11件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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名古屋市議会 2020-09-17 09月17日-19号

江戸時代尾張藩士であった高力猿猴庵という方が書いた尾張名陽図会という昔の書物、これは名古屋城下の代表的な名所旧跡をスケッチするとともに紹介したものですが、その中に出てまいります。 一つ目は、蒲焼町の風呂屋の井戸といいます。中区に蒲焼町という昔の地名があります。現在の錦通に沿った辺り、東は大津通から、西は御園通までの間がそうでした。

春日井市議会 2020-03-13 03月13日-06号

江戸時代には名古屋城下と中山道を結び,たくさんの商人や旅人が行き交い,庶民の道として栄えました。大泉寺町地内において南北に通る下街道が,北尾張中央道により分断される予定の場所があります。分断されるところから東側に約65メートル離れた場所に新たな交差点が設けられ,下街道を行き来するには交差点まで迂回する必要が出てきます。

岩倉市議会 2013-03-13 平成25年第1回定例会(第 5号 3月13日)

岩倉街道は、名古屋城下から犬山までを結ぶ主要道路でございまして、岩倉市域には上、中、下の町並みが形成され、今でもその面影が残っていることから、今後も観光資源としてPRしてまいりたいというふうに考えていますので、よろしくお願いいたします。 ○議長塚本秋雄君) 伊藤議員。 ○14番(伊藤隆信君) ありがとうございます。  最後の質問をさせていただきます。  もうじき桜の咲く季節になります。

北名古屋市議会 2011-12-08 12月08日-02号

新川洗堰に関することは、北名古屋市民の皆様はご承知のとおり、古来より庄内川の大洪水により名古屋城下浸水被害を防ぐために、江戸時代1784年から1787年にかけて江戸幕府から援助を受け、尾張藩により天明の治水工事として竣工しました。新川庄内川へ流れ込む河川を分流し、洗堰庄内川であふれた水を新川へ流すために掘削され、名古屋城下を守る遊水池の目的で、庄内川右岸堤名古屋城下側より低くしてあります。

名古屋市議会 2009-09-17 09月17日-24号

名古屋城下の発展に伴いまして、城下生活物資補給路としても大きな役割を果たしてきた貴重な歴史的な資産でもあります。堀川は、名古屋の主要な観光資源であると考えておりまして、また、川沿いには、名古屋城熱田神宮、宮の渡しなど数多くの、議員も御指摘いただきました名所、旧跡がございます。そういうものをより有効に活用していくことが名古屋観光魅力の向上にも役立つものというふうに考えております。 

岩倉市議会 2009-06-18 平成21年第2回定例会(第 5号 6月18日)

次に、もともと岩倉市は城下町だった市街地、1667年、名古屋城下から岩倉に至る歴史が息づく旧岩倉街道は、人が歩くための道でした。そんな歩いて暮らせるまちづくりのためにも、岩倉地域観光資源として岩倉街道への案内板、あるいはPRにもっと取り組むべきだということを指摘しておきたいと思いますが、お考えをお聞きいたします。 ○議長(岸 孝之君) 建設部長

岩倉市議会 2006-06-13 平成18年第2回定例会(第 3号 6月13日)

さらに歩くと、新川にかかっている平田橋は、尾張北部名古屋城下を結ぶ重要な交通の要所、急な坂で、岩倉街道最大の難所でもあったところであり、平成11年3月に新しい橋が竣工されています。ここには、岩倉に由来する平田橋北詰めのところに馬頭観音菩薩があり、そこには1805年11月18日に岩倉在馬方衆によって建立されました石仏と記されてあります。

名古屋市議会 2004-09-22 09月22日-18号

市内の専門家にこの神楽がつくられた時代を鑑定してもらったところ、江戸時代後期から明治初期にかけ名古屋城下町方彫刻師として活躍した瀬川派の作であり、大変貴重な神楽であることがわかりました。このような民俗文化財は現在でも、特に中川区や港区を中心とする地域で住民の方々の手により大切に保存、継承されております。

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