仙北市議会 2021-03-04 03月04日-03号
雨漏りがひどく、床、あるいは、それから昭和57年に床の一部改修されておりますけれども、市民が利用するに支障あるところはどういうところで、何とで、どういう形で今回は直すのかということが質問の1点であります。いずれあと屋根を直せば、市長、この庁舎の建設のときみたいに、足場、体育館の中、全部足場がかかります。
雨漏りがひどく、床、あるいは、それから昭和57年に床の一部改修されておりますけれども、市民が利用するに支障あるところはどういうところで、何とで、どういう形で今回は直すのかということが質問の1点であります。いずれあと屋根を直せば、市長、この庁舎の建設のときみたいに、足場、体育館の中、全部足場がかかります。
これまでの経緯といたしましては、河原田家は昭和58年から所有者の方からお借りして、母屋の一部と庭の公開のみを行っておりました。実際、お庭と建物一部だけの公開でしたけれども、今回の修理工事によりまして建物の中、それから土蔵のほうまで実際に入って見ていただけるような形で整備を終えたところでございます。
かつて昭和の初期の時代に当時の県立角館高校の教師でございまして、また、県の文化財保護審議委員も務めた現在の鹿角市大湯ストーンサークルを調査され、さらには武藤鉄城先生によって、また、今回の黒倉遺跡も同時に地元の御協力をいただきながら調査して発掘を進めてまいったことも皆さん方、お分かりのとおりと思います。
◎市長(門脇光浩君) 議会と総務部門が今使わせていただいている田沢湖庁舎でありますけども、昭和47年に建設なって、通算48年、築48年という状況であります。本庁舎機能、また、防災拠点ということで耐震化の基準を満たしていなかったことから機能不良となっていた屋上の防水であったり、また、外壁補修等、あわせて耐震化工事を行わせていただきました。
仙北市西木保健センターにつきましては、昭和50年、旧西木村当時、住民の健康管理の充実を図ることを目的に創設されたものです。その後、仙北市が誕生して以来、角館の健康管理センターを活用し、保健事業を実施しており、西木保健センターの利用状況は低位となっております。このため、保健センター条例から削除し、制限されていました利用目的の機能を拡充するものです。 以上、提案理由の説明を終わります。
改正の内容ですが、仙北市北卒田会館は、昭和51年11月29日に開設し、43年が経過しております。施設の老朽化や利用児童数が年々減少し、現在では利用する児童もいないことから、児童館を撤去し、土地の所有者へ返還することで合意を得ましたので、このため児童館の用途を廃止し、本条例から削除するものです。 施行日につきましては、令和2年10月1日とするものです。 以上、提案理由の説明を終わります。
また、従来より親交のある昭和大学その他首都圏の大学の医局を通して、今現在、いろんな形で医師確保をお願いしているところであります。まだ民間病院とのなかなか我々のほうのつてがないものでありますので、いずれそのような機会がありましたらぜひ紹介していただければと思いますし、我々もそのような機会があれば積極的に情報発信をしていきたいと考えております。
白岩小百合保育園と角館西保育園は昭和56年に、中川保育園は昭和58年に竣工し、いずれも築40年近く経過していることから、施設の老朽化がかなり進んでいる状況にあります。 仙北市の出生数を見ると、令和元年度に生まれた子どもの総数は75人でした。初めて100人を下回ったということで、この原因が何なのかということを、私たちはそれからずっと探し続けています。
大瀬蔵野橋は、昭和45年架設で築50年が経過し、老朽化が著しく、また、橋梁法定点検の結果、判定区分3で早期措置段階にあることから、今般、辺地対策債を活用して橋の架け替えを行うものでございます。 本工事の契約につきましては、去る7月20日に指名審査会が開催され、審査の結果、条件付一般競争入札で行うことが決定されました。
