八戸市議会 2019-09-11 令和 1年 9月 決算特別委員会-09月11日-01号
大正時代に制度が始まった当初は、いわゆる生活困窮者のみが対象であったのですけれども、現在に至りましては児童ですとか高齢者、障がい者、また自力での避難行動が難しい災害時要援護者などにその範囲が拡大をしておりまして、業務も増大しているというところでございます。 当市から民生委員に依頼しております具体的な日常的、継続的な業務というのは、次の8つが主なものでございますので順次お知らせします。
大正時代に制度が始まった当初は、いわゆる生活困窮者のみが対象であったのですけれども、現在に至りましては児童ですとか高齢者、障がい者、また自力での避難行動が難しい災害時要援護者などにその範囲が拡大をしておりまして、業務も増大しているというところでございます。 当市から民生委員に依頼しております具体的な日常的、継続的な業務というのは、次の8つが主なものでございますので順次お知らせします。
○3番(坂本 崇議員) 残念ながら、調査の結果、文化財としての価値づけが困難であったということで、また、その後もいろいろ企画部のほうとかと協議されたということなのですけれども、弘前市は戦災・天災に遭わなかったこと、また所有されている方たちが、自己負担を伴いながら維持し保存してきたことから、弘前城を初めとする藩政時代の建造物、明治・大正時代の洋館、そういった多くの古い建築物が現存して、古い町並みが残っております
先日、昭文社で発行しております、旅好きな女性に人気のことりっぷという旅行本の編集者にお伺いしましたところ、近年、全国的に建築物めぐりをすることが女性旅行者のトレンドの一つになっているそうでありまして、その中で当地・弘前は、藩政時代の建物や明治・大正時代の洋風建築物、昭和の前川建築など、さまざまな時代の建築物が同居しておることから、そういった方たちの注目の旅先の一つになっているということであります。
それが成就し、大正11年にウミネコ繁殖地蕪島天然記念物指定を受けていたことに加え、昭和12年に文化庁の名勝地指定を受けたのであります。その後、平成25年5月に三陸復興国立公園になり、蕪島地区への観光客は少しずつふえてまいりました。
平成31年3月22日 ──────────────────────────────────────── 議員提出議案第4号 治安維持法犠牲者国家賠償法(仮称)の制定を求める意見書(否決) 大正14年に制定された治安維持法により、戦前の軍国主義のもとで主権在民、民主主義、戦争反対などを唱えたことを理由に、多くの人たちが弾圧され、犠牲となった。
大正9年11月に発掘されたことは書物により判明しておりますが、いつかというのは判明されていないということですので、それならば市民全体で発掘の日を考えていく、またはそういった事業を立ち上げてもいいのではないかと思ったりもします。市民参加型のものをさらに検討し、巻き込んで世界遺産登録へ向け取り組んでいただきたいと思います。
春の弘前さくらまつりは、大正7年に始まり、昨年、弘前観桜会100周年を迎え、来年は100回記念となります。このことから記念事業を展開しておりますが、これを機に、改めて桜そのものの魅力を伝える工夫を考えてまいります。 夏の弘前ねぷたまつりにはおおよそ300年の歴史があり、2020年には東京オリンピック開催期間と重なることから、例年にも増して多くの皆様にお越しいただけるものと期待しております。
青森操車場跡地の沿革を調べ、大正、昭和、平成にわたる変遷がわかりました。今後、新しい元号となり、新たなページが開かれようとしている今、本市は大きなチャンスの節目に対峙しています。本事業の注目すべきことは、公募設置管理制度──P─PFIという民間活力による都市公園の整備手法の活用を目指していることです。
私はパブリックビューイングによる第1話を拝見しながら、明治から大正を経て昭和に至る激動の時代、オリンピックへの挑戦を続ける当時の人々の思いと東日本大震災からの創造的復興に向けて、関係者の方々とともに尽力してきた私どもの思いが重なり、万感胸に迫るとともに、今後いかなる苦難が降りかかろうとも、郷土八戸の限りない発展と市民の皆様の幸福のため一身をささげるという決意を新たにしたところであります。
