116件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

青森市議会 2001-11-30 旧青森市 平成13年第4回定例会(第4号) 本文 2001-11-30

また、小島氏は、同じく本市出身ベトナム戦争従軍カメラマンとして活躍し、報道写真「安全への逃避」で昭和41年にピュリッツアー賞を受賞した国際的報道写真家沢田教一氏を自分の経営する小島写真店に雇い入れ、カメラを教えた恩師としても有名であります。  小島氏の写真作品につきましては、没後30年近くたつ今なお高い評価を得ており、山口県、宮城県、東京都等、各地で作品展が開催されてきております。

青森市議会 2000-09-13 旧青森市 平成12年第3回定例会(第3号) 本文 2000-09-13

この大がかりな総合演習は、ベトナム戦争以来25年ぶりのもので、生物化学戦に対応する太平洋有事を想定したものでした。この総合演習について、相模原市や市民団体演習をやめてほしいと強く求めても聞き入れず、強行いたしました。  皆さん、こうした演習、これこそが戦争法具体化ではないでしょうか。今後も、こうした有事を想定した演習や訓練で自治体に協力を求めてくるものと思います。

青森市議会 1999-06-18 旧青森市 平成11年第2回定例会(第4号) 本文 1999-06-18

戦後、ベトナム戦争を含め、アメリカが起こした軍事行動に、日本政府は1度も異を唱えたことがありません。  そこで、質問します。  1)国からの協力要請があった場合、その内容市民に公表すべきと思うが、どうでしょうか。2)戦争協力法に基づく協力要請は拒否すべきと思うが、市長の見解を示していただきたい。

青森市議会 1999-03-24 旧青森市 平成11年第1回定例会[ 資料 ] 1999-03-24

あのベトナム戦争にも参加しなかった日本が、海外の戦争に乗り出すことは、世界の流れに真っ向から逆らうものである。  地方自治体が管理する港湾空港、病院なども戦争に動員され、住民の暮らしと平和が脅かされる点でも認められるものではない。  よって、ガイドライン関連法案に反対する。  以上、地方自治法第99条第2項の規定により意見書を提出する。   

八戸市議会 1999-03-01 平成11年 3月 定例会−03月01日-02号

ベトナムに帰国してからの生活保障が不安定なため、再び日本の漁船に乗りたいと望んでいる。研修建物を設置すべきだ。漁協合併後にあく単協建物を活用できるのではないか。このような内容で船主が親身に対応すれば大分違うのではないかとも述べております。  以上のことから質問でありますが、第1に、現状の研修制度の改善をどう考えているのか。

八戸市議会 1998-12-09 平成10年12月 定例会−12月09日-02号

漁業界ベトナム実習生を受け入れております。そのほかに外国人マルシップ制度を導入しようといたしております。さらに水産加工業界は、求人難でいつも悩んでおるのでございます。このことを考えますときに、私は、自己退職の74%の方々も、職業選択権の自由はあるのでありましょうが、その選択において時代認識十分認識を深めていく必要があるのでしょう。

青森市議会 1998-06-26 旧青森市 平成10年第2回定例会(第6号) 本文 1998-06-26

かつての朝鮮戦争ベトナム戦争の時、在日米軍基地戦闘部隊の弾薬、燃料や食糧など各種物資の大補給地だった。頻繁な艦船や軍用機の寄港、飛来があり、基地の街も喧噪に包まれた。国道を戦車が運ばれ、国内へは破損した攻撃機などが前線から次々修理に持ち込まれた。  今回の法案では、自衛隊が主役となってこれらを肩代わり。必要なら地方自治体へ、管理する一般の空港港湾施設提供を求めていく。

青森市議会 1998-06-12 旧青森市 平成10年第2回定例会(第3号) 本文 1998-06-12

この周辺事態措置法案は、かつて朝鮮戦争ベトナム戦争のとき、最大の補給基地としてその役割を果たしてきた在日米軍役割自衛隊に果たさせるというものであり、さらには、地方自治体には一般的な義務という名目で協力を求めることができるなど、市民生活に大きな影響を与えるものとなっています。これは、憲法第9条を大きく逸脱しているものと考えます。

八戸市議会 1995-12-12 平成 7年12月 定例会-12月12日-03号

あの壮絶なベトナム戦争でさえ、クリスマス休戦正月休戦は存在したわけであります。ゆとり創造宣言という立場からも、この事態に対する市長認識をお伺いをいたします。  次に移ります。  沼館地区開発計画における柱は、大規模小売店による商業施設であります。私は、この再開発に関する行政の進め方に対し、かつていささか異論を唱えた経緯があります。

八戸市議会 1995-03-08 平成 7年 3月 定例会-03月08日-04号

当時、ベトナム戦争、安保など学生運動盛んな反戦機運が盛んな時代、私を初め多くの友は、国家軍備を持つべきでないという三人の中の一人を支持したのであります。この軍備否定論者は、自由を軍隊とし、艦隊とし、平和を要塞とし、博愛を剣とし、大砲とするならば、敵するものが天下にありましょうかと語り、目に見えない文明というもので武装することが国家としてとるべき道であるということでありました。