大府市議会 2019-03-14 平成31年 3月14日厚生文教委員会−03月14日-02号
ただ、現状は、介護保険というものが導入されたがために、損得勘定で、介護度とか自立、健康でいることというものの意識がちょっと薄れている面があるんではないかとか、認知症、認知症と言われますけれども、それが実は現状としては排除されているような現実がないかとか、あるいは、老いというもの、年をとるということを、生産性があるか、そうでないかというような経済至上主義のもとに捉えてはいないか。
ただ、現状は、介護保険というものが導入されたがために、損得勘定で、介護度とか自立、健康でいることというものの意識がちょっと薄れている面があるんではないかとか、認知症、認知症と言われますけれども、それが実は現状としては排除されているような現実がないかとか、あるいは、老いというもの、年をとるということを、生産性があるか、そうでないかというような経済至上主義のもとに捉えてはいないか。
ということで、今、経済至上主義の風潮が続いている中、保育園と子どもの成長を通じて人間社会の原点というのは、こうして一人一人が人間として大事にされて成長し、同時に周りの一人一人と豊かなつながりをつくっていくことなんだと感じているという文章でありました。 この中にしっかり保育の原点を見る思いがしましたので、済みません。少し長いですが引用させていただきました。
物質的には大変恵まれて、経済至上主義の社会ですが、やはり一番は心の教育が大切ではないかと。知・徳・体と言われておりますが、徳が1番ではないかと。2番は、やはり体であります。健康な体づくり、それが2番ではないか。最後に、確かな学力の育成というのが中心になってくるのではないかと思っております。 現在は、少子化社会で子供が少ないもんですから、家庭の問題も多く学校現場であらわれております。
さて、近年の経済危機は全世界の混乱を招く事態の中で、景気は低迷、失業者は多く、格差社会の広がりは日々拡大する過程で、利益を優先する経済至上主義に対する反省が起きました。私たちは何を目指し、どこに向かうのか、考え直す今日に来ております。 そんな中、ことし3月11日、未曾有の東日本大震災が発生し、大きな傷跡を残しました。
小泉チルドレンと言われる社会造語が生まれるほど多数の新人議員と公明党の連立政権与党は、圧倒的多数を背景に、民意を無視する郵政民営化並びに後期高齢者医療制度を強行に採決し、成立させるなどなど、国民を無視する経済至上主義は、各界各層にひずみと格差を生じさせ、ワーキングプアと多くの失業者を発生させました。
費用対効果や効率の悪い部分は切り捨てていくという経済至上主義や効率至上主義は、大量生産のための工場における工業製品だけにとどめておかなければいけません。政策とは何か、政治とは何か、政とは何かを考えたとき、非合理や非効率の中で多くの無駄を抱えながら生きているのが人間であります。すべての政策の基本は人間であり、人間の生活であります。
ただ、いたずらに何でも安ければよいという経済至上主義であっては、本質を見誤ってしまうおそれがあります。目的があって施設をつくった限りは、最大の効果を追求すること、それこそ行政の責任であります。
四郷、井上、青木、平戸橋で構成される市街化区域、約220ヘクタール、人口約1万4,000人という市街化区域の塊は、民間開発の経済至上主義の横行とその圧力に抗しきれずに、青写真がないままに市街地はどんどんと拡大を続け、その事態はますます深刻なものとなってしまいました。
日本は戦後、経済至上主義の中でお互いに信頼し合い、協調し、物事を円滑に進められる社会関係、言いかえれば人間のきずなが失われつつあります。子供に対する犯罪や家族内での不幸な出来事など、家族や地域などにおいて人々のきずながあったころは考えられないような事件が起きております。
そのほかにも、いくつかその見直しの理由を挙げることができますが、その根本的な原因は、大量生産、大量消費、大量廃棄という経済の発展のみが社会の発展に結びつくと錯覚をしてきた経済至上主義にあると私は信じています。
その第1点は、経済至上主義のグローバルな競争は、圧倒的多数の敗者を生み出します。市場経済では、勝者は少数、貧困化する圧倒的多数の生活を支援する体制の整備が必要です。その点が余りうかがえない。 第2点は、少子・高齢化社会であります。2007年から団塊世代が退職を迎えます。団塊世代が大量に職場から地域に帰ります。この世代が社会のニーズを変え、住民自治、社会福祉の担い手になる力を持っております。
この原則的で地道な考え方は、バブル景気が始まる前から叫ばれていましたが、バブルという急激な右肩上がりの経済至上主義という大きな波に飲み込まれ、地方都市では、まちの再開発は大型キーテナント誘致による大型プロジェクト型再開発、この一色に染められたのであります。
以上のように、経済至上主義で人を人とも思わないようなやり方や、国民経済をギャンブル市場に放り投げ、国民の財産を守る政治の責任も放棄し、金持ちばかり優遇の仕組みを強化するような内容には到底納得できるものではありません。
碧南市はそういうふうになっていないからいいんだということではなく、社会全体がそういう経済至上主義で民間参入を子育てにもどんどん取り入れて、そして効率よく子育てをするんだ、こういうことで推し進めていけば、やはり人間の尊厳や価値やそういうことがどんどん失われていくということにつながっていくというふうに私は思いますので、そういう冷たいことではなく、社会全体で支え合っていくということからすると、やはり国の果
経済至上主義ではない、経済は共同体の潤滑油というしっかりした意識があるそうです。この間、名古屋市の電力入札で中部電力が落札できませんでした。企業努力が足りなかったといえばそれまでだと思いますが、地元企業として、それぞれの地域でさまざまな企業責任を果たしているはずです。
振り返れば人類にとって20世紀は、科学技術の進歩により物質文明が飛躍的に進み快適な生活と繁栄をもたらす一方、二度にわたる大戦をはじめ戦争の悲劇を繰り返した「戦争の世紀」「経済至上主義の世紀」でありました。その中で、人間が人間として当然持っているはずの他人を思いやる心や、最も尊重すべき「生命、生活、生存」が軽視された世紀でもありました。
振り返れば、人類にとって20世紀は科学技術の進歩により物質文明が飛躍的に進み、繁栄をもたらす一方、二度にわたる大戦をはじめ戦争の悲惨を繰り返した戦争の世紀、経済至上主義の世紀でもありました。 私たち公明党は、結党以来、国家や経済的価値を優先するのではなく、何よりも人間自身にこそ最大価値を置くべきと主張し、生命、生活、生存を最大に尊重する人間主義を掲げてまいりました。
いわゆる古い価値観から新しい価値観への転換を図るときであると言われ、物、金優先の経済至上主義や大企業優先ではなく、人間のため、庶民のためという視点を大切にする心の時代、精神の時代へ、国家主義から人間主義へ、官主導から民主導へ等々あらゆる面で大きな転換期を迎えていると言っても過言ではないと思います。
青少年問題を考えるには、戦後50余年のあり方、核家族、自由主義、平等主義、民主主義、経済至上主義などなどを問い直す必要があると言われています。今ここで、先人が歩いてきた道を振り返り、人間としてどこかに忘れてきた大切なものを掘り起こしていただき、人格の統治に役立てていただくことが重要な一つであると思います。
今子育て真っただ中でがんばっているお母さんやお父さんたちも、この憲章が制定された後の世代であり、経済至上主義のもとで、ものの「豊かさ」の追求が価値を持つ現状に何の違和感も持たずに、大半の人が大人になったのではないでしょうか。