津島市議会 2018-03-07 平成30年第1回定例会(第2号) 本文 開催日: 2018-03-07
あとは弓道場、国体のときに整備された立派な弓道場がございますけれども、あの周辺の整備も中途半端な感じで、なかなか多くの皆さんにたくさんおいでくださいというふうに胸を張って言える、そういう現状にはないということがございます。
あとは弓道場、国体のときに整備された立派な弓道場がございますけれども、あの周辺の整備も中途半端な感じで、なかなか多くの皆さんにたくさんおいでくださいというふうに胸を張って言える、そういう現状にはないということがございます。
こちらは、実はわかしゃち国体のときに、津島市が弓道場で施設を受け入れたときに、宿泊施設がなくて、これはイベント民泊という言葉はなかったですが、その国体のときに宿泊施設がないから民泊をさせたというところで実績がありますので、そのあたりも含めてどのような見解をお持ちかお答えください。
13: ◯5番(安井貴仁君)[ 238頁] ただいま国体についての話も振れられておりました。私も幼稚園のころでありますけれども、国体の際に沿道で旗を振った記憶がございます。 市主催のスポーツイベントというのはたくさんありまして、13のスポーツイベントを開催しており、年間実績で1万1,206人の方が参加されているとのことでございました。
平成6年に愛知国体が開かれたときに、津島市は宿泊施設がないから、一般の御家庭の方々に依頼して宿泊、選手たちを泊める場所を提供したという実践例があるもんですから、実は私もそのときPTAの関係からその委員会の中におりまして、資料もいただいたんですが、散逸してありませんので、そのときの具体例を当局のほうに報告してください。
この盆踊りの初めは、私が小学校5年生だったと思いますが、昭和25年に愛知県下で国体が開催され、そのときに当津島市は相撲大会の会場でした。そのときにつくられたのが、今は面影もございませんが、中央公民館の南側に1,000名ぐらい収用できる大きなすり鉢状態の土盛りの相撲場がございました。
その国体を記念して、現在はわかしゃち国体記念大会が催され、市内外からたくさんの参加者が来られます。そのほかには東海4県の柔道大会も開催されておりました。このように錬成館は津島市のスポーツと伝統文化の殿堂として、その存在価値は大変大きなものがございます。
スポーツ面におきましても、高校総体(インターハイ)の自転車ロード競技の開催を初め、愛知国体(わかしゃち国体)弓道大会・津島大会の開催で、そのときに弓道場の遠的場も建設をいたしました。
例えば平成6年にやった国体ですよ。あの国体は2年、3年前から準備をして、国体室までつくって参加した人、市民に喜ばれた経緯もあるわけなんです。そういうことで、ここの合併問題は1日や2日で片付く問題ではないんです。1人2人の職員さんが付きっきりで365日やっても3年間かかってもやれるかやれんかの問題なんですよ。そこのことをちょっと踏まえて、ひとつお願いをしたいと思います。
第49回国民体育大会は、平成6年にわかしゃち国体秋期大会で当市では弓道競技が行われ、常陸宮御夫妻が遠的会場をご覧になられました。「北方領土の日制定に関する決議」については1981年、昭和56年に国において制定されております。つまり、その目的あるいは使命は達成されたものと考えられるのであります。 また、もう少し角度を変えて考えてはいかがかと思うものであります。
この治安維持法についても戦時体制の中において、国民の思想を裁くことを目的とし、天皇制や国体の批判をする者を犯罪として、多くの人々が犠牲になったという歴史を持ち、戦後にこれを明確に否定されたという経過がある。
次に、保健体育総務費中、全国大会出場奨励金として、12万7,000円余支出されているが、この奨励金は自己申請のため、全国大会出場者の多くが受給していないので、行政が全国大会出場者を調査把握して奨励金受給を促してはいかがかという質疑に対し、国体・インターハイについては名簿を取得、出場者の把握は可能であるが、そのほか各種団体が主催する全国大会も多く、すべてを調査把握することは不可能であるので自己申請でお
また、教育勅語、あるいは国体、そういうような言葉も発しておられるわけでありますが、神の国という、そういう言葉をまた、国民に承知をさせなければいかんという発言もしておるわけであり、これはどういうことか。私どもが小学校、中学校のころ天皇陛下は神様だと、現人神だというふうにいわれて育ってきました。
担当課が全国大会出場者を新聞・その他で把握し、奨励金を受けられるようすべきと考えるがいかがかという質疑に対し、全国大会には国体・インターハイのほかにも各種の大会があるため、すべてを把握することは困難である。全国大会出場者の把握や奨励金制度のPRには今後十分努力してまいりたいという趣旨の答弁がありました。
そんなわけで、何年か前に天王川公園の丸池もしゅんせつされ、また、その南側のいわゆる芝生公園から、過去国体をやりました築山、そして動物舎、跡地になりましたが、その南側にございます藤の棚、そして南側の大きな道路を控えておりますところの第2駐車場、その南側がいわゆる宮川の堤防の削った跡でございます。