岡崎市議会 2016-12-21 12月21日-24号
ことし7月に首都ジュバでは、政府軍と反政府軍との間で大規模な戦闘があり、市民270名以上が死亡し、政府軍による女性への暴行やPKO隊員や国連職員の犠牲も伝えられています。 その責任をとらされ、国連PKO軍司令官は更迭され、11月11日に国連は、内線がジェノサイド、民族大虐殺に発展するとの懸念を表明しています。
ことし7月に首都ジュバでは、政府軍と反政府軍との間で大規模な戦闘があり、市民270名以上が死亡し、政府軍による女性への暴行やPKO隊員や国連職員の犠牲も伝えられています。 その責任をとらされ、国連PKO軍司令官は更迭され、11月11日に国連は、内線がジェノサイド、民族大虐殺に発展するとの懸念を表明しています。
内戦状態の南スーダンでは「PKO参加5原則」が崩壊し、安保法制に基づき、離れた場所で襲撃された他国軍兵士などを救助するため武器の使用が認められる「駆けつけ警護」や他国軍部隊とともに実施する「宿営地共同防護」の任務が新たに付与されれば、派遣部隊が政府軍や反政府武装勢力と戦闘し、自衛隊員の命に危害が及んだり、敵対する兵士ばかりでなく、避難民など民間人を誤って撃ったりする危険はますます大きくなります。
一方、南スーダンでは、派遣の前提である停戦合意が崩れており、政府軍と反政府軍が、自衛隊の宿営地、ジュバで戦闘しています。本市は、陸上自衛隊豊川駐屯地を抱えており、今年6月、全隊員が無事に南スーダンから帰ってきたところですが、今回派遣された第11次隊は、来週、12月12日から新たな任務を開始すると言われています。 自衛隊の新たな任務、駆けつけ警護、宿営地共同防護とは何か、市の認識を改めて伺います。
これまで、自己もしくは自己の管理下にある者の保護についてのみ武器使用が認められておりましたが、この拡大で、自分や部下の命を守るためだけではなくて、今度は宿営地に所在する者の保護に拡大をされておりまして、例えば、難民が宿営地に押し寄せ、政府軍や反政府軍が難民を攻撃してくる、こういった場合、他国軍の要員と一緒になって、難民保護のために武器を使用することができるようになります。
政府軍と反政府軍の衝突で200万人の難民が生み出され、事実上内戦状態が続いている南スーダンで、駆けつけ警護という新たな仕事を自衛隊にさせようとしています。 駆けつけ警護は、PKOに参加している他国部隊などが武装勢力に攻撃された際、自衛隊が現場まで駆けつけ、武器を持って守るという任務です。自衛隊と他国軍隊による宿営地の共同防衛などとあわせて、初めて可能になりました。
しかし、御案内のように、現地の状況は国連の治安部隊が南スーダンの政府軍の攻撃を受けるなど混乱が続く中で、撤退も視野に入れ、検討がされているなどと伺っておりますが、3月23日以降は改悪PKO法が実行されることになります。改悪PKO法のもとでの自衛隊が駆けつけ警護の任務となれば、まさに殺し、殺される現場に自衛隊員を派遣することになり、携帯する武器も殺傷能力の高いものが常備されることになります。
例えば9月9日の参議院の審議の中で、南スーダンは政府軍と反政府勢力との武力衝突で、200万人以上の難民が発生している。その中で、政府軍による子どもや女性などの殺害が起きている。この現状に、南スーダン政府軍が国連PKO部隊に対する攻撃など、100件以上の地位協定違反を繰り返し、現に、停戦合意などPKO参加5原則そのものが崩れているという現状が明らかになりました。
小泉総理が2期目に就任したときの所信表明演説なんですけれども、あそこの中では、明治の戊辰戦争のときに、会津と一緒になって西軍、俗に言う官軍なんですけれども、政府軍と戦って敗れた後、大変な困窮状態になったんですね。困窮状態になったときに、長岡藩は、小林虎三郎という方なんですけれども、7万4,000石あったものが2万4,000石に減俸された。
南スーダンでは、停戦合意が崩れ、政府軍と反政府軍の武力衝突が起き、兵士と住民が入り交じる武力紛争となっており、その中で自衛隊の任務を大きく拡大し、「駆けつけ警護」などを行えば、自衛隊員が他国の住民に銃口を向け発砲して殺したり、自衛隊員から戦死者を出す初めてのケースとなる。 よって、大府市議会は、平和安全保障関連法の施行を中止するよう、国に意見書を提出されることを強く求める。
幕末の戊辰戦争に旧幕府側につき、新政府軍と激戦となり、多くの戦死者を出して降伏した長岡藩は、石高を7万4,000石から2万4,000石に減らされたため、財政が極度に窮乏し、藩士たちは、その日の食にも苦慮する状態となりました。この窮状を見かねた長岡藩の支藩、三根山藩が百俵の米を贈ることとなりました。
この牧野家は、明治維新の激動を象徴する北越戊辰戦争で維新政府の敵軍となって戦うが、圧倒的な政府軍に包囲され、戦もこれまでと、ついに城を放棄してしまったのであります。その結果、長岡藩は賊軍の汚名を着せられ、禄高を3分の1の2万4,000石にされ、その日の賄いにも事欠くありさまとなり、貧乏のどん底にあえぐようになってしまったのであります。
現地の人々の暮らしを見ずに政治、経済の何がわかるのか」と熱っぽく語りかけ、みずから降りかかる危険を顧みず、だれもがしり込みする政情不安な中央アジアの国タジキスタンへ行き、現地調査中、反政府軍に機関銃で襲撃され、非業な死を遂げられました。お二人は責任の強さがほとばしっている日本最後のサムライと新聞紙上で賞賛されております。お二人の冥福を皆様とともに祈りたいと思います。
だから、プノンペン政府軍ときょうも戦闘中であるという状態であります。プノンペン政府の公式文書によりましても、6月13日から8月8日まで56日間に停戦違反が 219回、それから死者83人、負傷者 101人、誘拐が41人、このように政府の公式発表でもなっておるわけであります。したがって、ポル・ポト派は停戦には明らかに合意していない。