能代市議会 2020-09-08 09月08日-03号
日本赤十字秋田支部は、戦時救護に尽くして殉職した救護員の功績をたたえ、その像を建立し毎年終戦記念日に慰霊を行っております。その全国でも少ない従軍看護婦の証言を記録した映像を日赤秋田支部は秋田ケーブルテレビの協力の下、製作しました。看護婦にとっては思い出したくないことなのに、後世の人々のためにと、ふり絞って証言いただいたとのことです。
日本赤十字秋田支部は、戦時救護に尽くして殉職した救護員の功績をたたえ、その像を建立し毎年終戦記念日に慰霊を行っております。その全国でも少ない従軍看護婦の証言を記録した映像を日赤秋田支部は秋田ケーブルテレビの協力の下、製作しました。看護婦にとっては思い出したくないことなのに、後世の人々のためにと、ふり絞って証言いただいたとのことです。
初めに、本年1月、富町で能代消防署員2名が殉職した火災について、8月28日に能代山本広域消防本部が設置した調査委員会の報告書が公表されました。 改めて亡くなられたお二人の御冥福を心からお祈り申し上げるとともに、御遺族の方々に謹んでお悔やみを申し上げます。 市といたしましても、このような悲惨な火災が起きないよう、更なる防火意識の高揚に努めてまいります。
これからを担う若い有能な署員が殉職されましたことは、とても残念であり、無念でなりません。お2人の御冥福を心からお祈りいたします。 日ごろより、地域の安心・安全を確保していただいている消防職員、消防団員の皆様には敬意を表しますとともに、さらなる御尽力をお願いするものでありますが、今回の悲しい教訓を生かし、二度と公務災害が起こらない体制をつくらなければなりません。
また、1月22日の能代火災において殉職された消防隊員お二方の御冥福をお祈り申し上げる次第であります。 さて、人口8万9,000人余りの岐阜県高山市の消防組織体制は、消防本部、1消防署、3分署、分署には12人、出張所11人、これ4つあるわけでありますが、消防職員153人、車両39台で、消防防災業務を行っています。日本一広いという高山市であります。
去る1月22日午前7時ごろ、富町で起きました火災において住宅兼店舗など4棟が全焼し、能代消防署の署員2名が消火活動中に殉職をしてしまいました。殉職した藤田大志さんと佐藤 翔さん、このお二人の御冥福をお祈り申し上げますとともに、御遺族に対しましては心よりお見舞いを申し上げます。 それでは、平成31年3月定例会の一般質問をさせていただきます。
中旬までの主な事業を紹介させていただきますと、7月1日の田沢湖クニマス未来館竣工式、2日の仙北市消防訓練大会、13日のカラ吹き源泉事故殉職者慰霊碑除幕式、14日から17日にかけては、田沢湖マウンテンバイク・クップ・ド・ジャパンカップと続きます。 国際交流では、14日に中国中央党校の訪日団を、また、21日にはジャイカ青年研修視察団、これはミャンマーの方々であります、をお迎えする予定であります。
カラ吹き源泉事故殉職者慰霊碑の建立についてであります。 カラ吹き源泉事故で殉職された方々の鎮魂と、二度とこのような事故を起こさないことを誓うため、源泉の分湯槽があるアルパこまくさ周辺に慰霊碑の建立を進めております。7月13日には御遺族を初め議員の皆様にも御参列をいただき、市の主催による慰霊碑の除幕式を挙行する予定であります。
また、安倍首相は、殉職した自衛官は1,800人もいると、戦死者への批判をかわす狙いがあると見られる発言もしております。 殉職隊員1,800人のうち、合併前を含む本市の出身者が過去にいなかったのかどうか。また、現職の自衛隊員家族からも不安の声が上がっております。市内出身の自衛官は現在何人おりますか。自衛隊員といえども一市民であり、海外での戦闘行為で戦死者が出かねない状況であります。
その一方で、住民の避難誘導や水門の閉鎖などで、198人の消防団員が殉職し、命がけの職務であることが全国的にも知られることとなりました。しかし、近年、全国的に団員数の減少が顕著になっており、その実態は厳しいものがあります。1965年に130万人以上いた団員は、2013年には約88万人に落ち込んでいます。
特に東日本大震災では、団員みずからが被害者であるにもかかわらず、救援活動に身を投じ、大きな役割を発揮し、その一方で住民の避難誘導や水門の閉鎖などで254人が殉職し、命懸けの職務であることが全国的に知られました。
特に東日本大震災では団員みずからが被災者であるにもかかわらず、救援活動に身を投じ大きな役割を発揮し、その一方で住民の避難誘導や水門の閉鎖などで254人が殉職し、命がけの職務であることが全国的に知られましたが、しかし、その実態は厳しく全国的に団員数の減少が顕著になっており、1965年には130万人以上いた団員は2012年には約87万人に落ち込んでおり、その背景には高齢化に加えサラリーマンが多くなり緊急時
あの3.11、被災3県では救助活動で実に197人の消防団員が殉職されました。その後、被災3県の25市町では、消防団員も避難優先となるとし、ぎりぎりまで活動を許すため、避難完了を津波到達予想時刻の10分前と設定し、ルール化をしました。地域のためという意識が先に立ち、団員が逃げたという自責の念に駆られないようにとの目的もあると言われます。
殉職者は197人に上りました。日常の防災の根幹を担っているのは消防団であることの認識を新たにした人も多かったでしょう。 犠牲者を英雄のようにたたえるだけでは済まない、より進んだ検証が必要と思います。 消防団の役割は防火・防災のみならず、地域の安全・安心の確保、日常の予防活動など、献身的に頑張っておられる姿には、市民の一人として敬意と感謝を申し上げるものであります。
日本一の災害線区という汚名があり、特に昭和四十七年十二月二日、広戸-追良瀬間で海岸を走る線路が高波に洗われ路盤決壊、そこへ弘前行き一番列車が蒸気機関車もろとも荒海に突っ込み脱線、機関士が殉職する悲しい事故があったことも脳裏に消え残る一つの出来事であります。