートルから3.1メートルまで低下しております。  資料1のグラフで、下のほうに下がっている3本線があると思いますが、これが矢板の内側のほうで、上のほうに5本ありますけれども、こちらについては矢板の外側でございます。矢板の内側がかなり下がっているというのがわかると思います。なお、これを見ていただくとわかるとおり、地下水くみ上げによる区域外への影響は出ていないと考えております。  次に、地盤の沈下量ですが、資料2のグラフをごらんください。一番下の青い線が地表面の沈下量ということで、全体の地層の合計になります。資料2の最初のほうが東京側で、13.1ミリ。それから、2枚目の千葉側のほうですと、9.8ミリの沈下を確認しております。この沈下については、少しずつですが、まだ続いていると認められます。なお、区域外での沈下は見られておりません。  次に、模擬建屋についてです。資料3をごらんください。  模擬建屋の傾きについては、これまで言われているように、隣接する住宅方向へ傾く傾向が見られますが、傾きや国のガイドラインの基準レベル1,000分の3を大きく下回り、最大でも1,000分の0.7と確認しております。  次に、資料の最初のページに戻っていただきまして、四つ目の丸、液状化対策推進委員会での中間報告ですが、地下水位低下工法実証実験につきましては、平成25年12月26日に開催しました第4回千葉市液状化対策推進委員会において、磯辺4丁目のモデル地区地下水位低下工法は有効であるとの御意見をいただきました。また、観測については、地下水位季節変動の確認を行ってはどうかとの意見をいただいたことから、本年9月まで観測を続けていくことといたしました。  次に、地元説明状況等でございます。  平成26年1月には、モデル地区の磯辺63自治会検討地区の磯辺8丁目自治会、真砂5丁目自治会に対しまして、液状化対策推進委員会の内容を報告させていただくとともに、今後の対応について説明を行いました。  主な意見といたしましては、今後のデータ等を提供していただきたい。ほかの自治体の状況を知りたい。地下水位低下による影響が少ないようなので、早急に実施に向けた体制づくりを進めていきたい。事業実施に向けて地元と行政の協議を密に行いたいなどの意見をいただいております。  次に、2ページ目をごらんください。  今後の流れでございますが、次年度以降は地元調整が図られた地区より、市街地液状化対策事業計画の策定を行いまして、実施に向けて取り組んでまいりたいと考えております。そのためにも、地元の皆様と協議を進めまして、年度内に何とかおおむねの同意をとりたいと考えております。  以上で説明を終わります。 7 ◯委員長米持克彦君) ありがとうございました。  お聞きのとおりでございます。御質疑等がございましたらお願いいたします。  なお、御質疑等に当たっては、最初に一括か一問一答か、質問方法を述べていただくほか、一問一答の場合は答弁を含め、おおむね30分以内でお願いいたします。はい、佐々木友樹委員。 8 ◯委員佐々木友樹君) では、一括でお願いいたします。  まず、この液状化対策は国の事業ということで、平成27年度着工までがこの事業になっていると思うんですけれども、先ほど御説明がありました地下水位低下工法については、効果が得られているという状況で、地元との協議が着々と進んでいると思っております。  その一方で、磯辺8丁目自治会だとか、あと、真砂5丁目自治会などは、ここは地下水位低下工法ができないエリアだと思います。そうした中で、平成27年度着工というのはなかなか厳しい部分があるのかなと思っておるんですけれども、適用期限を国に対して延長を求めるなどの、そういった検討はされているのか。  まずそれが1点と、あと、もう一つ、格子状地中壁工法というのはやはりコストの面でも、やはり200万円、市が補助を出したとしても200万円はかかるという中で、全世帯が実施しないと、これはエリア的にも効果がないかと思います。  そういった効果が確保できない場合、住民の合意というのはなかなか得られないんじゃないかなということを感じております。地下水位低下工法ができない地盤の地域の対策、その工法について、やはり地下水位低下工法がなければ格子状地中壁工法しかないという状況の中で、以前提案されたような工法が幾つかありましたよね。  それについては、これまで検討してきた二つの工法以外に、これまで、例えば学識経験者などの方に、例えば検証を行っていただいているのかどうか、その辺について伺います。 9 ◯委員長米持克彦君) 都市部長。 10 ◯都市部長 まず、平成27年度までということで、今、国の補助が決まっておりますけれども、これについては、私どもも他の自治体と一緒に、国のほうに平成27年度まで着工では非常に難しいということで、延長を求める要望書を提出するなどの行動を起こしております。  次に、格子状地中壁工法コストがかなりかかるということですけれども、今のところ、委員会などでも、とりあえず地下水位低下工法格子状地中壁工法を主に検討しているというところで、格子状地中壁工法についても、なるべくコストがかからないような形で、国の支援等を、まだこれは決まっていないんですけれども、なるべく国から支援していただけるよう、住民側の支出を極力減らせるよう、今お願いしているところでございます。 11 ◯委員長米持克彦君) はい、佐々木友樹委員。 12 ◯委員佐々木友樹君) 取り組みはわかりました。  しかしながら、国のほうからは、この延長に対しての正式な回答というのはないのでしょうか。  その点についてと、あと、なるべくコストがかからないようにということで、以前からこの委員会でも、私何度も質問させていただいているんですが、コストの割合ですよね。コストというか、補助の割合というのがなかなか明確にされていない中で、かつ平成26年度、27年度のうちに事業計画を出すというのは、なかなか厳しい部分があるんですけれども、その点については、引き続き国に対して求めているという状況なのでしょうか。 13 ◯委員長米持克彦君) 都市部長。 14 ◯都市部長 国の感触ですけれども、はっきり平成28年度以降もという話はないですけれども、これは、かなり全国的に平成27年度ではちょっと早過ぎるということで、相当いろいろなところで国のほうに申し入れておりますので、延伸されるのではというふうに期待はしております。  それから、補助の割合についても、なかなか復興庁のほうからいい回答がまだ得られていないということですけれども、これについても、引き続きちゃんと補助を出してもらうように、継続して要請していくところでございます。 15 ◯委員長米持克彦君) はい、次。はい、村尾委員。 16 ◯委員村尾伊佐夫君) 一括でお願いいたします。  本市が実証実験を今やっていただいておって、中間発表があったという、そういった中、観測については地下水位季節変動の確認を行ってはということで、先ほどの説明では本年9月まで実証実験をやって地下水位を見ていこうというふうに決まったわけですけれども、ただ、住民との今後の手続については、もう既にこの2月から協議等も含めて始めようとしている、並行してやっていくわけですけれども、一つには季節変動の確認という背景には、例えば6月の梅雨の時期、雨の多いときにどうするのかと、そういったこともあるかなと思うんですけれども、そういったときに違った、もし数値が出てきてしまうという可能性もあるわけですけれども、その辺の考え方が一つ。  それから、本市の場合には地層が重なって複雑ということで、ほかの自治体液状化対策の地層と、若干違う特徴があるかなと思うんですけれども、こういった中、データをお示しされて実際にこの方法でやったときに、ここにもデータは示されておりますけれども、いわゆる傾きが、一つの家で万が一傾きが発生した場合に、やったんだけれども住みづらくなってしまうということも心配されるんですけれども、きょうお示しいただいたデータを見た限りでは、やったときに、仮にこれだけの傾きが出たとしても、そういった生活するに当たっては支障はないと思っていらっしゃるのか、その2点、確認させていただければと思います。 17 ◯委員長米持克彦君) はい、都市部長。 18 ◯都市部長 委員おっしゃるとおり、9月までやるということで、今は割と乾季ということで、雨が余り降っていない状況の中でこういうデータが出てきておりますけれども、梅雨どきとか、台風のシーズンに大雨が降ったときに、どの程度水位が変わっていくのか。その辺は検証すべきだということで、液状化対策推進委員会のほうからも言われておりまして、それで9月までやることに決めたわけです。  当然、今のところかなり予想よりもいい結果が出ているということで、地元に対してはやる方向で説明はしております。万が一違った場合につきましては、また液状化対策推進委員会のほうでいろいろ議論していただいて、この工法で続けるのか、本当に、いや無理だということになれば、違う工法を考えていかなければならないのかなと思っております。  あと、傾きについても、今のところ少なくともこのデータで見ますと、若干7ミリとか13ミリとか、少し場所によって沈み方が違うというのはありますけれども、今のところ、この程度の傾きだと全く生活には影響ないというか、感じられない程度の傾きだということで、これも今後9月まで様子を見ますけれども、今のところ大丈夫ではないかというふうに考えております。 19 ◯委員長米持克彦君) はい、村尾委員。 20 ◯委員村尾伊佐夫君) ありがとうございました。  万が一、その工法をやった後に生活する中で、傾きが一つの家で発生してしまった場合には、そういったものを修復していく工事費というのは、個人がやっぱり負担しなくてはいけないような形になるんでしょうか。その点いかがでしょうか。 21 ◯委員長米持克彦君) はい、都市部長。 22 ◯都市部長 やっている間、工事期間中に沈んでしまうと、これは行政のほうで何とかしなくてはならないと思いますけれども、それが何年かして出てしまった場合には、そこまでちょっと行政のほうで助けられるかどうかというのは、ちょっと今後いろいろ検討していかなくてはいけないのかなとは思っています。 23 ◯委員長米持克彦君) はい、村尾委員。 24 ◯委員村尾伊佐夫君) ありがとうございました。  いずれにしましても、実際に生活されている住民の方が一番困っていらっしゃるわけなので、今後具体的に協議がなされるという計画もあるわけで、その点しっかり、いわゆる該当される住民の方々の意見を十分聞いていただいて、丁寧な対応をしていただくようにお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。 