半田市議会 2020-06-09 06月09日-01号
余震による庁舎倒壊を恐れ、町長ら役場幹部は、庁舎前の駐車場に町災害対策本部を設置、その直後に大津波の襲来があり、2階建ての役場庁舎は2回天井付近まで浸水した。2階にあったサーバー室も水没した。はしごを伝って庁舎の屋上まで辛うじて避難できたのは二十数名、3月11日時点の職員136名中、町長及び課長級職員7名を含む33名、臨時職員等を含めると40名の役場職員を失うこととなった。
余震による庁舎倒壊を恐れ、町長ら役場幹部は、庁舎前の駐車場に町災害対策本部を設置、その直後に大津波の襲来があり、2階建ての役場庁舎は2回天井付近まで浸水した。2階にあったサーバー室も水没した。はしごを伝って庁舎の屋上まで辛うじて避難できたのは二十数名、3月11日時点の職員136名中、町長及び課長級職員7名を含む33名、臨時職員等を含めると40名の役場職員を失うこととなった。
また、災害に関する情報を十分に理解できず、避難所がすぐ近くに開設されていることもわからず、余震への恐怖から何時間も近くの公園で過ごしたとの体験談も報道されています。 こちらは半田市のホームページです。半田市のホームページには、翻訳機能がございます。翻訳機能を使って英語や中国語に翻訳をすることができます。 最初に、英語に変換をする場合ですが、このように英語で注意書きが出てまいります。
しかし、大規模災害が直接襲った場合には、医療従事者と医療資材が不足すること、余震、停電の可能性がある非日常の環境下であることから、患者の生命に危機的な影響を与えるおそれのある避難所での手術は困難であると考えておりますので、設備を整えておりません。
6月13日現在、警察庁がまとめたところによると、一連の余震での死者も含め、死者1万5,861人、行方不明者2,939人。もし震災前に戻れたならば、事前にやれたことは数多くあったのではないか、たとえ家や財産を失っても命だけは守れたのではないか、そんな今となってはかなうことのない願いを抱いてしまうほど、余りにも悲しい出来事でありました。
本震、余震による地すべりや液状化現象等の直接的な被害に加え、特に津波により数万人の死者や行方不明者を出したほか、原子力発電所の事故を誘発し、放射能漏れをもたらしました。一日も早い復興を祈念するとともに、被災者の皆様に御冥福とお見舞いを申し上げる所存です。 この震災では、地震や津波の規模が巨大であり、課題が山積している状況です。
また、余震が沈静化するまでの間、一時的に身を守るための屋外施設として、小・中学校に指定している避難場所は18か所で、校庭の面積は合計21万平方メートルでございます。仮設住宅想定必要戸数につきましては、東海・東南海地震が連動して発生した場合、22か所、1,578戸の仮設住宅の建設を予定いたしております。
まず、昨年10月23日の新潟県中越地震では、午後5時56分の地震発生後、小千谷市では午後6時10分に職員10名が市役所に参集し、この時点では防災無線は作動していましたが、その後の発生する余震が怖く、庁舎に入れる状況ではなかったとのことでありました。
頻発する余震の恐怖、避難所生活での空腹と寒さ、つらさとが、半世紀という長い時を超えて脳裏にオーバーラップし、その当時の地震を経験した者として他人事ではなく、我がことのように感じた1月17日、これが阪神大震災でありました。 ここで、私は、壇上から改めてこの震災でとうとい命を奪われた 5,460名余の方々に哀悼の意をささげ、御冥福を心からお祈り申し上げます。