また、弘前公園を初め、禅林街や最勝院五重塔などの神社仏閣、伝統的建造物群保存地区である仲町の街並み、あるいは、明治・大正期に建築された旧弘前市立図書館や旧第五十九銀行本店本館などの洋風建築、昭和を代表する近代建築の巨匠・前川國男の作品など、多くの歴史的建造物が残されております。
明治維新以降、海運が発展してくると、八戸でも築港運動が盛んになり、大正8年から修築工事により、近代的な港へと変わり始めました。 昭和4年に八戸市が誕生し、翌年に鮫と湊川口を統合して八戸港と改称し、商港に編入しました。その後、港湾貨物の取扱量が増大したため、昭和14年に貿易港として開港指定を受け、昭和26年には重要港湾に指定されました。
大正7年に着手以来、丸100年に及ぶ大事業でありました。 この件では、旧弘前市議会が河川改修促進特別委員会を設置し、長年にわたり中央官庁等に要望を重ねてきた経緯があります。私も当時、微力ながら携わった一人として、まさに感無量であります。同時に、多くの先人の努力に改めて感謝と敬意を表したいと思います。
1923年――大正12年――発足以来維持されてきた制度の基本を全面的に改変するものです。卸売市場制度は、国民の食糧安全保障に基づいて、一般には見られない厳しいルールが設定され、それが公正な価格形成機能や情報公開機能として国際的に高く評価をされてきたものです。 今回の改定の1点目は、これまで自治体にしか認めてこなかった中央卸売市場の開設を民間企業にも認めることです。
青森市のバス事業は、大正15年に創業し、東京都に次いで全国で2番目に長い歴史を持つ公営バスであります。この間、市民に最も身近な公共交通機関として、安全で安心して利用できる市民の足としての役割を担ってきたところであり、今後におきましても、高齢化の進展などから、その社会的重要性はますます高まっていくものと考えております。
大正7年に弘前商業会議所の外郭団体である弘前商工会が始めた弘前観桜会は、ことしで100周年を迎えました。この弘前さくらまつりが100周年を迎えることができたのは、桜の寿命が60年と言われる中、りんごの剪定技術を桜の維持管理に導入し、弘前方式と言われる桜の長寿命化をなし遂げるなど、桜にかけてきた先人たちの努力と汗のたまものであるとの思いをますます強くしております。
大正5年に、市内の進歩派を自認する若者たちの集まりである呑気倶楽部が取り組んだ花見会が評判となり、大正7年に弘前商工会が第1回観桜会を開催して以来、100年が経過いたしました。
この図書のタイトルは、「青森市議会史(大正編・昭和戦前編)」と「対華二十一ヵ条要求とはなんだったのか 第一次世界大戦と日中対立の原点」であり、もし会派控室などで見かけることがあれば、議会事務局へお持ちいただきたい。 また、青森市議会図書室管理運営要領の規定による図書保存年限表により廃棄予定としているものは134 冊となる。
八日町の整備をするときに、街路灯は大正時代の雰囲気をと、河内屋さんの建物に合った歩道であるとか、街路灯を設置した経緯があって、そのときにハンギングバスケットがかかってとてもおしゃれだと思っておりました。あれがいつの間にかなくなってきて、ああいう場所はすぐにまたやれるのかとは思っていましたけれども、これはこれでぜひ進めていただきたいと思います。
福岡県の直方市という小さな市ではありますけれども、大正期の洋館風の医院を改装してつくられた直方谷尾美術館という美術館を通して、人と文化施設のウイン・ウインの連携、文化施設が結ぶ人と人との連携、文化施設が広げる連携の輪をつくるユニークな取り組みをしております。ここは6万人足らずの小さい市なんですが、その美術館は年間1万から1万4000人の方が来館されていると。
大正に入り、りんごをなりわいとする農家が急増する中、病害虫との戦いで、害虫発生の頻度でその年の生産量が決まるほど病害虫に悩まされ、昭和6年、黒石市に苹果試験場が開設されてから防除が確立、新品種等の育種が行われ、剪定技術を初めとする栽培技術の普及により安定した生産と高品質な生産が確立されて現在に至り、今やりんご産業は、本市にとっての経済の一翼を担うすばらしい産業に成長してきた歴史があります。