25 ◯委員長米持克彦君) ほかにございますか。はい、佐々木久昭委員。 26 ◯委員佐々木久昭君) 今回の実証実験については、大変都市局また関係所管の皆様、御努力をいただいて、順調に進捗をしておることについては御努力を多とするところでございますが、これが当該地区のみならず、美浜区の液状化対策、その前提としてのメカニズムの解明とか、そういうことにも結びついていっていただけることを、まずは期待をいたしているところなんですが、一つは、今回共産党さんからも大変切実に、いわゆる首都直下地震に対する、早期なる、また対応に向けての委員会を開催などを求めていらっしゃる。  私どもも委員会の開催はともかくといたしまして、やはり去年の12月19日に政府のほうで発表いたしました、やっぱり千葉市を中心とする今後30年以内に発生する確率で、しかも極めて大規模な震度の地震がやってくるという、市民の皆さん非常に危機感をお持ちであるわけですね。  ですから、いわゆるいついかなるときに、もうすぐ来るかもしれないこの首都直下地震の規模等を想定をした中で、これが今やっているこの液状化対策が生きてこなければ何にもならないわけですよね。  ですから、そういう意味で、首都直下地震被害想定などがされている、そういうものと相対峙をして、今のこの美浜区における液状化対策についてどうあるべきなのかという、その中で、今やっていることがどの位置にあるのか。その辺の総合的な、総括的な所管としての見方をちょっとお伺いをしておきたいというふうに思っておりますので、以上です。よろしくお願いします。 27 ◯委員長米持克彦君) はい、都市部長。 28 ◯都市部長 液状化対策にいろいろ工法が、今二つ検討しておりますけれども、埋立地ということで、広い範囲で今後もまた液状化が発生する可能性があると思いますけれども、なかなか全体的にどうするかというのが、非常に難しい状況。それと、地下の地層にもよりますので、全体的に液状化対策を行うというのは非常に難しいのかなとは思っていますけれども、とりあえず、今回磯辺63自治会でやっています実証実験を受けて、少し進む。もし進めば、ほかの地域でも同じようにやっていこうというような気持ちになってくるのかなと思っていまして、何とか今回、これをまとめてやることによって、ほかに波及していくのを期待したいとは思っております。 29 ◯委員長米持克彦君) はい、都市局次長。 30 ◯都市局次長 済みません、補足の説明をさせていただきますけれども、今回の液状化対策工法検討に当たりましては、東日本大震災レベルで200ガルのマグニチュード9程度の、中程度の地震の揺れに対応することを想定した対応策を検討させていただいています。  直下型の場合は、これよりももうちょっと揺れが大きいというような想定もあるようですけれども、とりあえず、この辺の想定は地権者の皆さんの費用負担にもかかわる関係もありますので、東日本大震災の中レベルの揺れの状況の中で作業をやっておけば、一応の対応はできるのではないかというふうに考えています。 31 ◯委員長米持克彦君) はい、佐々木久昭委員。 32 ◯委員佐々木久昭君) 一括でございます。申し訳ありません。  今、現状の捉え方はわかりましたが、大変、私の所感としては心もとない。とても姿勢としては、確かに次長が言われるように、現実に東日本大震災のあの状況を受けて発生したものに対する対応ですから、これはこれとして当然、今やっていらっしゃって、ここをまず解明をしていって対策を立てるということは、これは第一義ではあると思うんですが、その後に首都直下地震の危機というのは、国が、この信憑性のあるいろいろな観測をもって、千葉がいわば一番危ないとまで言われるような分析もしているわけです。  あの東日本大震災の規模でという想定でという域を出なかったときに、本当に首都直下地震のあの政府の想定があったときに、今やっていることがとてもじゃないけれども生きる話ではないと思うんですね。  だから、今はそれはそれとして第一義にやらなきゃいけないと思うんですが、それとはまた別に、やっぱりこの首都直下地震が来たときの想定に立った、レベルの高いやっぱり観測の中で、いや、これは難しいと思いますよ。どのレベルを捉えるかという点ではですね。ですけれども、やっぱりそのぐらいの解明を並行してやっていくという気概を持っていかないと、私は、村尾委員も言われたように、特殊な、ほかの日本全国にもない、埋め立ての非常にメカニズムを解明しづらい難しさも確かにあるんですけれども、間違いなく首都直下地震が来たときには、この間起きたときの液状化ではとても済む話ではないというふうに、とても危機感を実は持っているわけです。  そういう意味では、大変ですけれども、もっと県も国も、もっと優秀な、やっぱりそういう技師とか、いろいろな学者もいるわけですから、もっと大々的に首都直下地震に備える液状化対策という視点でもう一遍ちょっと見直してもらって、今のことはきちっとやっていただくということとあわせて、少し先を見て、危機感を持ってやっていただけたらということで、きょうの時点ではそういうふうに申し上げておきたいと思います。  以上でございます。 33 ◯委員長米持克彦君) ありがとうございました。  ほかにございますか。はい、布施委員。 34 ◯委員(布施貴良君) では、一括で。  この実証実験、かなり有効だという効果が出ているかとは思うんですけれども、まず磯辺63自治会については、ぜひ皆さんの合意を得てこれをやってもらいたいと思っております。  ただ、今、佐々木久昭委員が言われたようなこともありますが、液状化については東日本大震災のような海洋型の非常に揺れの時間が長い、そういう地震で液状化が起こりやすいということが言われているかと思うんです。直下型については、震度は非常に大きいんですけれども、ちょっと揺れの仕方が違うということもあって、液状化についてはあらわれ方がどうかという話もあるようなんですが、いずれにしても、美浜区の場合は非常に広範な地域が埋め立てですので、液状化ができやすいということはあると思います。  そこで、将来的なことをどう考えるのかということになるわけですが、まず、これは費用と効果の関係があると思います。今回モデル地区をやるに当たっては、これは100%国費でというふうに聞いておりますが、実際にやった場合の事業費は幾らぐらいになるのか、そこをちょっと教えてもらいたいと思っております。  美浜区の液状化の出ている主要なところで、もしそれをやるとすれば、対象の範囲はどれくらいであって、もしその大半を同じような工法で液状化対策をやるとすれば、どのくらいかかるのか。その場合には、必ずしも国費が全部出るとは限らないので、市のいわば負担がどのくらいになるのか、こういう計算があればちょっとお示しいただきたい。 35 ◯委員長米持克彦君) はい、都市部長。 36 ◯都市部長 まず、費用については、工法によって若干違うということと、対象についてはモデル地区の磯辺63自治会のほか、検討地区として磯辺8丁目地区、真砂5丁目地区などを想定しております。  特に被害がひどかったというところで、費用については……(「聞いていないよ、そんなの。出てこないんじゃないかよ」と呼ぶ者あり)済みません、費用についてはちょっと今不明ということで申しわけありません。まだ詳細に出していないので。 37 ◯委員長米持克彦君) はい、布施委員。 38 ◯委員(布施貴良君) そうすると、磯辺63自治会でやる場合、何億円という金額だろうと思うんですね。ですから、これを想定すると、美浜区全体でやるというのは、私は非常に不可能ではないかというふうに思っているわけなんです。  ある専門家の話によると、矢板で囲って水抜き工法をやるということは必ずしも必要ないんじゃないかと。いわば美浜区の主要な公共的な施設、例えば学校であるとか、あるいは公園であるとか、そういったところに井戸を掘って水を抜くということで十分ではないかという、そういうことをおっしゃる方もいらっしゃるので、磯辺63自治会についてはモデル地区ということで、これはぜひ皆さんの合意をとってやっていただきたいと思うんですが、その先については、私はそういった主要なところで水を抜いていくということも、あわせて検討していくべきではないかというふうに思っておりますが、その辺についてどんな展望をお持ちか、それもお答えいただきたいと思います。 39 ◯委員長米持克彦君) はい、都市部長。 40 ◯都市部長 委員おっしゃるとおり、前からそういう御指摘を受けておりますけれども、とりあえず磯辺63自治会については、囲ったほうが下に粘土層があるということで、非常に抜けやすいということで。ほかについてはそういうちょうど底になるような粘土層がないところもあります。  例えば、掘って暗渠管だけ入れて、全体に入れれば下がっていくのかなというところもありますけれども、その辺についてはちょっといろいろ、まだ液状化対策推進委員会等で検証させていただきたいと思っております。それも一つのやり方かなとは思っております。 41 ◯委員長米持克彦君) はい、布施委員。 42 ◯委員(布施貴良君) いずれにしても、そういったことも含めて、まずは磯辺63自治会を中心にしてやってみて、その上でさっき私が申し上げたような方法についても検討しながら、いずれにしても美浜区全体が液状化の発生を見ておりますので、そういった対策を進めていただきたいと思います。  以上です。 43 ◯委員長米持克彦君) はい、ほかにございますか。はい、三瓶委員。 44 ◯委員(三瓶輝枝君) 先ほどの佐々木友樹委員のお話にもありましたように、国からの交付金、補助金について期限があるということを住民の皆さんも御存じということで説明されているのかということと、それからもう一つ、先ほど村尾委員からも御指摘があったんですけれども、この事業を進めていったとして、完全ではない場合もあるかもしれない、大きな地震があったときに。いわば、そういうものを住民の方はきちんと承知されているのか。  実は、違うところでも、こういう地震ではないんですけれども、災害を防ぐための大きな暗渠を入れたわけですけれども、それを入れますと、私たちもそうですし、行政の方も、また住民の方も、これで安心というふうに思ってしまう部分があって、でも後から災害がまた発生しますと、いやそれは完全に大丈夫だとは言っていなかったというふうなことを後から言われるような気がするんですね。  