大府市議会 2017-09-14 平成29年第 3回定例会−09月14日-03号
それから、余震が収まるにつれて、あるいは家の状況を見て、全員が避難所に来なくてもいいですよと、自宅周辺や御自宅で生活できる人は、どうぞ戻っていいんですよという、そこまではだいぶ周知されてきているように思うんですが、今のような、情報提供をどうしていくのかということや、実際に災害が起こってからやはり、「災害ごみをいつどうやって出したらいいんだ」「どういうふうに回収してくれるんだ」と、まさに起こってから、
それから、余震が収まるにつれて、あるいは家の状況を見て、全員が避難所に来なくてもいいですよと、自宅周辺や御自宅で生活できる人は、どうぞ戻っていいんですよという、そこまではだいぶ周知されてきているように思うんですが、今のような、情報提供をどうしていくのかということや、実際に災害が起こってからやはり、「災害ごみをいつどうやって出したらいいんだ」「どういうふうに回収してくれるんだ」と、まさに起こってから、
そのような中で震災に遭い、祖母は地震が理解できず、混乱した中で度重なる余震。避難所へは地割れや液状化現象がひどく、寝たきりの祖母を運ぶこともできず、庭先のビニールハウスで過ごしたそうです。 そして、避難所へ行かなかった最大の理由は、祖母が大勢の中で生活を送ることが難しいと判断したからでした。うつ病で、家族の足音にも怒鳴り、奇声をあげる姿を皆様は想像できますでしょうか。
14日の前震から約28時間後、220回を超える有感地震、震度5、6クラスを含む余震の後の2回目の震度7の本震。これらの特徴は、記録の上でも、日本で地震観測が始まって以来のものでありました。 大府市も含め、日本の自治体の地震対策のマニュアルや計画には、揺れが収まったら、自宅が崩壊していない人は、自宅に戻ることが前提とされています。
避難所の安全確認につきましては、地震により被害を受けた建物が余震等によって倒壊する危険性や外壁等の落下の危険性を応急危険度判定士が調査し、その結果に基づいて、建物の使用が可能かどうか応急的に判定いたします。応急危険度判定士につきましては、愛知県などが被災建築物による二次被害を未然に防止することを目的に講習会を開催して養成しております。
東日本大震災から1年が経とうとしていますが、非常に大きな規模の地震であったため、東日本においては今もなお、多くの余震が起きており、日本の各地でも地震が頻繁に起きております。この地方に予測されている東海・東南海・南海地震の発生も非常に心配されているところであります。
大府市もできるだけのことをすべく、毎日災害対策本部を開き、打つべき手を打たせていただいておりますが、とりわけ、岩手県遠野市とは昨年友好都市提携をし、災害応援協定に基づきまして、できる限りのこと、物心両面にわたり御支援を申し上げておりますが、今朝も遠野市の市長さんともお話いたしましたが、当初被害は軽微というお話を伺っておりましたが、徐々に余震が揺するたびにいろんな被害が出てきたというお話を伺いまして、
特に、地震発生前の警戒宣言時に避難場所に行かれた場合には、避難後に地震発生となりますし、本震で傷んだ構造物が避難後に強い余震で倒れることも心配されます。お考えをお聞かせください。避難所、避難場所への道順は定まっているのか。またそれらを示す看板等は誰もがわかる場所にあるのかについても、合わせて伺います。 続いて生徒児童の安全について伺います。
新潟の地震では、たび重なる余震がありまして、避難所生活の中で設備が落ちるですとか、あるいはガラスなどが割れるということによって、それが今ごろになって心的外傷後ストレス症候群、住民の方が苦しんでらっしゃる。「夜、建物の中にいるのが怖い」「眠れない」「動悸がする」、こういう症状が今たくさん出ているそうであります。
また、地震発生後の長期にわたって強い余震が続き、避難所生活を強いられ、被害を増大させました。特に特徴的なことは、地震関連死です。地震によるショック死、避難所でのストレスや疲労からくる急死、不自然な姿勢を続けるため、血のめぐりが悪くなっておこるエコノミークラス症候群など、被災地の痛みは増すばかりであります。 そこで伺います。
そして、さらに追い討ちをかけるように、10月23日に新潟県中越地方で震度7の直下型地震が発生し、それ以後、震度6弱を含む大きな余震が数日間も続き、ライフラインは破壊され、道路は至るところで寸断され、土砂崩れも発生し、また新幹線も脱線するなど甚大な被害を受けました。
その後においては余震等の災害情報とか避難場所、避難所等における注意情報、さらに電気やガス、水道などの生活情報、あるいは交通機関の運行状況、あるいはデマの防止、防犯、そういったさまざまな生活復興に向けた情報を提供してまいりたいと、こう考えておりますのでよろしくお願いいたします。 ○議長(花井一雄) 答弁終わりました。 5番・河合満智子議員。
この時の地震のマグニチュードは8と言われておりますが、強い余震がその後何度も続き、追い打ちをかけるように翌年1月13日には三河地方地震が発生しております。当時は空襲と地震とでまるで生き地獄のような時代でございました。
◎庶務課長(浜島則男) 避難場所の件でありますが、避難場所につきましては、どういうケースで避難場所を利用するかということが意味を持ってまいりまして、地震が突然やってきた予知なしでやってきた場合ですと、地震が終わってから余震等によって避難広場ですね、広場に集まってきた。