初めての試みとして、就職氷河期世代、これは昭和45年4月2日から昭和61年4月1日生まれの皆様であります、の採用を目指しておりますけれども、5月20日から6月17日まで応募の受付を行ったところ、市内外から112人の応募がありました。内訳は、仙北市内46人、秋田県内38人、秋田県外28人であります。
それからですね、やはり研修というものがやっぱり必要に、これから重視しなければならないし、我々のような昭和の初めのような時代の人間と違って、今の子どもたちは非常に、悪い言葉でいえばませているというか、またはパソコンなりそういうものをいじることが、機械が非常にゲームとかですね多いんで、やっぱり教育の仕方が変わっているんじゃないかなと思うんですけども、そういう点についてのやっぱり保護者からアンケートをいただいたり
同公民館は、仙北市公民大学や地域の各種サークル団体のほか、スポーツ少年団などの活動の場として広く活用されておりますが、昭和54年の建設から41年が経過した旧校舎、それから体育館は、ともに老朽化が非常に著しく、様々懸念なことが生じている状態でございます。
その中にあっては、例えば旧角館町時代、この土地に対しては土地譲渡売買の契約がなされておりまして、それは昭和51年の4月だったんですけども、多分議員が一番よく御存知だと思いますので、そういう状況の中で、この土地と建物も旧角館町時代に移管になってます。そのときには、昭和55年4月1日から7年間は指定用途に供さなければいけないという指定用途がしっかりと明確に目的になっているということが明確化されてます。
外ノ山テニスコートは、昭和58年に建設された角館町勤労青少年ホームに併設された施設で、近年は老朽化による損傷が点在しています。 現状のままでは転倒事故などが危惧されるため、市教育委員会と指定管理者である「仙北市体育協会」、「仙北市ソフトテニス連盟」が協議した結果、当面の間、使用を中止することとしました。
田沢幼稚園は昭和42年から始まった園だと記憶しております。それで昭和から平成に変わるときに、今の現施設が新しく改築されて今の施設となって残っておる状態であります。非常に建物はしっかりしていて、去年ですね、お遊戯室の軒先がちょっと傷んでるということで修繕もいたしました。それも完全にしっかりとなされておりました。この施設を廃止した後、どのように利活用していくのか、まずそのことを1点目として伺います。
大瀬蔵野橋は昭和45年に架設され、現在49年、50年が経過しております。見た目以上に劣化が厳しくて、激しくて、合併前の旧角館町時代に架け替えの要望をいただいたということでありました。 平成22年から平成23年度にかけて実施した橋梁点検では、非常に劣化度の激しい橋という結果となっております。
令和2年度は、昭和35年に生保内川が氾濫した田沢湖水害から60年になることから、地元NPO団体などと共催で追悼行事を計画しております。 火山対策については、秋田駒ヶ岳と秋田焼山が、噴火レベル1の「活火山であることに留意」とされているため、登山口へ注意喚起の看板を設置し、十分な装備と最新の火山情報収集を呼びかけて注意を促します。
昭和20年8月14日、太平洋戦争最後の空襲の地となったのが土崎でした。土崎には、日本国内唯一の産油施設工場があり、壊滅させるために標的となりました。土崎空襲を体験、学んだ方々の多くは、平和は軍備や兵器では守れないと実感しています。もし、惨劇が起これば、親元から離れて学校や福祉施設にいる子どもたちを守れないと、親の不安も大きくなっています。
寒流学校林は、昭和32年から昭和33年、2年にかけて植栽をしまして、61年から62年を経過してございます。その他、大場学校林、雫田学校林、南雫田学校林につきましては、昭和28年に植栽しまして、今年で66年を経過してございます。樹種につきましては、全て杉でございます。間伐は林齢およそ20年から数回実施されるのが適切とされているようでございます。
本当に本市では大きな被害もなく、安堵しているところでありますが、先達供養佛地域の土砂災害、昭和35年の生保内川の氾濫、昭和47年の大雨、近年では2年前の雄物川河川の大氾濫、いろんなことがありました。市内にもそのときは大きな被害もありました。市内の各所には土砂災害、水害の被害をもたらして、現在その復旧の途上にあります。