そういった説明をきちんとなされているのか、一つ伺いたいと思います。一括でお願いします。 45 ◯委員長米持克彦君) はい、都市部長。 46 ◯都市部長 地元の説明では、平成27年度までしか、今のところ、補助金がもらえるというのが期限が平成27年度ということは申し上げております。  それと、こうやって今も並行して調査をやっているように、なかなかこれをやったからといって100%絶対大丈夫ですよというのは、やはりなかなか言い切れない。先ほどから出ています、ほかの、前回の3.11の地震に対しては大丈夫だというふうにほぼ考えていますけれども、また、佐々木久昭委員が言われたような直下型が来たとかもっと大きなのが来たとか、そういった場合に絶対大丈夫というのは、やはりこれは言い切れないと思っております。  これを続けていくことによって、じわじわ地盤沈下がまだ進んでしまうということも、全くないということではありません。その辺のリスクについては、やはり地元の方にきちんと説明していっておりますので、今後ともその辺はきちっと申し上げながら進めていきたいと思っております。 47 ◯委員長米持克彦君) はい、三瓶委員。 48 ◯委員(三瓶輝枝君) わかりました。  ある意味、早くやってほしいという思いもありながら、これが完全ではないということもあり、それはここの地域だけではなくてほかの面でも、ほかの地域でもほかの別の件で出てくることです。  ですから、そういったことをきちんと確認をしていって、あのとき聞いていないとか、そうじゃなかったとかいうようなことがないように、きちんと説明会でも必ず言っていただきたいと思いますし、もう一つは市民の方からそういった質問が出ているのかどうかを伺えますでしょうか。 49 ◯委員長米持克彦君) はい、都市部長。 50 ◯都市部長 では、説明会の内容については、市街地整備課長のほうから御説明いたします。 51 ◯委員長米持克彦君) はい、市街地整備課長。
    52 ◯市街地整備課長 市街地整備課、山下でございます。  12月の液状化対策推進委員会を受けて、この1月に地元説明会、磯辺63自治会と磯辺8丁目自治会、真砂5丁目自治会のほうでさせていただきました。  その中で、委員おっしゃるようにいろいろな質問の中で、一つはこれをやったときに完全なのかというお話ですけれども、一応この対策については、東日本大震災と同じ規模で起きても全く大丈夫ということは言い切れませんと。あくまでも液状化の抑制ということでお考え願いたいと。  それと、今後十数年たったときに当然沈下が起こる可能性もないとは言えないと。そのときの一番は、この事業を実施するための合意をとるときに、その沈下の関係、あとは建物が傾いたときの補償の関係、その辺も密に地元の方と打ち合わせをさせていただきたいと。説明会の中では全体説明も必要ですけれども、代表の方を選任していただいて、そちらの方に地元の意見を言って、それを市のほうに上げてもらうと。それを回答して、そのやりとりをして、両者が納得いく形で合意がとれればというお話をさせていただいております。  磯辺63自治会については、一歩進んだ形のそういう組織、もともと防災がございますので、そちらが先頭になって、うちのほうと打ち合わせをするということで進んでおります。 53 ◯委員長米持克彦君) はい、三瓶委員。 54 ◯委員(三瓶輝枝君) 私の聞き間違いだったら申しわけないんですけれども、そういった質問、あるいは説明をしている自治会とそうでない自治会が、もしかしたらあるのかなと思うんですけれども、もしそうであれば、その辺はきちんと進めていっていただきますようによろしくお願いしたいと思います。 55 ◯委員長米持克彦君) はい、ほかにございますか。                [「なし」と呼ぶ者あり] 56 ◯委員長米持克彦君) ほかに御発言がなければ、以上で液状化対策進捗状況についての調査を終了いたします。  説明員の入れかえをお願いいたします。御苦労さまでした。          [都市局退室、保健福祉局・美浜区・消防局入室]          東日本大震災被災地派遣職員による活動報告について 57 ◯委員長米持克彦君) 次に、東日本大震災被災地派遣職員による活動報告について聴取いたします。  なお、今回の報告につきましては、前回の委員会における委員からの御提案に基づき、当局への提言に向けた今後の委員会活動の参考とするため、本日聴取を行うことといたしたものでございます。  本日は、消防局及び保健福祉局より派遣職員をお呼びし、派遣活動についての報告をお願いしております。  それでは、まず、消防局警防部警防課の白井補佐より報告をお願いいたします。 58 ◯警防課職員 消防局警防課の白井といいます。本日はよろしくお願いいたします。済みません、着座にて御説明させていただきます。よろしいでしょうか。 59 ◯委員長米持克彦君) どうぞ、お願いします。 60 ◯警防課職員 被災地での活動内容等について御説明をさせていただきたいと思いますが、まず、初めにお手元の資料で東日本大震災被災地派遣活動レポートというものがお配りされているかと思いますが、そちらの1ページ目をお開きいただきたいと存じます。  (スライドを用いて説明)私ですけれども、東日本大震災の関係ですと、2度派遣されておりまして、1回目につきましては、平成23年3月14日から18日までの間、これにつきましては、緊急消防援助隊の千葉県隊の消火部隊ということで、消防車で岩手県の陸前高田市のほうへ派遣されております。  その後、5月19日から23日までの間は、緊急消防援助隊の指揮支援部隊ということで、福島県の災害対策本部にございます消防の応援活動調整本部というところに派遣されております。詳細につきましては、パワーポイントのほうで御説明させていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。  活動概要ということですが、御承知のとおり、発災が3月11日の14時46分。マグニチュード9.0ということで、千葉市内につきましては震度5弱と5強というような状況でございました。これは、9月1日現在、総務省消防庁のホームページから引用したものなんですが、死者、行方不明者を合わせて2万人超というような規模の災害ということになっております。  この緊急消防援助隊という制度の中で、千葉市消防局の派遣なんですけれども、大きく分けて三つの部隊が派遣されております。一つとしましては、指揮支援隊ということで、これは3月11日から6月6日まで、毎日88日間フルに派遣を行っております。  これにつきましては、詳細をまた後で述べさせていただきますけれども、福島県に派遣された他都県の緊急消防援助隊の活動の調整ということで派遣されております。その後、千葉県隊として、県内消防本部が部隊をつくりまして、3月14日から6月6日までのうち、64日間ということで、これにつきましては、途中で派遣期間が長くなりましたので、関東圏で交代で派遣されるというようなことで64日間ということになっております。  あと、航空隊につきましては、発災の11日から4月いっぱいまで46日間、途中点検等もございましたので、千葉市に一旦帰ってきてというようなところで46日間の活動ということになっております。  派遣の要請なんですが、3月11日の発災当日ですけれども、14時46分発災ですが、その後、千葉市内といいますか、千葉県自体も被災県、被災地ということで、千葉市消防局も市内の災害対応ということで当たっておったんですけれども、その間、総務省消防庁のほうから逐次依頼が来ておりまして、15時53分に千葉市消防局が福島県に指揮支援部隊長として行けないかというようなことで依頼があったんですが、その前には、消防庁の職員を乗せて岩手県の県庁に入ってくれとか、いろいろオーダーが来ておったんですけれども、市内災害対応ということがございましたので、とりあえず、そのときには出せるという判断で、福島県への派遣の依頼がありましたので、福島県の指揮支援部隊長という形で派遣されることになりました。  これは従前に基本計画というのができておりまして、東北ブロックが被災すると仙台消防が部隊長をやるということに取り決めになっておりまして、それがだめなときには札幌消防が代行するということで、事前の計画ができておったんですけれども、宮城県につきましては、仙台消防が被災してしまいましたので、宮城県の指揮支援部隊長というのが、札幌消防が入って来て指揮をとっておったんですけれども、消防庁の基本計画には複数県被災というのが想定にございませんでした。  首都直下ですとか、東海地震の複数県被災ということでの事前計画はつくってあったんですけれども、そういう予想がされないようなところでの複数県被災という想定がございませんでしたので、直接オーダーが来てというところで、岩手県の指揮支援部隊長には、やはり国からの要請で、名古屋消防が入られています。福島県には、千葉市に依頼がございましたので、福島県の指揮支援部隊長ということで派遣をされております。  当日、出発できるということで、15時53分に要請があったんですけれども、出洲港の県警のヘリポートを出発したのが夕方の5時17分ということになっています。当初は、福島県庁の近くなり福島県庁に着陸する予定だったんですけれども、福島県庁が被災しておって使えないということで、福島空港のほうに飛んでいって、そこから福島県庁に入ったということで、福島空港に着いたのが19時6分。そこから地元の須賀川消防にお世話になりまして、東北道を北上して、福島県庁に入ったのが21時15分と、そういった流れになっております。  今度は千葉県隊なんですけれども、千葉県につきましては被災県ということで、消防庁からの要請もなかったんですけれども、2日後に千葉県として出られますかというような依頼がございまして、千葉県のほうで出動可能隊を募って出動ということになりました。  このとき、私は中央消防署におりまして、現場で交代制をやっておったんですけれども、11日も勤務日で勤務しておって、現場にも出動しておったんですけれども、震度5弱以上ですと消防局は全員参集ということになりますので、当日は消防職員全員が参集に上がっておりました。  翌日、非番の夕方の5時には一旦解除ということでうちに帰ることができたんですけれども、13日の日にまた勤務に上がってきて、どうも緊急消防援助隊で出動するらしいということで、その中の消火隊ということで、中央消防署から出動することになりました。  