十和田市議会 2013-03-07 03月07日-一般質問-02号
戦後御飯も食べられない、そういう廃墟の中での生活の中で、地域のこの十和田市の人たちが日に3度御飯を食べられるようにしたいと、そういう強い思いがあってこういう事業に取り組んでくれたのだろうと私は思っています。私たちは、そのことに対して感謝もしているし、今日あるのもそのおかげだなという思いも。政治家というのはそういうものではないのでしょうか。
戦後御飯も食べられない、そういう廃墟の中での生活の中で、地域のこの十和田市の人たちが日に3度御飯を食べられるようにしたいと、そういう強い思いがあってこういう事業に取り組んでくれたのだろうと私は思っています。私たちは、そのことに対して感謝もしているし、今日あるのもそのおかげだなという思いも。政治家というのはそういうものではないのでしょうか。
そこでは、たくさんある廃墟をポジティブに活用したほうがよい、機会があれば1年くらい滞在して作品をつくってみたい、奥入瀬には自然以外にも使えるものがいっぱいあるなどの好意的な意見が寄せられたと聞きます。 休廃業施設や放置された廃墟は、そのままでは景観や治安に悪影響を与えますが、活用すればアーティストの滞在や作品の制作発表や展示の場所になるというわけです。
解体を見送られている工場は廃墟となり、安全性も不安視される上に、地域的事情から防犯上も危険を増しております。清掃工場のすぐ隣に小学校と中学校が存在し、近隣にはさらに1校の小学校があり、それらの児童及び生徒に加え、幼稚園児、保育園児を合わせれば、この周辺に住む約1000人の子どもたちの安全が恒常的に脅かされている状態にあります。
私は平成19年に、浅虫温泉の廃墟となっている、国道4号線の善知鳥トンネルを抜けたところの廃墟の部分に関して質問したことがございます。所有者が不明ということで市では対処できない、できるためにはどうすればいいか、その後どのように検討されてきたのか、そちらもお伺いしたいと思います。
現地においては、廃墟と化した町並みの惨状に言葉を失いましたが、そのような中でも我が弘前連隊は黙々と任務をこなしておりました。 現地司令部において、39普通科連隊長であります佐々木1等陸佐から現状に関するブリーフィングを受けました。
橋本三丁目のある通りには、全く住民がいなくなり、廃墟となった家々の周りはほこりをかぶり、雑草は伸び放題、環境は急激に悪化しています。今回は旧浦町地区を中心として、幾つかの問題についてきょうはお話しさせていただき、以下5点の質問、1点の要望をさせていただきたいと思います。 その1は、松原市民館の改修について、その計画をお示しください。
△鳥越正美君質問 ○副議長(桜田博幸君) 次に、3番 鳥越正美君 (3番 鳥越正美君 登壇) ◆3番(鳥越正美君) 「「母よあなたは、なんと不思議な 豊かな力をもっているのか 人間よ、静かに深く考えてもらいたい あなたたちの後ろにも あなたたちの成長を ひたすら願う母がいる ベトナムのアメリカ兵にも わが子の生命を強烈に気づかう母がいる 硝煙の廃墟に苦しむ解放軍の背後にも わが子の無事を
廃墟が進みますよ。建物そのものが貧弱だし古いのだから、とりあえず部長からいきます。 しかも、あそこから直線にして1キロも離れていないところに、旧の中央清掃工場があるのです、平成14年から。あれは環境整備事務組合の守備範囲だからここでどうのこうの言いませんが、しかもあそこはダイオキシンも絡んでいるのです。
御承知のとおり、1945年8月、広島、長崎の両市は原子爆弾の投下により一瞬にして廃墟と化し、数多くのとうとい命が奪われました。このような悲劇が2度と地球上で繰り返されることのないようにしなければなりません。
廃墟とは言わなくても、それくらいの印象が残るところでございます。非常に悪い印象が残ります。ある意味、十和田湖の玄関口に廃屋があることによって、十和田湖のイメージがそれだけで下がると思います。この廃屋を撤去し、新しくアートエリアみたいにつくりかえたら十和田湖の印象も変わってくると思います。 また、数年前に渓流で枝の落下で下半身不随になった観光客がおりました。非常に残念な事故でありました。
町は一瞬にして廃墟と化し、たくさんのとうとい命が奪われ、今なお放射線による後遺症に多くの人たちが苦しんでいます。二度と原子爆弾による悲劇を地球上に繰り返してはならないと、広島、長崎両市長の呼びかけでつくられた平和市長会議は、6月1日現在で世界134カ国、地域2926都市が加盟しています。
廃墟を写した「亡骸劇場」という分厚い本を私、見ました。ほとんど写真のわからない私も感動しました。私は会ったことがなく、新聞でちらっと見ましただけですけれども――市川の芸術家の木村さんを介して、市長がお会いになったとか何とかという話であります。
国道4号善知鳥トンネル浅虫側に火事で焼け残った廃墟があります。観光地浅虫の入り口と言える場所で景観上よくない上に危険でもあるので、市として何らかの対応を講じることはできないものでしょうか。 以上をもちまして壇上からの私からの一般質問とさせていただきます。御清聴まことにありがとうございました。
そこで、ヒント、焼山のかんぽの宿が廃墟と化す前に、健康増進に利用される方法はないものでしょうか。我が会派明政会で温泉利用の件で伊豆市を視察してきましたが、伊豆にはテーマがありました。1つ、旅館、ホテル等、宿泊施設と日帰り温泉入浴施設の振興、1つ、健康をキーワードにした新しい産業づくり、1つ、温泉を活用した市民の健康づくりと役割が示されているのです。
戦後の廃墟と混乱という時代にあって、最も切実な保育所としての役割は、親も家も失った子どもたちを国の責任で守り、そして食を与えることでありました。その後、日本経済の発展とともに女性の社会進出は進み、保護者の子育てと子どもたちの健全育成を支える役割を保育所は持つようになったのであります。こうして公的保育サービスは子どもの健全育成と労働環境を支える施策として極めて重要な役割を担っていくのであります。
また、昨日の奥瀬議員の発言にあった、ある議員が浪岡が青森に抵抗すれば10年後に廃墟にしてやると言われたことですが、新青森市全体の幸せを考える議員の発言とは思えません。議場の場での発言であり、私も47分の1の議員の1人としてカウントされますが、旧浪岡地域との融和を目指す佐々木市政の足を引っ張るものであり、決して看過できません。
本来、旧青森市と旧浪岡町は対等合併したというのに、ある青森市議会議員は、浪岡が青森に抵抗すれば10年後は廃墟にしてやると言い、また、ある市議会議員は、だれも対等合併とは思っていないと言っている議員もいる。このことについては、住民投票を求める会の議員が聞いているところでございます。 私たちは合併をしなければならない。どこと合併するかは住民投票で行うべきと言ってきました。
青森市は廃墟から立ち上がった市民一人一人の英知と不断の努力により、見事に復興をなし遂げましたが、今は当時の惨状をとどめるものはなく、戦後生まれの戦争を知らない世代がふえ、年々風化しようとしています。
戦後の日本の復興は、廃墟の中、高い教育水準、さらに勤勉な国民性、そして官僚、自由民主党を中心とした適切な政策によるものが大きかったと思っております。