男鹿市議会 2012-06-18 06月18日-02号
全国市長会がそうだから、昔の戦争じゃないんだけどもね。全体がそうだから、すべていいんだというふうにやっちゃうと、取りこぼしなり、地域は疲弊してしまうという現象が起きるんです。ですから、施策の問題でも国保の問題でも、なぜ例えば岩手県が医療で全国的に有名になったか。長野県の佐久市がね、なぜそういう国保問題、改善できてるか。
全国市長会がそうだから、昔の戦争じゃないんだけどもね。全体がそうだから、すべていいんだというふうにやっちゃうと、取りこぼしなり、地域は疲弊してしまうという現象が起きるんです。ですから、施策の問題でも国保の問題でも、なぜ例えば岩手県が医療で全国的に有名になったか。長野県の佐久市がね、なぜそういう国保問題、改善できてるか。
去年6月24日の集中豪雨といいますかゲリラ豪雨といいますか、最近では爆弾低気圧と、まるで戦争のような自然災害であります。その中で、花園大橋の右岸左岸両方から水が上がってきました。特に下川原地区には本当に大きな被害をもたらしました。ちょっと資料を見てみますと、これは去年9月定例会に環境防災課から出された資料でございます。ちょっと読みます。
1995年、当時の世界銀行副総裁は「20世紀の戦争が石油をめぐる戦い、21世紀は水をめぐる争いになるだろう」と、警告しておったようでございますが、まさに現実味が増しています。 今は地方の森林が主に売買対象のようですが、森林面積70%を超え、多様な水源を持つ当市も対象外ではありません。もし、突然大量の外国人が我々の土地だと住み着いたらどうしますか。
昔、戦争で亡くなった人は「天皇陛下万歳」と言って死んだというお話はよく聞きますが、それとはちょっとわけが違いますね。 それともう1つの家族は、やっぱり夫婦なんですが、だんなさんは仕事のためになれた漁師をしたいと。ところが奥様は、自分の妹とお母さんを亡くしているわけです。ですから、もう海を見たくない。そうすれば、離婚するよりほかありませんよね。そこで亀裂が深まってきたと。
時の菅首相が明治維新、そして太平洋戦争の敗戦に次ぎ、第3の開国と称してTPPへの加入を示唆したことによるものでございました。3.11の大震災を受け、その対応に窮する菅首相は、石もて追われるように総理の座を去ったのでございました。そして、民主党の代表選で勝ち上がったのが野田佳彦現首相であり、TPP加入問題への対応が注目をされました。
さらに社会科では、原子力が悲惨な戦争に使用されたことや原子力の必要性、環境問題等について学習する中で放射線についての知識を身につけております。 しかし、このたびの東日本大震災による福島第一原発の問題で、放射線についてより一層正しい知識を身につけることが求められております。
過去昭和58年ですか、日本海中部地震がございまして、秋田市では太平洋戦争以来の大被害ということで、いろんな死傷者やら建物の崩壊といったものが発生しております。その秋田市の方におきましても、この耐震改修の診断等についても平成20年あたりからの状況を見ますと40件、それから平成21・22で8件・12件という大変な被害を受けた秋田市の方でもこういう状況にございます。
市長はそういう答弁をしていますけども、いわゆる大政翼賛的に戦争をやるかやらないかを議論して、国民にゆだねてね、はい、なりましたから私も参加しますと、過去の例があるんですね。なぜ私、放射能という言葉を使ったか、なぜ再考したかというと、広島の原爆を目の当たりに我々が研究してきて、あの悲惨さをね、また味わわれた感じがするということなんです。被爆公園へ行ってみればわかるんだけどもね。
もともと戦争のための開発なので安全は後回しにされ、安全性を十分に考えないまま慌ててつくった原子炉の弱点が今の原子力政策にそのまま残っている。しかも、すべての型の原子炉に共通の深刻な問題は、ウランを燃やしてできる膨大な放射能を含んだ大量の死の灰を原子炉に絶対安全に閉じ込める技術がまだないことと、もう一つの弱点は、燃やした後の残りかす、使用済み核燃料の適切な処理方法が見つからないことだ。