これも千葉県隊の事前計画というのが決まっておりまして、千葉県隊の集結場所というのが、市川パーキングというところになっておりますので、そこに各県隊が集合して、決隊式というか、集まって出発したのが14日の午前2時20分という時間でした。その後、東北道を上っていって、陸前高田に着いたのが夕方の5時ということで、実質的には15時間ぐらいかかっております。  後で問題点にもあるんですけれども、多数の部隊で移動したことですとか、燃料補給とか、あと、道路自体が波を打っているような状態で、通常の高速走行というのができませんでしたので、こういった時間がかかってしまったということになっております。  福島県の指揮支援部隊の活動としては、この派遣で来た都県隊の活動調整というような活動になります。  これは、最盛期の組織図なんですけれども、福島県に入っていた部隊の一番上に、千葉消防が入らせていただいて、その下に各隊を取りまとめる指揮支援隊というところで、神戸消防と埼玉消防に入っていただいて、各都県隊に活動の指示をしていただくというような、そういった構成図になっておりました。  従前ですと、千葉消防は、その指揮支援隊の神戸消防とか、埼玉消防のところに入っているのが事前計画なんですけれども、今回はエラーということで、一番部隊長というところで職をさせていただいておりました。  これが、そういった当日のどこに部隊を投入するかとか、そういったところの画面です。これが、福島県の災害対策本部なんですけれども、本来であれば福島県庁の中に災害対策本部をつくるんですけれども、その県庁自体が被災して、亀裂が入って使えないというようなところで、県庁の隣にあります自治会館の3階の会議室が災害対策本部ということで、こういった本部の各班がつくられて、そこに消防、自衛隊、警察という防災機関が入っていきました。  面積としましては、市役所の正庁の半分ぐらいしかないような、インターネットというか、仮でつくったところですので、そういった状況も当初はないような状況で、これは4月の中旬以降大分落ちついて、やっと写真も撮れるような状況で撮った場所なんですけれども、こういった状況でした。これは、各班、県庁職員ということで、これが消防のブースになります。  これが消防で、そこの活動応援調整本部というところには指揮支援部隊長の千葉消防のほかに福島市消防本部、福島の航空隊、あと被災地の消防本部ということで、その日は相馬の消防本部の方がいらっしゃっていたこと。あと、奥にいらっしゃるのが総務省消防庁の職員ということで、そういったメンバーが活動応援調整本部ということで、救援隊の運用の計画を練っていたと。  あと、千葉県隊なんですけれども、千葉県隊としましては、当初岩手の陸前高田市に出動してくださいということで出動をしました。先ほど言ったとおり、これが市川パーキングで県隊が集まった状況になります。  ごらんのとおり、このときは千葉市からは当初、部隊が一次派遣隊として7隊27人が出動しているんですけれども、千葉県隊としましては、32隊120人の出動ということで、32隊の車列で行きますので、途中、燃料補給になり、1台が終わってまた待っているというようなところでの時間がかかってしまいまして、到着がおくれたというようなところもあろうかと思います。  これが、岩手での宿営地で滝の里工業団地。工業団地のまだ入っていないところ、空地でございましたので、そこに千葉県隊ということで、一緒に入っていたのが埼玉県隊と福井県隊も、そこの同じ場所で野営をしておりました。  任務としては、津波の人命救助、あと、消防力が落ちていますので、避難所とかでの避難者の方の救急要請ということで、別活動で救急活動をしてくださいということで依頼がございました。  これがその現場なんですけれども、下にあるのが救助油圧器具ということで、はさみとか、開いたりとかというようなもので、私たち一次派遣隊で行ったときには、まだ水が引いていないような状況で、行けるところからというところと、あと、これは黄色いのとか赤いのを着ているんですけれども、これはライフジャケットで、二次災害ということで、まだ余震も続いておりましたので、また、津波が発生するというようなところで、別に海面監視ということで監視員もいて活動すると、そういった状況でございました。  非常に申しわけないんですけれども、一番早いのが、車の中に取り残された方というのが、やっぱり可能性としては高いので、そういったところから手をつけて、あとはもう瓦れきですので、マンパワーではどうしてもできない、重機とかが入らないとできないというところで、こういったところから手をつけさせていただいて、活動していたということになります。  これが当初の状況です。これが二次派遣隊ですと、結構水も引いて平地というか、そういったところでの活動ができたようなんですけれども、当初、14日、15日から活動開始したんですけれども、当初は余り平地には入れなくて、途中これは16日の朝なんですけれども、当日、また雪も降りまして、その中でテント、先ほど見ていただいたオレンジ色のエアテントがあるんですけれども、あれが潰れるような積雪というか、そういったような状況での活動ということになります。  これは、ちょっと後日行ったんですけれども、視察に行かせていただいたときに、これが陸前高田市の消防本部兼消防署ということで、これが2階まで全部津波で飲まれてしまったということで、この消防長とかは、左の上に見えます無線塔があるんですけれども、その上に上って避難したということで、その上に駆けつけた市民とかがいらっしゃって、一緒に8人ぐらいがその上に乗って津波を避けたというか、たまたまここまで来なくてよかったということで、そこに避難されて助かったということです。  あと、これは陸前高田市の救急車なんですけれども、今後30年間に99%の発生確率と言われておりました想定宮城県沖地震ということで、非常に危機意識が高くて、消防署自体も津波の浸水区域だということが事前にわかっておったということで、年に1回は地震を想定して、津波警報が出たときには車両を高台に移動させるという訓練を行っていたそうです。  実際それに沿って、発災当日に車両を移動させておったんですけれども、途中渋滞に巻き込まれてしまったということで、この職員の方は殉職されたということで伺っておりますけれども、非常に危機意識が高かったんですけれども、やはり現実としてはこういった状況になってしまったということだそうです。  千葉県隊につきましては、14日到着をしまして、22日には岩手県から福島県に転戦しろということで消防庁のほうから指示がありましたので、それにつきましては救急隊に特化した隊で福島県に行ってくれということで、福島のほうに転戦ということになりました。  もう22日ですと、3号炉が爆発して、20キロ圏内とかの転院搬送とかをやるような状況でしたので、これは福島市内の状況です。これは、やはり同じく相馬消防の救急車なんですけれども、この方たちは3名とも助かったということなんですけれども、こういうふうに救急車も被災して消防力が弱まっていたので、それの補完と20キロ圏、30キロ圏にいる傷病者の方を圏外へ転院搬送というようなことで、救急隊に特化した部隊が福島県に派遣されました。  これが、福島県の消防学校のグラウンドなんですけれども、最盛期で約100隊の救急隊が集結して、転院搬送を行っていたと。当然、福島県に行きましたので、福島第一原発の爆発ということがありましたので、非常に20キロ、30キロ圏にいらっしゃる方を圏外の病院に転院搬送するときにも、皆さん原子力に対しての知識というか、病院の方もなくて、安全なのかどうなのかというようなところが非常に気になるようで、搬送するときにも、きちんと患者さんだとかをスクリーニングして、線量がないというようなところを確認して、圏外に搬送したりですとか、救急隊とかも活動して、宿営地の福島県の小学校に帰ってくるときには、ちゃんとスクリーニングをしてというところで、実際にそういう経験が余りなかったものですから、訓練ということで事前に対応をさせていただきました。ベッドの中とかですね。  やっと、6月6日には帰隊というか、派遣が終了したということになります。  航空隊につきましては、3月11日に指揮支援部隊の人員を搬送と合わせて、福島県のほうに活動に行っております。捜索活動、被害調査ということで飛んでおりますとともに、圏外への救急搬送ということで実施しております。  あと、林野火災の空中消火というのがあるんですが、これは直接震災に起因したものではなくて、地元消防力がやはり弱まっておりましたので、それの補完ということで空中消火もしております。  これは、白いのが簡易防護服という、タイベックというんですけれども、簡易防護服というもので、福島第一原発が爆発してから、上空に舞っていて、ほかの県か市の防災ヘリが被曝したというような情報もあって、表面汚染をするんです。空気中に流れていますので、それの中を飛んでいますので、表面に付着してしまうということで、やはり帰ってくると、表面の汚染度をはかって、ある一定数値以上いくと除染という形で対応していたということになります。  これは、空中消火、奥のほうに地元消防の消防車も見えるんですけれども、やはりマンパワーが足りませんので、ヘリで空中消火ということで助けてあげたということです。  当然、福島第一原発の対応があるんですけれども、福島第一原発の対応につきましては、東京消防庁のハイパーレスキュー隊が放水したというのが御記憶にあろうかと思いますが、自衛隊のヘリが一旦やってだめということ、あと警察庁、警視庁の放水車が行ってもだめだったということで、最後、東京消防庁のハイパーレスキューが福島第一原発の使用済み核燃料の貯蔵プールに放水をするというミッションで出動したのが3月19日から20日にかけて、注水作業をしたんですけれども、その後、要はそのいっときだけではなくて、その後継続して水を放水しなければならないというふうなことがございましたので、その後、実際には大阪、横浜、川崎、名古屋、京都、神戸、こういった職員の方々が交代で水を出し続けていたということで、実際には、千葉市消防局にもその後行けるのかということで、依頼が来ておりまして、実際、交代要員だけ人選して出しますということだったんですけれども、実際には知識がないと行けないということで、青葉病院の院長に、原発の関係の、放射線の関係の講習と、ヨウ化カリウムというのが、これは一生に一度しか飲めないというようなことらしいんですけれども、それの服用について注意というか、講演をしていただいて、出動のときには出動するということで。  