1954件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

男鹿市議会 2014-06-16 06月16日-02号

次に、平成27年度からの第6期計画の策定に向けて、今後、病気の予防や保健分野のさらなる強化地域における保健指導との連携など、どのような視点に力を入れて策定していくつもりなのかお伺いいたします。 以上、前向きな答弁のほどをお願いし、1回目の質問を終わります。 ○議長三浦利通君) 渡部市長     [市長 渡部幸男君 登壇] ◎市長渡部幸男君) 米谷議員のご質問にお答えいたします。 

仙北市議会 2014-06-06 06月06日-01号

教育指導課であります。 感染性胃腸炎による給食休止について。 5月9日、金曜日、角館学校給食センター管内小中学校及び県立大曲養護学校せんぼく分教室学校給食を休止いたしました。5月8日、木曜日午後に、感染性胃腸炎と診断された子供の吐瀉物が触れた食器が、ほかの食器に混じって返却され、全食器の再洗浄と消毒、さらに調理師感染性胃腸炎検査を実施するため、翌日9日の給食を休止したものであります。

鹿角市議会 2014-06-06 平成26年第4回定例会(第1号 6月 6日)

今回の訪問は、青少年ホームステイ派遣をあわせて行うこととしており、ホームステイ交流日本語語学指導員の派遣など、今後の教育文化面交流について協議するほか、2年前の懇談の際、産業分野人的交流を行うこととしたことを受け、商工業関係者からも参加をいただき、現地の状況を視察し、交流可能性を探ることとしております。  

由利本荘市議会 2014-06-02 06月02日-01号

今後のさらなる御活躍由利本荘市の発展のため、御指導助言を賜りますようお願い申し上げます。 続きまして、諸般の報告を申し上げます。 初めに、「市道猿倉花立線土砂崩落技術調査委員会についてであります。 去る5月27日に第3回調査委員会を開催しております。委員会では、考えられる崩落要因分析項目について検討を行い、次回委員会現場確認を行う予定であります。

由利本荘市議会 2014-03-19 03月19日-05号

平成8年に由利地方部商工観光担当を経て、現在に至っておりますが、当地域皆様方には、たくさんの方から御指導をいただいて、大変お世話になっております。 当時と比べまして、地域社会は変わった部分もありますけれども、地域をよくしたいという強い願いは今も変わらず、皆様方の心の中にあるということを今も強く教えていただいております。 

能代市議会 2014-03-19 03月19日-06号

審査の過程において、畑作定着ブラザー事業が利用されなかった理由と今後の取り組みについて質疑があり、当局から、本事業ベテラン農家が実際の圃場において新規に畑作を始める方に、直接、栽培技術指導を行うものであるが、農業生産法人の方から既に指導を受けられていたことなどもあり、今年度は利用者がいなかったものである。

男鹿市議会 2014-03-13 03月13日-04号

今後も一層健康に留意され、引き続き、市政発展のため、ご指導ご協力を賜りますようお願い申し上げます。 また、来る4月の選挙に立候補されます議員各位におかれましては、ご当選の栄誉を得られますよう、ご健闘をお祈り申し上げまして、ごあいさつとさせていただきます。 ○議長吉田清孝君) 議長交代のため、暫時休憩いたします。     

仙北市議会 2014-03-12 03月12日-05号

委員からは、消費税法上、一般会計で扱う事業納付義務が生じないことになっているが、国や県の指導はどうなっているのか。また、ほかの自治体ではどのように対応しているのかとの質問に対し、当局からは、施設を維持管理するにあたって費用の負担には消費税が発生している。消費税本来の趣旨からして、適正な受益者負担、適正な転嫁をすべきという国の指導もあり、その方向で転嫁していく。

鹿角市議会 2014-03-12 平成26年第2回定例会(第5号 3月12日)

また、指導者の人数についてでありますが、現在市内のスキー場スキー教室を実施している小学校及び中学校の数は全体14校のうち13校であり、いずれの学校も実施するに当たり教職員だけではなく鹿角スキー連盟保護者を含めたボランティアなどの外部指導者を動員し、指導が行き届きやすい体制となるよう班編成にも配慮いたしております。  

由利本荘市議会 2014-03-07 03月07日-04号

全国に名をはせた優秀な指導者である、今は亡き原田重充監督のもとで熱血指導を受けた生徒の一人です。私の学生時代体育館といえば、冬の吹雪の日には窓のすき間から雪が入り、雨の日には雨漏りがし、夜の練習時には天井にこうもりが舞っている体育館でした。原田監督は、「全国制覇するには一日も練習を休まないこと」が口癖でしたので、休日は年に数日しかありませんでした。