戦争を経験していない世代にとって、東日本大震災は人生最大の国難と言えます。そこで、岩手県の久慈市から宮城県そして福島県の相馬市まで、三陸海岸に沿って被災地を自分の目で見、心に刻んできました。
大正12年の関東大震災と、それから太平洋戦争で大正12年以前の、特に都市部の建物というのは、ほとんどなくなってるわけです。その中で大正12年以前の建物が残っているということは、本当に貴重な価値あるものではないかと考えます。
今、思い起こせば、能代市は私の知る戦後間もない混乱期に、食糧難で灰色の世相が漂う中、戦争で中断されていた各運動競技が復活し、その中でいち早く国じゅうに普及したのが野球でありました。場所と暇さえあれば草野球に興ずる。中学校から中高年も野球に熱狂することもあって、野球狂時代とも言われました。走る汽車の屋根の上で野球をやる、こんな喜劇映画も出ました。
過去には資源を求め、戦争を行い、多くの先人の犠牲の上に私たちがあります。その後、教育に力を入れ、先人の知恵と情熱で物づくりに力を入れ、戦後の復興を成し遂げました。1次、2次、3次産業問わず、技術大国、物づくり大国がこれから目指すべき私たちの国の形だと私は考えます。TPPへの参加は閉塞感から日本が抜け出すチャンスです。
いずれまた機会を見て、そういう核施設というものをいきなり空爆するような国でございまして、以前にもイランの原子力発電所、フランスの会社が受注しておったわけですけれども、完成する前に航空機で爆撃して、もうそれを使えないようにしてしまったという経緯もございますので、そうなると、また下手をすると第5次中東戦争が起こるのではないかなというような懸念もありますし、こっちのアジアはどうかと申しますと、極東はこのとおり
第16代アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンが奴隷解放のために行った南北戦争で勝利し、ゲティスバーグで行った演説の中で、自分の目指す政治は、人民の人民による人民のための政治と述べられました。私はこれが政治を志すものの信条だと思っております。そこで市長の政治姿勢についてお伺いいたします。
戦後65年、だれもが平和で戦争のない社会を望んでいます。日本は唯一広島・長崎に原爆が落とされた被爆国であり、多くの犠牲者を出し、今なお戦争のつめ跡に苦しんでいる人たちもおります。 ことし5月のNPT再検討会議において、核保有国を含むすべての加盟国が、核兵器廃絶に向け行動を開始することに合意する最終文書を採択しました。世界は、今、まさに核兵器廃絶に向け大きく動き出しています。
それは歴代自民党政権が侵略戦争と植民地支配に無反省、総括検証することなしに、片方では日米軍事同盟を絶対視し、アメリカに対しては卑屈なまでの異常な支配、従属な関係であることと相関関係にあることに起因しています。長らく続いた自民党、それに民主党は外交力が全く欠如しています。 昨日、議員の有志の勉強会で、民主党衆議院議員の高松和夫議員が来て勉強させていただきました。
有事と申し上げましたが、実際には1951年に朝鮮戦争が始まりまして、53年に休戦ということになっておりまして、戦争が終結していないかの地でございます。ここでのことであります。それから、何か演習をすれば、韓国側が演習したり、アメリカと日本、韓国が演習したりとすれば、それに反応する国であります。
また、戸籍は明治初期より作成されてきたものでありますが、戦争や関東大震災で家族全員が死亡したことや、戦前海外へ移住した方が、戦争などの社会的混乱等によって死亡届を出すことができず残された戸籍もあると考えられており、全国の市町村で高齢者の戸籍が多数残されております。
しかし、太平洋戦争後はほとんどの大きな復興事業で指名競争入札が行われ、それが今日に続く談合の温床になってきたというのが我が国の入札制度の歴史であります。終戦後間もない1947年にアメリカを参考に独占禁止法が制定されましたが、談合の摘発は余り進まず、1993年にはゼネコン汚職事件が多発したことで入札方式の改革機運が高まり、一般競争入札を採用する自治体が相次ぐようになったと述べております。