あと、東京消防庁、実際に設置したものと同じものを使わせていただいて、職員を派遣して、取り扱いの研修もさせていただいてということで、準備はしておったんですけれども、幸いにも、4月1日からは東京電力のほうで対応しますという回答になりましたので、福島第一原発のほうには、千葉市消防局からの派遣がなかったということになります。ただ、事前の対応はしていたということで、もし4月以降も消防がということであれば、千葉市からも出ていたのかなというところです。  以上が雑駁だったんですが、活動の内容ということになります。  これから得た課題ということなんですが、派遣に関しての事項なんですけれども、派遣期間が4泊5日ということで各部隊派遣をしておったんですけれども、これが6月6日まで27回ぐらい、隊を編成して派遣しておりましたので、初動はそれで4泊5日なりということでいいのかもしれないんですけれども、約2カ月以上、長期化いたしましたので、後からは10日とか2週間ぐらい、現地に交代要員を置いて、現場で交代制勤務をするような勤務体制といいますか、当然休むときは休む、活動するときは活動するんですけれども、こちらでも交代制勤務をしておりますので、被災地で交代制勤務をするような体制を、派遣が長期化した場合には検討したいというようなことと、あと、遠隔地派遣の仮宿泊施設の設営ということなんですけれども、千葉市の下に神戸市消防が入っていたんですけれども、神戸から福島までの往復というのが非常に困難だと思うんですけれども、神戸市消防は、途中、新潟県に仮の宿営地を設けて、そこを拠点にして、福島に来て交代もするというようなことをやっておりましたので、今後、南海トラフとか、中四国のほうに千葉からも派遣ということになると、行って帰ってだけでもう大変な作業になりますので、どこか途中に仮の宿営地なり、そこに物資を調達して、そこから補給するとか、そういったのが今後発災したときには検討事項ということで考えております。  あと、福島県庁に入った指揮支援隊なんですけれども、指揮支援隊として出たのは千葉消防として初めてでございまして、事前計画では、ヘリを投入するということになっておったんですけれども、ヘリの積載重量の関係がございまして、航空隊のパイロットとか整備士が4人と、指揮支援隊4人で、人員としては8名乗員をしておるんですけれども、そのほかの資機材を積み込んでしまいますと、どうしても重量オーバー、あと飛ぶところの燃料の量の関係もございますので、福島に行くに当たりましては、食料とか水とかを、どうしてもおろしていかざるを得ないということがございまして、今後自己完結というのを目的にするのであれば、当初は3人ということと、あと追随派遣ということで、陸上から車両で追いかけて、物資なり、寝袋とかを持っていくというようなことにさせていただきたいと、これにつきましては既に計画のほうは修正をさせていただいております。  あと、後方支援ということなんですけれども、緊急消防援助隊というものは自己完結ということで、被災地のお世話にならないというのを前提にしておりますので、食料の調達ですとか、ごみの問題というようなところで、たまたま3.11のときには、千葉市内も食料が、スーパーとかコンビニからも食料がなくなったということで、実際、調達としましては、直接新港のパン工場ですとか、製粉工場に直接交渉させていただいて、そこから購入させていただいて、持たせて出動したということになります。  あと、生ごみとごみなんですけれども、よく避難所とかでもあるんですけれども、紙皿の上にラップを巻いて、その上に盛って食べたりということで、余りごみを出さないということで、そのお皿は使い回しができるようなということで、ごみの量、あと、生の食材を持っていきますと生ごみが出ますので、そういったところも工夫して、結局はレトルトのものになってしまうんですけれども、そういったもので対応させていただいていることになります。  あと、部隊の移動なんですけれども、千葉県隊として32隊が動いたんですけれども、やはり早い救急車とかは普通の乗用車と変わりませんので通常走行ができるんですけれども、救助工作車とかそういったものは車重が重くて、なかなか高速走行とかができない。また、燃費も悪いので、一緒に行くとどうしても遅いものに合わせざるを得ないところがございますので、その辺のところが部隊を別に移動していくとか、そういったようなことが今後の目標かなというところと、千葉が行けば千葉市の後方支援部隊、習志野が行けば習志野の後方支援部隊というようなところに、1本部が行けば、必ずその部隊の後方支援というのがついていきますので、千葉県隊として一括して派遣隊の後方支援、食事とか寝るところの面倒が見られるような体制も必要なのかなというようなところになります。  これは、装備のほうなんですけれども、車両の仕様、装備品というようなところですと、今回は冬というようなところがありましたので、スタッドレスタイヤですとか、あと、ナビ、県外に出ますのでナビとかが、救急車には通常の普通の乗用車のナビゲーションはついているんですけれども、消防車には余り市外に出る想定がございませんので、ナビがついていないというような状況でして、やはり出たとき、それがやっぱり部隊として活動しなければ、団体として活動しなければ目的地に着けないという一つの理由でもあるのかなと思うんですけれども、一関インターから陸前高田に向かっておりていくときにも、やはり、ナビがついていないと行けないような状況でしたので、そういう消防車両へのナビとかですね。  あと、冬ばかりではないんですけれども、四輪駆動とか、そういった仕様の車両ということで、更新時には四駆仕様なりということでしておるんですけれども、今後そういった方向で車両の整備は進めていきたいなというところと、あと、派遣車両の充実ということで、人員輸送車、交代時の人員輸送の関係ですとか、千葉消防もマイクロバスは持っておるんですけれども、緊急車、赤い車ではないので、やはり渋滞というか、緊急走行ができないような状況ですので、緊急車の人員輸送車とか、資機材搬送車みたいなものの充実を、マイクロバスとかトラックとかは持っているんですけれども、緊急車両登録がされておりませんので、そういったことが今後の課題かなということと、あと、一番のものは通信情報体制の充実ということで、とにかく情報がとれなかったというのが一番の問題で、津波で全て流されてしまいましたので、多分、携帯電話のアンテナも全て流されてしまって、なかなか災害現場と福島県庁のやりとりというようなところも当然できませんでしたし、そういったところの充実というところが、今後、衛星電話とかそういったものの装備ということで必要かと思います。  あと、これは職員に対してなんですけれども、やはり派遣の回数、千葉消防、それ以前には2回、緊急消防援助隊として出動しておるんですけれども、やはり職員が入れかわっておりますので、訓練なりでの経験ということで、関東ブロックとかの各ブロックごとに訓練をやっておりますので、そこに参加する隊をふやしたりですとか、その中で応援計画なりの検証をしたりというようなことと、活動が終わってからの今回の問題点のようなことでの検討ということでさせていただきたい、今後していきたいなというところでございます。  これの補完につきましては、東日本の震災後、総務省消防庁なりからも、今後の課題というようなことで、派遣隊から意見聴取をしておりまして、この3年間の間に車両ですとか、資機材ということで、いろいろ無償貸与ということで対応をしていただいております。  具体的には、人員輸送車ですとか無線中継車というようなものは、国から無償貸与ということでいただいておりますので、そういった部分は補完されたのかなということと、陸前高田が非常に寒くて、テント1枚、布1枚ぐらいしかなくて、簡易ベッドの上に寝袋を敷いて、ジャンパーを着込んで、カイロを張って寝ていても、どうしても顔は出てしまいますので、どうしても眠れなかったというのが、満足に眠れないんですね、寒くて。中に石油ストーブを入れておくわけにはいきませんので、一酸化炭素中毒というのがやっぱり怖いので、中にストーブとか入れられませんので、そういったことも含めて、その後消防庁のほうからエアテント用の暖房機とか、あと冷房機の無償貸与というような形で国から支給されております。  あと、衛星携帯電話、衛星電話も、ちょっと数があれなんですけれども、何機かは国からいただいておりまして、充実というか、整備はさせていただいております。  以上、駆け足でしたが、活動内容と今後の課題ということで報告を終わらせていただきます。  以上です。 61 ◯委員長米持克彦君) ありがとうございました。  次に、保健福祉局健康部健康支援課の古屋担当課長及び美浜区保健福祉センター健康課の福田課長より報告をお願いいたします。 62 ◯健康支援課検診推進担当課長 健康支援課の古屋でございます。着席させていただいて、説明させていただきます。  初めに、私のほうから派遣の経過など、そのあたりから報告させていただきます。  派遣に至った経緯ですけれども、平成23年3月12日付で、被災地から依頼を受けた厚生労働省の健康局総務課保健指導室から保健師等の派遣要請がございまして、それで、岩手県の釜石保健所管内の大槌町に派遣されることとなりました。岩手県の釜石保健所管内というのは、岩手県の大体沿岸部の中央ぐらいのところになります。  それで、千葉市からは保健師が二人と、それから事務職員の3人1組の班をつくりまして、それで3月23日から8月13日まで、24班、大体1班が7泊8日で、1日は引き継ぎで前のグループと次のグループで申し送りをするというような形で24班。このうちの4月3日から10日までの間は、その班の中に福田課長がまざりまして、私のほうは5月3日から9日のころに派遣させていただきました。  派遣先の状況のほうを、先に説明させていただきますが、大槌町のほうは約1万5,000人ぐらいの町民人口の中で、町長初め大体10人に1人が亡くなられたり、行方不明になっているという状況でした。  大槌町の中でも幾つか地域がございまして、私どもは沿岸部の吉里吉里地区というあたりを中心に担当させていただきました。吉里吉里地区というのは、大槌町の中心から北東に4キロの本当に海沿いで、大槌町の中でも規模の大きな集落で776世帯、このうちの家屋の全壊が279世帯、半壊が29世帯、死者、不明者は4月時点で88人というところでした。  