八戸市議会 2007-03-12 平成19年 3月 予算特別委員会-03月12日-01号
健康福祉課参事兼課長 春 日 喜代志 君 総合政策部次長兼行政改革推進課長 松 浦 伸 一 君 政策推進課長 大 坪 秀 一 君 調整広報課長 前 田 康 一 君 防災安全推進室副室長 川 村 岩次郎 君 防災安全推進室参事 小 林 佳 人 君 総務部次長兼総務課長 林 隆之介 君 総務部次長兼人事課長 早 狩 博 規 君 秘書課長
健康福祉課参事兼課長 春 日 喜代志 君 総合政策部次長兼行政改革推進課長 松 浦 伸 一 君 政策推進課長 大 坪 秀 一 君 調整広報課長 前 田 康 一 君 防災安全推進室副室長 川 村 岩次郎 君 防災安全推進室参事 小 林 佳 人 君 総務部次長兼総務課長 林 隆之介 君 総務部次長兼人事課長 早 狩 博 規 君 秘書課長
高 島 司 君 産業振興部長 馬 場 良 夫 君 都市開発部長 妻 神 敬 悦 君 総務部理事 木 村 保 君 産業振興部次長 高 谷 勝 義 君 都市開発部次長兼区画整理課長 川守田 博 一 君 産業振興部商工労政課長 工 藤 朗 君 都市開発部都市政策課長 石 黒 一 之 君 総務部秘書課長
11月3日に横浜市で開催されました県が主催した医療スタッフとの懇談会でございますけれども、県からご案内をいただきまして、秘書課に日程をとりました。
そこで、市長のスケジュール調整の任に当たっている秘書課長にお願いいたします。 旧相馬村役場の村長室は相談室となっているようですが、旧岩木町役場の町長室は現在応接室になっております。
例えば市長あたりが、秘書課のチケットを使ってタクシーでどっかさ一杯やりに行くかという、そういうお金があるんだったら、何ぼでも出せるんじゃないの。例えば市長が飲んでいるお茶というのは、これは市長のお金で飲んでいるの。そこら辺もよろしかったら。まさか市長が税金でお茶を飲んで、浪岡住民からはお茶は取り上げるという、こうなったらちょっと大変な話ですからね。一体全体幾らかかるんですか、お茶。
現在、太田市からは、去る5月11日に太田市企画部副部長、秘書係長が太田市長の考えを伝えるための表敬訪問があり、その際、友好都市の盟約を締結して交流事業を行っていきたい旨のお話をいただいております。
現在、太田市からは、去る5月11日に太田市企画部副部長、秘書係長が太田市長の考えを伝えるための表敬訪問があり、その際、友好都市の盟約を締結して交流事業を行っていきたい旨のお話をいただいております。
西氏は、昭和41年、当市に奉職され、平成6年から秘書課長、平成11年から総務部長を歴任、平成16年から八戸圏域水道企業団の理事に就任されるなど、これまでの行政経験から、その職責を十分に果たし得るものと存じます。 両氏とも市職員として長年地方自治に携わり、知識、経験とも豊かで、その手腕は衆目の一致するところであります。何とぞ議員各位の御賛同を賜りますようお願い申し上げます。
ただし、これはあくまでも秘書課の方で押さえているものということでございまして、担当課の方にはそれぞれの事業につきまして、それぞれの部署につきまして行っている可能性はございます。ただ、大変申しわけないんですが、そこまで私どもの方では把握しておりません。
先月26日、前秘書課長、水産課長、その他市の職員も何人か同席した中で、見舞金として出したということが、前課長から言われたと。そういう見舞金というものが、まず、あるかどうかはわからないのですが、まずこういう事実があったのかどうか、先月26日です。これをちょっとまず先に聞きます。
こういう観点から申し上げましても、あの出席された、招待された来賓の皆様方の顔ぶれを見ましても、青森県の国会議員には招待されたようでありますけれども、だれ一人御本人が出席されていない、いわゆる秘書であるのか、代理者が出席したという、ただ三村知事が1人だけ出席しておるという、この合併式典を見ましても、何か非常に惨めな合併であると、私はそう感じたわけであります。
ですから、この流用金のうち、横領の性格を隠すために、あるいは薄めるために、大学のためにもいろいろお金を使ったのだと、幹部や秘書のためにもお金を使ったんだという理屈づけになっているだけであって、本質は横領事件なんだと思うんです。 そうすると、横領の可能性のあるお金で市長がゴルフをやったということなんです。そういう認識はあるでしょうか。
私は、議員時代からも町長の秘書的業務を兼ねる総務課長と選管の事務局長を兼務することは好ましいことではないとたびたびそういう質問を繰り返してきたところでありますので、今もその思いは変わっていません。
やはりこういう部分が、どうしても総務課長というのは、町長の秘書課長的な役割も果たす部分がある。したがって、総務課長がそういうような部分で、選挙管理委員会の事務局長であり、どうしても町長を擁護するという形でそのように考えられる部分があったのではないか。
成績優秀な正太郎は、福沢諭吉に寵愛されるようになり秘書業務を担い、時には演説原稿をしたためていたようであります。やがて、福沢諭吉が創設した新聞社、時事新報社に北東北で最初のジャーナリストとして勤めるようになります。そして、間もなく運命的なトルコの軍艦エルトゥールル号の遭難事故に遭遇することになります。
さて、中村寿文市長におかれましては、さきの9月定例会本会議、私の質問にお答えいただく中で、私は以前衆議院議長をやられた船田中先生の秘書をしました。さまざまなお教えをいただいた中で、政治は言葉であると、こういう教えをいただきまして、自分の使う言葉に気をつけております。
547万円もかけて行ってきた出張なのに、秘書などの同行者が作成したものを含め復命書、報告書のたぐいが作成されていないというのは異常なことではないでしょうか。平成9年度といえば、情報公開条例が施行される1年前のことになりますが、当時はそれが当たり前だったのでしょうか。 質問します。
私は以前、3年半ほど東京で、衆議院議長をやられた船田中先生の秘書をしました。さまざまなお教えをいただきました。その中でこういう一言がありました。政治は言葉であると、こういうお教えをいただきまして、自分の使う言葉に気をつけております。特にこの一切とか絶対という言葉は強い言葉なものですから使わないと、こういう信条でありますし、これからもそのようにしていきたいと思っています。
それから、前学長の旅費についてもう1点の、執務記録と旅行命令との相違というふうなことかと思いますけれども、これにつきましては、先般、布施議員が行政文書の開示請求をされまして、開示の際にも御説明いたしましたけれども、当時の秘書がメモとして使用しておりました学長週間予定表が学長の執務記録なわけですけれども、ここに記載されているのは秘書が学長のスケジュール管理をするに当たって事前に予定を記入していたものであります
けまして、本市としてその協定内容の一つであります教育・文化交流や観光事業などの経済交流も視野に入れ、共同事業を検討・実施するという項目を踏まえまして、経済面での交流の可能性についても視野に入れながら、教育・文化の面を主軸とした持続的な交流の実現性について調査検討するという目的で、去る7月12日から16日までの期間で東奥日報社主催の大連経済視察団に、私初め市議会議長、産業部長、都市整備部長、市民文化部長、秘書