青森市議会 2001-09-25 旧青森市 平成13年第3回定例会(第6号) 本文 2001-09-25
例えば、なぜ民主主義が生まれてきたか、資本主義が生まれてきたかは、中世のヨーロッパをもう少し―御存じだと思いますが、キリストの宗教改革からその辺の歴史を見れば明らかなことでしょう。否定から肯定が生まれているんです。
例えば、なぜ民主主義が生まれてきたか、資本主義が生まれてきたかは、中世のヨーロッパをもう少し―御存じだと思いますが、キリストの宗教改革からその辺の歴史を見れば明らかなことでしょう。否定から肯定が生まれているんです。
松橋議員もお述べになっておりましたが、中世の八戸は、根城と今の三八城公園にあった中館、さらには新田城の三館がそろって1つの城として守りを固めていた三館一城説が定説になっております。 根城は、1334年、建武元年でありますが、南部師行によりまして築城され、新田城は師行侯の弟、政長侯の次男、政持、中館は政長の三男、信助がその祖と考えられておりまして、いずれも南部氏一族が拠点にした城館であります。
そこで、その制作のための基本になる資料でございますが、師行公の姿を直接伝えるような絵画、資料などは現存しないのでありますが、中世におきまして普及していた武装装束について当時の合戦絵図などに基づき検討し、制作資料にする予定であります。また、中世におきまして、当地方は糠部の駿馬を育てた馬産地として知られていることから、騎馬姿の師行像を制作する考えであります。
中世以来の港町でありました油川地区における都市施設整備のおくれ等がいろいろの理由があってのことと思いますが、本市の先進地区に比べて都市構造上のおくれ等の課題が顕著化してきているのではないかと強く感じています。 しかし、最近では東北新幹線の開業を10年以内に控え、新青森駅周辺、あるいは新幹線車両基地等の整備は、今後は全市挙げて急ピッチで進めなければなりません。
第2次世界大戦の空爆によって壊滅した中世の街並みは、大戦前から進められていた都市計画も継続され、自然と人間と歴史が調和する街として見事なまでの復興の道を着実に歩んできたフライブルグ市でありました。もともと観光都市として有名でしたが、環境首都としての名が高まり、世界各国から強い関心を持たれ、その意味での来訪者が急増しているということです。
そして、八戸は特に市長がおっしゃるように、古い縄文の草創のあたりから、下手すれば中世、江戸時代までつながるというふうなことを考えますと、その縄文の歴史の見本になる可能性があるというふうにも思っております。 何度か是川の方の博物館にも行っているわけでありますけれども、やはりまだまだ施設とすれば貧弱でありますし、まだまだ一般市民には少しなじめない、わかりづらい面もあろうかと思います。
新田城は、根城南部氏のもとでこの地方を支配していたと考えられております中世の重要な遺跡の1つであります。しかし、根城と異なり、国史跡に指定されておりませんことから、土地造成などの開発に当たりましては、事前に発掘調査を行い、記録保存に努めてきているのが実情でございます。
十日市、妙を含めた新井田地区には、縄文時代早期の館平遺跡、赤御堂貝塚、前期の蟹沢遺跡、中期の松ヶ崎遺跡、西長根遺跡、中世の新井田古館遺跡、新田城跡を初め数多くの遺跡が所在いたします。 これまで昭和20年から30年にかけて慶應義塾大学の江坂輝弥氏により、館平遺跡や赤御堂貝塚が発掘され、当時は全国でも数少ない縄文時代早期の遺跡として紹介されております。
しかし、近年、多くの専門家は、これまで刊行された資料編10巻は藩日記の解読を中心としたもので、したがって、庶民の暮らしなどの記述はなく、しかも藩政以前の考古編、中世編、それに明治4年以降現代までが編さんされておりません。
特に主殿は中世のやかたとしては全国初の大型復元であり、各地から注目を集めており、視察が絶えないと聞き及んでおります。本市の新名所として一役も二役も買っており、観光のシンボル的な立場を得ているものと確信しております。今までは遠来の客があっても、はて、どこに案内すればいいか、はたと考え込んでいたのは私ばかりではなかったと思います。
それから、十七年間かけて整備いたしました中世の文化、根城史跡、広場でございます。あの主殿を復原いたしたわけでございますが、これも、ことしの十月には全国史跡都市会議を八戸で開催することになっております。博物館ですとか、そして史跡根城の広場。それから、この日本列島を通じまして最も北にある国宝、これは櫛引八幡宮のよろいかぶとでございます。
昨年十月、復元工事が竣工して華々しくオープンした史跡根城の広場は、本格的な中世城郭の復元として八戸市の新しいスポットになろうとしています。十七年の時間と五十一億の巨費を投じた歴史的に価値ある根城の広場であるだけに、内外の見学者が二度三度と足を運ぶ魅力を付加価値として持たせる必要があると思います。そこで、私に届いている市民の反応の中から二、三を紹介し、市長または教育長の見解を求めたいと思います。
また、八戸市博物館でも、九月二十五日から十一月六日まで、オープン記念特別展といたしまして、「中世の風景 よみがえる根城」を開催し、多数の見学者が訪れ、双方の施設に相乗効果があらわれました。 現在のところ、史跡根城の広場は、中世の建物や生活の様子を見学できる本丸と、広いオープンスペースの中で土塁や堀跡を散策できる中館等の部分に区分されてございます。
建物の復原に当たりましては、文化庁を初め、多くの専門家の皆様の貴重な意見が生かされておりまして、中世城館の大型建物復原としては、全国初の試みとして注目を集めておるところであります。
御承知のとおり、根城は昭和十六年、史跡に指定され、以来五十数年の歳月を経た中で、用地の公有化、公園化、そして博物館の設置などの事業が進められ、このたび日本最大の中世建築物とも言われる主殿が復原されたのであります。
当市におきましても、これまで、八戸市発祥の地とも言える史跡根城跡において、中世の城館の復原を進めてきておりまして、また世界的にも有名な是川遺跡につきましては、縄文学習館を建設し、当時の生活を視覚的、体験的に学習できるよう施設の充実に努めてまいったところであります。
縄文にしましても、また中世の根城の文化にいたしましても、八戸南部の歴史といいましても、すばらしいものだ。我が八戸市にとっては誇り得るものでございましょうと、こう考えておりまして、このことを今後とも情報発信という面で努力してまいりたいと考えております。 以上です。 ○議長(佐々木秀男 君)山内議員 ◆十三番(山内正孝 君)簡潔明快な御答弁、ありがとうございました。
また、根城の整備は数少ない中世の城跡の復原事業として、全国から注目されておりまして、専門誌への紹介も徐々にふえてきております。 さらに当市といたしましても、本年夏のオープンを機会に博物館で特別展を開催するほか、ポスターやパンフレットを全国の公共施設に配布したり、報道、出版関係へ情報を提供するなど、積極的な周知を図っていきたいと考えております。
昭和六十年から総事業費約四十七億円を投じ、十年がかりで進めてきた根城跡復原事業がようやく最終段階を迎え、メーンとなる中世城郭の主殿復原が来年七月に完成し、市民の前にその姿をあらわす予定となっています。
紀元前からの歴史を誇る大ローマ帝国を初め、各国とも都市計画そのものを中世時代から定めた古くからの石文化の建造物と現代の都市づくりを調和させながら、その保護政策を続けているということであります。 例えばイギリスでは、古くなった建物を建てかえる際には、外壁はそのまま残し、内部だけを近代化建築にし、町全体の調和を図っていくようにしておるようであります。