担当したところは、大槌町吉里吉里地区と波板地区の中での避難所4カ所を受け持つと、そういうところが初めの担当でした。  ここからは、ちょっとスライドのほうを紹介させていただきます。  (スライドを用いて説明)派遣業務の内容は、避難所避難者の健康管理と、避難所の衛生管理というのが主なところですが、まず最初に、釜石保健所のほうに集合します。左側のこの建物が、ここが釜石保健所になります。  釜石保健所管内に、他都市からも多数の派遣チームが来ておりますので、釜石保健所に毎朝寄って、派遣者全体のミーティングをするということになります。これが保健所の中で、派遣職員が保健師ですとかドクターですとか、理学療法士ですとか管理栄養士ですとか、そういった他都市からの派遣チームが集まって、それでどこも交代していきますので、顔合わせだとか情報交換ですとか、新しい情報ですとかそういったところを釜石保健所のほうが中心となって説明をしたりします。  その説明の後、同じ方面に行くグループで行動計画の情報交換を行います。このあたり、千葉市がいて、この緑色のこの人たちは、神奈川県の心のケアチームです。  私どものほうで担当している避難所の方のメンタル面ですとか、精神障害者の方もまじっていたりしますので、そういった方たちのケアのことについて、巡回する時間帯を合わせたりですとか、それから避難所の近くで在宅の方のところに同行訪問したりする、そういった予定を合わせたりしております。  福田課長のほうが派遣されていた4月の時期は、派遣して入る、派遣して出かけていく人たちの寝泊まりする場所だとかは被災地にはございませんので、この釜石保健所のここで派遣チームが雑魚寝するような形で、そこから沿岸部のほうに出かけていったというところです。私が派遣されていた5月のころは、ここから車で1時間足らずの遠野に宿泊して、そこから通うという形をとりました。  その釜石保健所のあたりは、瓦れきだとかそういったものは、スライドのとおりないんですけれども、ここから大槌町の吉里吉里地区に向かっていきますと、沿岸部に近づくに従って、瓦れきの中を向かっていくという状況になります。三陸鉄道です。吉里吉里地区に入ります。  これは避難所です。避難所も、当初幾つかある中で、電気だとかが通って、家のほうに戻られていったりとかしますと、避難所もまた移ったりというところがありますので、ここは中学校の体育館を避難所にしています。中です。避難所の中は、ほかに災害派遣医療チームDMATが、救護所を一定時間、朝の2時間だけとか一定時間設置していたり、ほかのチームも入っておりますので、DMATのほうは診察したり投薬したりと、その医療を提供していくわけなんですけれども、私どものほうは健康管理ですので、避難所の方の健康状態を御本人が何もおっしゃらなくても確認していくというところになります。  ですので、一人一人のお話を聞いていって、日中瓦れきの片づけで出かけていらっしゃる方もいたり、避難所の中にいらっしゃる方もいるので、この中で、よく見るとここに保健師がいて、この向こう側に避難者の方がいらして、ここも避難者の方がいらしてというところなので、一人一人声をかけて、避難所の方も全員に声をかけて、ぐあいだとかお話を聞いていきます。  そうしますと、相手の方、やっぱり被災されたときのことを語られたり、目の前で御家族が黒い水の中に入っていくところを語られたり、それから、その屋根が目の前を通っていって、その屋根に自分が飛び乗って、それで助かったんだとか、一旦高台に引き上げたんだけれども、時間があると思って、一旦戻ったらそれっきりもう戻ってこなかったとか、いろいろな話をされます。  それをひたすら、そういった語られることを聞くという、傾聴するという姿勢で伺っております。なかなかそういう体験を語られない方もいらっしゃいますので、気を張っていて語られない方もいらしたり、ほかの避難所の運営のほうに力を注いでいて、自分のことは後回しにされる方もいらっしゃるので、本当に皆様に血圧をはからせていただいて、脈を診て、顔色ですとか血色ですとか、それを見て、体の痛みですとか、あと食事をどうされているか、眠れているか、もともとお薬を飲んでいたのか、そのお薬が今救護所からお薬をいただいているのか。そういったあたりを、お話を聞きながら確認していってという健康相談を行ってまいりました。  これは、その避難所の食事です。どうしても配給されるものに頼った食事になりますので、まず、避難所を運営しているそこの自治会というか、避難所の中の人たちでは、平等にまず行き渡ることを優先にまずしますので、体格の大きい小さいとか、それから性別とか、年齢とか体重とか、そういったことは二の次になって、あと、もともと糖尿病だとかで食事でコントロールできていた方が、しばらくの間パンだとかが多くなって、コントロールできる状態ではなくなってしまっていますので、したがって、糖尿病は後々、少し悪化を余儀なくされる状態になってしまっているというところでした。  ここの避難所では、当番制をつくって朝夕は食事をつくったりだとか、お昼は簡便なものをつくってという、そういう自主的な運営をされていました。  これは避難所の外につくっているもの、これはお風呂です。これは自衛隊の方がつくられたと伺いましたが、中は男女に分かれていて、女性のところは鏡とかもつけてあって、毎日のお風呂掃除、それは避難所にいらっしゃる方々で、当番でされているというところがありました。  それで、また中学校を後にして、次のほかの避難所のほうを巡回して相談にまいります。あと、これは配給所です。少し高台のほうですと、住宅、何とか停電だとかそういった影響で、何とか暮らしていらっしゃる方もありますので、配給所のほうに在宅の方が並んで、とりにいらっしゃいます。
     そのときに、並んでいる方にやっぱり一人一人声をかけて、声のかけ方も、途中から気がついて工夫したんですけれども、体調に変化がないですかというようなことで、あと、とりに来ている方の御家族が、高齢者の方ですとかが御自宅にいらっしゃるので、その御家族の方のほうには、高齢者の方お変わりないですか、体調の変化はいかがですかというようなことで声をかけます。そうしますと、いらっしゃる方のほうから声をかけてくださったりということで、その御家族のほうにお会いしに行ったりという活動をしました。  これも、別の配給所前で血圧をはかったりしながら、相手の方がお話しされることを聞いて、体調に関係することですと、救護所でお薬をもらえる、そういったことをお話をしたりというところです。  また、別の配給所で、同じように血圧だとかをはかりながら体調を伺うと。避難所周辺の方に、ちょっと季節が3月から8月のスライドの中で撮りましたので、季節が前後してしまって申しわけないんですけれども、在宅の方のところに伺ったり。  これは、在宅で床ずれの処置になります。被災前は、寝たきりの方ですと、エアマットだとかで床ずれができない状態で、御家族がケアをされていたり、訪問看護ステーションが入ったりというところなんですけれども、被災後の停電で床ずれができたという方です。  在宅で処置をするのは、このときはDMATが2チーム、災害派遣医療チームが2チーム来て、私どものほうはこの事例は引き継いでおりましたので、事前にお会いしたり、御家族がどういう御家族かというところの情報ですとか、あと、地元の訪問看護ステーションは、この時期ちょうど機能が再開できているところでしたので、そういった情報を持っておりましたので、それをDMATの方に伝えながら、在宅の処置が何とか間に合ったりというところでした。  日中そういった活動を続けながら、これは避難所の中での吉里吉里地区の災害対策本部ミーティングという形なんですけれども、避難所の中で、この辺の自治会長さん方ですとか、それからDMATの方ですとか、1日の活動報告をさせていただいて、それから役員の方々の中で気になっている方、体調で気にされている方、そういった方のことを教えていただいたり、翌日どういう計画で、あしたはどうするとか、次の配給所の配給日はいつとか、そういったことを確認しながら、あと、どこそこの仮設の診療所ができているとか、そういった最新の情報を共有して、それから気がかりなことを聞いたりというような、そういったミーティングを行って報告し合うというところです。  それからあと、私どものほうでは、その日の記録をして、滞在できるのが1週間で、交代していくので、何カ月間という期間、かかわらせていただくことができるんですが、そのときに行き違いがないように、かかわらせていただいた1日、お会いした方が100人いれば、100人分の記録をして、それから避難所ごとの記録、配給所ごとの記録をして、引き継げるようにしていたところなんですが、当時はちょっと全部手書きだったので、記録に夜中までかかってしまったりというところがあって、派遣する上では、ちょっとそういう情報の伝達の方法は考えなきゃいけないなというところです。  ここまでのところで、こういった派遣活動に携わらせていただいた課題としては、一つは、派遣の要請が来た場合、地震もいつ起きるかはわからない状態ですし、そういう急を要する派遣活動に対応できるように、平素から整えておくというところが課題の一つで、そのためには、初動の派遣者をあらかじめ選定しておくことですとか、着ていたユニホームは、住民の方からも、あとほかのチームの方からも区別もできますし、そういったユニホームですとか、モバイル通信機器ですとかパソコンですとか、そういった物品の準備、派遣マニュアル、そういった整備の必要があるかなと。  あと、先ほども出ました派遣中の記録物の簡素化と、あと、行って帰ってくると、職員はやっぱり毎日瓦れきを見て、被災者のお話も聞いたりというところもありますので、それがやっぱりしばらくの間、頭の中に残っているので、何かもっとやるべきことがあるんじゃないかというふうに少しハイになってきたりということもありますので、派遣後の職員のケアも、ひとつ必要かなというふうに考えるところです。  あと、もう一つの、二つ目の課題としましては、こちらのほうが被災して、外からいろいろな外部支援者を受け入れる状態になったことを考えますと、災害時を想定した職員の研修ですとか、あと、いろいろな情報を収集してマニュアルをつくっていることですとか、あと、当市のほうでは医療ニーズの高い在宅の方の支援体制をどうしていくかですとか、あと、平素から関係機関と連携をしておいて、いざというときにお互いにどこの誰ということがわかって、役割分担、機能分担ができるようにという、平素の関係が大事だなというようなこととかが、派遣活動に携わらせていただいたことで、少し明らかになったという印象を持っております。  以上です。ありがとうございました。 63 ◯委員長米持克彦君) ありがとうございました。  職業柄とはいえ、大変なことだというふうに感じました。  報告は以上ですが、ただいまの報告に対して、御質問等がございましたらお願いいたします。  なお、派遣職員の皆様におかれましては、お答えできる範囲で結構ですので、御回答をお願いいたします。はい、小川委員。 64 ◯委員(小川智之君) 皆さん、お疲れさまでした。本当にありがとうございました。いいお話を聞かせていただきました。  我々も、これはちょっと最終的には提言書にまとめたいと思うので、この課題として挙げられた中で、ほとんどは対応されているとは思うんですけれども、未対応の部分というのがあれば教えていただければなと、それぞれに。  それをもってして、我々もさらに要望していくという形をとれればいいなというふうに思いますので、全て対応していればあれなんですけれども、何かこれはもう1個、要望に対応しておいたほうがいいんじゃないかという意見がありましたら、加えてお願いいたします。 65 ◯委員長米持克彦君) 急に何か言われても、大変でしょうけれども。 66 ◯委員(小川智之君) もし、今、急にと言われても困るのであれば後ほどまとめて、こういうのがまだ未対応ですとかということで、後で資料提示がされれば、ありがたいなと思います。 67 ◯委員長米持克彦君) 議会に対して、やはりこういうのを用意していたほうがいいよ、準備していたほうがいいよと、こういうことというようなものが、提言とかありましたら、一つお願いしたいと。貴重な体験をされた、貴重といったら失礼ですけれども体験されたわけで、大変な体験されたわけですから、こういうことを準備しておいたほうがいいと、準備してもらいたいということをございましたら、ひとつ提言のほうはお願いしたいと思います。小松崎委員。 68 ◯委員(小松崎文嘉君) 済みません、お話ありがとうございました。  二つありまして、一つは、こういった話、またパワーポイントでまとめられているということは、いろいろなところでお話をされていると思うので、どんなところでお話を、庁内とか市内とかを含めて、あったら教えてもらいたいということと、先ほども保健師さんのほうからもありましたし、消防局のほうでも一部あったんですが、派遣のほうの課題というのも当然あるんですが、派遣者を受遣するほうですね。この派遣者を受け入れる体制について、先ほど小川委員のほうと若干重なるけれども、何か必要なものがあれば、それもまたマニュアルの整備も含めて提言があれば、委員会宛てでも結構ですので、いただければと思います。  以上です。 69 ◯委員長米持克彦君) 何かここで発言できるものがあったら、ちょっと発言をしていただければと思いますけれども。はい、警防課長補佐、お願いいたします。 70 ◯警防課職員 警防課の白井ですけれども、小松崎委員のお話ですと、今回のお話も含めてほかにはということですが、このパワーポイントにつきましては、市の消防学校で、隊職員、実際多くの職員を派遣したんですけれども、実際940人全員が派遣されてはおらないわけですので、そういったところで、こういう活動をしたんだというところでの情報共有という部分で、市の学校のほうで、隊職員向けに使わせていただいたものということになります。そのほか、民間というか市民の方向けとか、そういったところでは特に活動の報告というのはさせていただいてはおりません。  以上です。 71 ◯委員長米持克彦君) はい、健康支援課検診推進担当課長、お願いいたします。 72 ◯健康支援課検診推進担当課長 小松崎委員のほうからの、同じようにほかで発表していないかということに対しては、まず、消防局と同じように、健康部が中心になってやっておりますので、同じように全員が行っているわけではないので、健康部の中で報告会をしたということと、あと、各区の健康課の保健師というのも派遣対象になっておりますので、各区の中で区の職員とかというところに、おのおの報告とかという場を設けさせていただいている状況で、あとは市のイベントとして、災害の後に報告会というところがあったと思うんですが、その中に保健師が一人、代表で入ったりというような状況です。  以上です。 73 ◯委員長米持克彦君) 小松崎委員。 74 ◯委員(小松崎文嘉君) では、受遣のほうは後でまた、そういうのが何かありましたらお願いします。  それで、これは市民向けにやるというよりは、どちらかというと、これは消防と、今回の場合は保健師の方たちが中心になったと思うんですけれども、一般職員の方でも大分派遣で行かれた方がいらっしゃるんじゃないかと思うんですね、行政事務の部分で。  それらをちょっと共有して、派遣される場合、受遣される場合のマニュアルの整備なんかも必要なんじゃないかなということと、あとは避難所運営委員会というのを最近つくっているんですよね。千葉市の各自治会のほうで。そういうところで、講演というわけではないんですけれども、行く必要まであるかどうかというのは別なんですが、それに基づいてマニュアルづくりを今、担当課のほうでされているので、その参考になるものを提言していただければと思います。  以上です。 75 ◯委員長米持克彦君) はい、三瓶委員。 76 ◯委員(三瓶輝枝君) 先ほど、いろいろ体験された市民の方のお話を聞いたりしているうちにハイになっていると伺いました。  消防局職員の方も、いろいろな、みんな見なれていると言っては変ですけれども、やっぱりたくさんの御遺体を見たり救出したりということで、体験しているでしょうけれども、相当な重圧も皆さんにかかっていたと思います。先ほどもお話ございました。  それらの職員の方の、御自分たちの心のケアというのはどんなふうに、何かする手だてがあったのか。それとも、皆さん共通に思っていると思うんですけれども、何かこんなふうにやったら御自分の心が緩和できたとか、そんなものがあれば伺えればと思うんですが、いかがでしょうか。 77 ◯委員長米持克彦君) はい、健康支援課検診推進担当課長お願いします。 78 ◯健康支援課検診推進担当課長 まずは、私たちのような保健師とか一緒に行った事務職員なんですけれども、実際に話を聞いて、自分の中で受けとめて終わるとなかなか厳しいものがあるので、職場に戻ってから、報告かたがた何回も話をしていくと、被災者と同じように話をすることで少し落ちついていくというのが、やっぱりあるようです。  保健師の場合は、次に行く人が職場にいますので、報告かたがた話すという機会は、ほかの職員より多いように思いますので、その辺はひどくはならなかったのかなというふうに少し思います。  あと、市全体として、人材育成課の職員健康管理室のほうで、派遣職員のアンケートというのを全庁的に流していただいて、フォローが必要な人に対しては、職員の管理という形でやっていただいたように記憶しております。  以上です。 79 ◯委員長米持克彦君) 警防課長補佐、はい。 80 ◯警防課職員 消防のほうにつきましても、所管課のほうで職員に対してはアンケートというようなところで対応していただいて、帰ってきたらすぐに、その派遣隊ごとにアンケートをとっていただいてということで、とりあえず、その派遣に伴っての心疾患というか、休職者なり、休んだという者はゼロというところです。  以上です。 81 ◯委員長米持克彦君) はい、三瓶委員。 82 ◯委員(三瓶輝枝君) わかりました。  かなりハードな中でのお仕事なので、派遣された職員の方の心身に影響があってはいけないと思いまして伺いましたが、皆さんは頑強でそういうのはなかったかもしれませんが、次に行かれる方の、済みません、適切ではないかもしれませんが、そういう方たちのための、何て言うんでしょうか、こういう場合にはこうしたほうがいいというような、体験をもとに何かいい対策をさらに編み出していただければと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。 83 ◯委員長米持克彦君) 三瓶委員、女性に対して頑強というのはね。いろいろあると思います。  ほかに。はい、福永委員。 84 ◯委員(福永 洋君) 大変貴重な体験、ありがとうございました。  一つは、ちょっと今派遣マニュアルをつくると、両方から出たと思うんですが、そのことが今現在どうなっているかというのが1点と、発災からちょうど3年たつわけですが、当初行かれたときのことを今はどう思われているかについて、その感想がもし聞けたらと思いますので、その2点、よろしくお願いいたします。 85 ◯委員長米持克彦君) 白井警防課長補佐、お願いいたします。 86 ◯警防課職員 マニュアルの作成ということなんですけれども、緊急消防援助隊につきましては、創設当時から県の応援計画、受援計画もございまして、それに基づいて千葉市の派遣計画、受援計画というのは既に作成させていただいております。  今回、千葉市の派遣の計画、先ほども挙げたんですけれども、部隊の追随派遣ですとか、人員の入れかえとかですね。派遣人数の変更とか、今回の東日本大震災を経験して、若干というか、修正はさせていただいております。  あと、3年後の被災地の……(福永委員「いや、行かれたときと2年たってどういうふうに、ちょうど3年というのは一つの節目かなと思うんですが、実際行かれて、現地でいろいろされていて、今どういう考えをお持ちなのかなという」と呼ぶ)済みません、個人的なことでよろしいでしょうか。  実は、昨年に福島県の双葉消防というところが、福島第一原発の被災地なんですけれども、そこに私、双葉消防の職員が少ないということで、全国の消防から派遣される一人として、そこに2週間ほど泊まり勤務をして、地元の双葉消防の職員と一緒に接してきたんですけれども、その方々は、要は帰宅困難区域ですとか、そういった区域を管轄する20キロ圏、30キロ圏の、実際に福島第一原発の近くも通らせて、自分も実際に行かせてもらったんですけれども、そういったところに行かせていただいて、そういうところで活動はしているんだなというのは、その2年間の間には知っておったんですけれども、実際の活動としては、さっき言った消防が着る防火衣を着るんですけれども、その下にタイベックといって、さっき見た白い服を、あれを着てその上に防火衣を着てというような活動をされていらっしゃるんです。  そこまでは、さすがに自分も思っていなくて、自分が汚染されないように、そういった活動をされていらっしゃる本部が、全国に約800ぐらい消防本部があるんですけれども、そういう消防本部が全国に1カ所あるんだなという、そういう活動をしているところがあるんだなというのが改めて認識されたということです。  多分、新規採用職員で18歳とか20歳とかで入ってこられる方は、多分今後30年間、そういう活動をしなきゃいけない状況なのかなというのは、非常に被災地というか、違った意味での被災地としての苦労と言いますか、でも、そこの消防の方たちは、帰ってこられる方のためにというところで一生懸命やられているので、自分たちは2週間行っただけなんですけれども、本当に御苦労があるのだなというところが、今2年、3年たって、そういった感想は持っております。  以上です。 87 ◯委員長米持克彦君) ほかにございますか。はい、布施委員。 88 ◯委員(布施貴良君) どうも、大変お疲れさまでした。  消防局のほうは、自己完結型の装備ということに関しては、これは事前に千葉市消防局は持っていたのかどうか。また、今現在、今後も含めてなんですが、どのくらいの装備を準備をされているかということで、まず1点。  それから、福島への派遣に関しては、なかなかこういうことが想定されていなかったわけですけれども、青葉病院の院長に、放射線の汚染区域に対する出動についてのレクチャーを受けたということなんですが、千葉の場合、特に放医研もあります。今後そういうことが起こってはいけないんですけれども、一部期待される向きもあるのかなという感じもするんですが、さっき、ヨウ素剤の関係になりましたが、あれはやっぱり、消防庁からは、出動する場合にはそれを飲んで対応するようにという指示だったのかどうか、それをちょっと確認をさせていただきたい。  それから、保健師のほうです。ちょうど、私どもが有志で、実は陸前高田市と大槌町のほうに伺って、たしか、大槌町のほうは古屋さんでしたか、対応していただきましたよね。中学校でいろいろ説明いただいたんですけれども、本当に大変だと思うんですが、特に障害者に対する対応ですよね。精神障害だとか、あるいは知的障害もあるし、ほかの身体のほうもあり得ると思いますけれども、やっぱり災害を受けて症状が悪化したり、あるいはパニックがあったりして、対応が難しいのかなという感じがしたんですが、その辺の対応はどういうふうにされたのか、まず教えていただきたいと思います。  以上です。 89 ◯委員長米持克彦君) はい、では警防課長補佐お願いします。 90 ◯警防課職員 まず、初めにその自己完結型の装備ということなんですけれども、緊急消防援助隊という制度自体が、平成7年の阪神・淡路大震災以降につくられた制度なんですけれども、その制度ができたときから、自主財源とか、千葉市として支援車という形で、煮炊きというか、寝られるテントとかを収納できる車両は整備させていただいておりました。  ただ、年数がたちましたので、ちょうど国が消防庁が整備するときと重なりましたので、たまたま平成23年3月上旬に、今の新しい支援車というのが国から無償貸与されて、その何日か後に、もう11日が来てしまったというところではあるんですけれども、寝袋とか簡易ベッドとか、テントといった資機材につきましては平成7年からずっと整備させていただいておりました。  あと、食料のほうなんですけれども、当面3日分ぐらいの職員の食料ということで、アルファ米ではないですけれども、お湯でできる御飯ですとか、そういったものは備蓄はしておりましたので、自己完結型ということでの対応はさせていただいておりますが、一番困るのがトイレの話で、今の車両、今の支援車というのにも、トイレとかシャワーはついているんですけれども、水は貴重品なので、シャワーとかは入れませんので、ウェットティッシュみたいなもので、後で清拭したりとかというのはあるんですけれども、トイレにつきましては、今は袋状になっていまして、トイレをすると密封して、においが出ないようにというようなシステムに、圧縮してですね。そこから切って落としてというような、そんなシステムになっていまして、とりあえず、実際、陸前高田では100回分しかなくて、最終的にはその量も足りなくなってしまったというのが現状で、あと、工業団地でしたので、入居している会社とかがございましたので、後のほうになると、そこをお借りしたりとかというようなことは現実的にはあったというところになります。  自己完結型ということであれば、当面というか、国のほうから今度冷暖房機もいただきましたので、対応はできるのかなと思っております。  あと、N災害以外の関係のヨウ素剤の話なんですけれども、これについては、とりあえず準備だけ、飲んでいきなさいということではなくて、ちょっと専門ではなくてあれなんですけれども、甲状腺にたまらないようにということで、実際、東京消防庁が3月19日に入ったときには、行く直前に飲まれた方もいるし、飲まなかった方もいるというようなお話で、実際40年後、50年後に発症するというようなお話でしたので、その辺は東京消防庁の自主的な判断にお任せしたというようなことでは聞いておりますので、国からヨウ素剤を必ず携行していきなさいとかという指示があったというふうには聞いてはおりません。  以上です。 91 ◯委員長米持克彦君) はい、健康支援課検診推進担当課長。 92 ◯健康支援課検診推進担当課長 避難所での障害者のことなんですけれども、私が当時受け持たせていただいた状況の中では、高齢者で身体的に被災前は在宅で全介助で寝たきりに近い状態だったんだけれども、介助して多少の下肢の筋力は残っていた方は、津波で逃げるときに、とにかく何とか御家族の、御主人の手をかりながら逃げて、その後、避難所での生活では立って歩いて、お手洗いまで介助をすれば動ける状態になられていて、避難所では、そういう形で介助して、立って歩ける状態を保っていけるところになりました。  それから、精神障害の方、統合失調症の方も、避難所、150人ぐらいいらっしゃる避難所の中で複数いらして、それで、その中では御家族と一緒にいらっしゃるんですけれども、朝起きて食事をして、それから自分の家があったところに出かけていって、瓦れきを片づけて、夜戻ってきて、食事をして休むという、出かけていって片づけるということが、多少の作業療法的な意味合いもあったようで、その間、少し安定していらっしゃる方もありました。  それから、あと、家ではとても怖くていられなくて、避難所のほうにいらして、家のほうは電気も通って、一通り消毒もできて、避難所にいなくとも高台の家に戻られる状況になっている統合失調症の方の場合は、避難所のほうが安心とすごく思っていられたようでしたけれども、そこはもう、家に帰ってももう大丈夫な状態になっているということを、御家族と、それから御本人と、それから心のケアチームと、それから地元の保健師とかと連携して、それで何とか本人の気持ちが、あと2週間いて、何月何日になったら家に戻って、一晩泊まって、それから二晩泊まって、そういった計画を立てて、家のほうに戻っていけるというようなケアの一端にかかわらせていただきました。  ですので、避難所で何とか過ごせるぐらいの方ですと、そういうような形で、避難所の中の方と、それから、周りの支援者の方とで連携してかかわっていくということはできるかなと。私が行ったのは5月でしたので、それまでの間にもうちょっと病院のほうに搬送しなきゃいけないだとか、そういった方たちは既にもうそれなりのところに搬送された後、多少の何とか過ごせる方はそういったような形でかかわっていた状態かなというふうに考えております。 93 ◯委員長米持克彦君) はい、布施委員。 94 ◯委員(布施貴良君) ありがとうございました。大変な状況の中での活動でございまして、本当に大変でございました。お疲れさまでした。 95 ◯委員長米持克彦君) ほかになければ、以上で東日本大震災被災地派遣職員による活動報告についてを終了いたします。  派遣職員の皆様、本当に職業柄とはいえ、大変な経験をされまして、千葉市を代表して、御苦労されたことに対して感謝を申し上げます。今後とも、ひとつ頑張っていただきたいと思っております。ありがとうございました。(拍手)  職員の方は御退室願います。御苦労さまでした。             [保健福祉局・美浜区・消防局退室]                 次回開催日等について 96 ◯委員長米持克彦君) 次に、次回開催日等について御協議願います。次回は、先ほどの派遣職員による報告と同様、今後の委員会活動の参考とするため、学識経験者による講演を聴取したいと存じます。  なお、実施する場合は、千葉市防災会議の専門委員であり、早稲田大学地域社会と危機管理研究所招聘研究員の浅野幸子氏を講師にお招きし、男女共同参画の視点を踏まえた防災対策をテーマとして講演をお願いしたいと考えており、日程的には、第1回定例会開催前の2月17日月曜日、午後1時から2時間程度を予定しております。  また、本講演につきましては、所属委員以外の議員も参加できるよう、特別委員協議会として行いたいと存じますが、いかがでしょうか。               [「異議なし」と呼ぶ者あり] 97 ◯委員長米持克彦君) ありがとうございました。  それでは、おおむね御了解をいただきましたので、次回は、学識経験者による講演を委員会協議会として実施することといたしますので、よろしくお願いいたします。  最後に、委員協議会後の委員会についてですが、第1回定例会終了後に開催し、地域防災計画の見直しや危機管理センターの整備状況、首都直下地震への対応策について調査したいと存じます。  また、調査終了後、当局への提言に係る正副委員長案を提示させていただき、御意見を承りたいと存じます。正副委員長といたしましては、3月24日月曜日の午後、または26日水曜日のいずれかで開催したいと存じますが、いかがでしょうか。                  [協議・決定]           (次回は3月24日(月)午後1時30分と決定) 98 ◯委員長米持克彦君) それでは、24日の午後1時半からお願いしたいと思います。24日月曜日、午後1時半です。  それでは、これをもちまして、防災・危機対策調査特別委員会を終了いたします。御苦労さまでした。
                     午前11時56分散会 Copyright © Chiba City, All rights reserved. ↑ ページの先頭へ...